日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

美術評論家大倉宏さんへ 「`洲之内徹`と作家`川上宗薫`」

2009-07-09 10:00:52 | 日々・音楽・BOOK

大倉さん、ご無沙汰しています。
毎年定期検査を行っていた、僕の設計した新潟駅前弁天に建てたビジネスホテルが、この8月末に閉鎖することになりました。宿泊客が少なくなり経営的に成り立たなくなったとのことですが、新潟に行く機会が少なくなりお会いするのも減るようで残念です。

さてこのような知らせがあって何だか気になり、大倉さんの美術論「東京ノイズ」(2004年1月アートヴィレッジ刊)を再読しました。
最近何を読んでも、何を視ても、何を聴いても涙腺が緩んで困るのですが、洲之内徹を捉えた「イノセンスへの郷愁」のページをめくって、アッと思いました。
ここに大倉さんは洲之内徹論を書いたのだ! 更に驚いたのは文章の中の幾つかの行に、鉛筆で傍線が引いてあり、僕の走り書きがあるのです。いただいたのが5年前ですから、そのとき感じ入ったところに思わず書き込んでしまったようです。そんなことも忘れていました。

『洲之内徹は何度も芥川賞の候補になるが「結果的には受賞を逸し、小説家としては挫折する。
受賞できなかったのは、小説の与える重く、暗い印象のせいだとよく言われる」芸術新潮に連載された`気まぐれ美術館`は「ユーモアと機知に富んだ軽やかな文体」で読みやすいけれど・・読み進めた後に、いつしか重いものが置かれてあることに気づく』、と大倉さんは書いています。
その重さの根底には冷厳な文体になった戦争体験の反映があるのだろうとあります。

僕は洲之内さんの`気まぐれ美術館`をブログに書きながらいつも思っていたのは、同じく芥川賞候補に何度もなりながら、ついに受賞し得なかった「川上宗薫」のことでした。
川上宗薫は僕が高校生時代、当時はまだあった夜間部で英語を教えていて、僕が部長だった昼間部文学部の顧問をしてくださっていました。その時代でした。芥川賞候補に何回もなったのは。めったに部室には顔を出してくださらなかったのですが、部活の機関誌「東葛文学」に、僕の書いた講評が宗薫先生と並列に記載されていて今読み返すと赤面します。

川上宗薫も洲之内徹と同じく挫折し、後に女を題材とした官能小説の寵児となったのですが。
その棲さまじい生き方、人にはそういう生き方しか出来なかった人生があることに魅かれます。大倉さんの洲之内論を読むと、人ってそんなに単純に捉え得ないのだと考えさせられるとはいえ。

洲之内さんの芥川賞候補作を含めた分厚い(いわゆる)文学作品はまだ手に入れておらず読んでいませんが、宗薫先生の一連の作品は、高校時代に読みまわして僕たちは大きな影響を受けました。ことに「夏の末」には!
手元にその著作が一冊もなく読み返せないのですが、洲之内さんの候補作とは異なり、端正で、人の微妙な感性のやり取りが心に沁みこんでくる文体、そのイメージだけが50年を経た僕の中に留まっています。涙腺が緩むのはそんなことが頭に浮かんでくるからです。

大倉さんの「砂丘館」、「新潟絵屋」、それに「新潟まち遺産の会」の活動は心打ちます。お会いできる日を楽しみに・・・

<追伸>
洲之内さんはJAZZにのめりこみ、そこからブルースにもいったようですが、僕も同じくJAZZから(僕の場合は) ブルースにほんのちょっぴり立ち寄って(1920年代のカントリー・ブルースやジャニス・ジョプリンなど)今、ビートルズです。何しろジョン・レノンと同い年ですから!<間に五輪真弓がいるのですが・・>

<追記・7月12日>
図書館から「川上宗薫芥川賞候補作品集」を借りてきた。冒頭の「その掟」を読み始めたとたん、五十数年前の匂いが漂ってきた。ところが収録されている五編の中に「夏の末」がない。候補作ではなかったのだ。