9月1日より3日間、建築学会の大会が東大阪市にある近畿大学で行われたが、初日のPD(パネルディスカッション)に参加するため大阪を訪れた。大坂の街を歩き、建築を観て撮ることも楽しみに出かけたので、其の様子を2,3回に分けて書いてみたいとおもう。
PDのタイトルは「歴史的建築リストDB(データーベース)の活用と直面する課題」というもので、サブタイトルは、地域・大災害・協働となっている。僕の役割はモダニズム建築と学会のデーターベース、つまりDOCOMOMOの活動とこのPDを主催した「歴史的建築リスト整備活用小委員会」との連携について話すことだった。
延々4時間半にも及んだ各パネリストからの報告が面白く、珍しく身を入れて聞いたので自分の番がくる前に疲労困憊、言いたいことをうまく伝えることができたかどうか僕自身よく判らない。でも企画した主査川向正人先生の趣旨提言は、今の時代の課題を言い得ているし考えることも多かったので、機会があればPDの様子も合わせて紹介したい。
<大阪中央郵便局と東京中央郵便局>
人に品格があるように、建築にも品格というものがあるような気がする。今の僕は「知性」という言葉に魅かれるが、品格は知性につながっている。建築に知性というとちょっとどうかなと思うが「大阪中央郵便局」を一言で言うと、知性に満ちた`品格のある建築`ということに尽きるのではないだろうか。
東京中郵は、赤系のタイルや煉瓦によって建てられた東京駅や丸の内の建築を意識して、白色のタイルが貼られ、多分竣工時は新しい時代が始まる予感を感じさせて注目を浴びたと思うが、窓割など繊細なデザイン配慮がなされているものの、多少意気込んでいるような気がする。帝都東京の駅前に建つ建築としての威厳を求められたといわれると、さもありなんと納得させられるのだ。それを装飾で示すのでなくシンプルな形で感じさせるところが、モダニズム的といえるのだろうか。ブルーノ・タウトはそれを評価したのだろう。
<大坂中央郵便局・当たり前の風景>
8年を経て建てられた大阪中郵は、更に洗練されて落ち着いた薄ねずみ色のタイルになり、東京中郵で採られていた4階と5階の間に設けられた水平蛇腹もなくなり、深い庇と柱と梁とだけで構成された形、そこにはめ込まれたスチールサッシュのとの微妙なバランスの見事さ。僕は撮ってきた写真を目の前にしてこれを書いているのだが、視るほどにこういう建築があるのだと、心が沸き立ってくる。
設計した吉田鉄郎は、東京中郵時は弱冠37歳、大坂の時には45歳になっていた。8年の歳月が吉田鉄郎を大人にしたのだろう。この建築は並木の中に溶け込み、大坂駅前の喧騒、乱立された高層群をさりげなく受け止め、威厳的でもなく、古くもなく、新しくもなく、品格で其の存在を人に認識させ、商都の玄関先の当たり前の風景となって建っている。
時を経て(比較的新しい)「モダニズム建築にも成熟していくことがあることを経験した」と、自作のヒルサイドテラスに触れて槇文彦氏は述べているが(「メタボリズムとメタボリストたち・美術出版社刊)、少し意味合いは違うものの、大阪中郵を視るとまさしく其れを(僕は)実感できる。多分この建築は時を共有しているのだ。
朝10時だというのに大勢の人で客溜まりは賑わい、記念切手の発売日だったので特別のコーナーが設置され、お客と職員が笑顔でやり取りする有様を見ていると、建築は生きているなあ!と嬉しくなるのだ。
こういう建築を「つぶしてしまう」のだという。壊すといわずに`つぶす`という大阪弁は、実感がこもっていて怖いくらいだ。
どういう取引がなされているのかわからないものの、東京は前面を残して後ろを高層化することが可能といわれたりしているが(様子はある程度わかっているが今は言い難い)、大阪は市の再開発計画がされており、更に地下鉄新設の計画のあるようなことも言われていて残せないという。経済効果とか、開発が社会を生き生きさせるのだとか、民意によってとか、僕のメッセージを読んで悩みながらも開発ありきと談じた方がいるが、この建築を前にして佇み、視てもそういいきれるだろうか。
都市を更新していく大切さは建築家である僕はごく当たり前のこととして受け入れる。でもこの建築がはじめからないものとして計画していく都市の計画って何なのだろう。吉田鉄郎というかけがえのない建築家のいたことを忘れてはいけない。
大阪駅を出るとすぐ右手にこの建築が見えるはずなのに、JRの仮設ぽい駅事務所に塞がれていて駅前の風景を台無しにしている。僕のような大阪中郵フアンがいることも忘れないでもらいたい。