日々・from an architect

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取り壊されるかもしれない「都城市民会館」

2005-09-24 18:23:01 | 建築・風景

都城という雅な風景をイメージさせる街が、鹿児島県との県境に近い日向の国、宮崎県の西南にある。人口約13万人の島津発祥の地。訪れたことはないのだが、菊竹清訓の設計した扇を開いたような、異型ともいえる都城市民会館のあることは知っている。
菊竹清訓は、DOCOMOMO100選にも選定された、自宅の「スカイハウス」(1958)や島根県のホテル「東光園」(1964)、「出雲大社庁の舎」(1963)などで知られる戦後の建築界を築いてきた建築家だが、川添登や黒川記章らと共同で提唱した「メタボリズム」理論も、建築界や社会に大きな影響を与えた。

この市民会館は1966年竣工。時を経て構造や設備など、変わらない部分と、変えていく部分を分けるというメタボリ実践の好例ともいえる。菊竹清訓には、1973年発行の「1956-1970菊竹清訓作品と手法」(美術出版社刊)という素晴らしい作品集があるが、この都城市民会館については、あの特異な形には触れずに、メタボリに関わる設備や光・空気といったことに終始して論じていて興味深い。当時の菊竹の意気込みといってもいいのだろう。
さてこの建築は、松井源吾(構造)、井上宇市(設備)、粟津潔(色彩)、伊藤隆道(アルミ緞帳)、NHK総合技術研究所(音響)、それに施工は鹿島建設という、当時の建築界やアートの世界の第一線で活躍していた技術陣やアーティストの総力によって建てられ、約40年近くに渡って都城の風景を創りあげてきた。
牧歌的な街に突然舞い降りたような、ライター磯達雄さんの言うコンクリートと鉄の「キメラ」(日経アーキテクチャー050110号)に市民は驚いたようだが、これもメタボリズム理論にのっとって生まれた形態で、今ではなくてはならない景色として定着している。

この建築が取り壊されるかもしれないという。

都城市は新しい文化ホールを建設中でそれに伴って取り壊す検討をしている。市では、市民会館管理運営対策プロジェクトチームを作り、2003年には市民にその是非を問うアンケートなどを実施してきた。調査の結果は、「そのまま存続、コンバージョンをして使い続ける」を併せると52,4パーセントで「解体する」をやや上回った。公表されている資料を読むと、存続については今や都城市のランドマークとなっており、長年市民に親しまれてきたという意見が多い。市は迷っているようだ。
今回新たにその是非を問うアンケートが為され、ある市民からDOCOMOMOに存続支援の要請があった。締め切りの9月15日直前だったので大勢の人に情報を伝えられなかったが、DOCOMOMOからと僕個人はこの建築を保存・活用していくことの大切さを市に伝えた。
 存続か否か、最終決定をするという12月までまだ時間がある。下記市民からのメッセージを読んでいただき、是非皆様からも都城市にメッセージを伝えて欲しい。
<写真・一市民の提供>
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<都城市の市民からのメッセージ>

都城市民会館はデザインの優れた大型建築作品です。

都城に残された最後の有名建築物です。
みんなが気付かないうちに、シンボルやランドマークになっていました。
昭和41年に菊竹清訓氏の設計により建てられたものです。
パリのポンピドーセンターにも菊竹清訓氏の作品として市民会館の模型が展示されています。
イタリアの建築学の教科書にも菊竹清訓氏の作品として市民会館の写真が掲載されています。
日本の残したい建築物100選にも市民会館の写真が掲載されています。
今、都城市の財政改革の一環で、古い、雨漏りする、維持費が掛かるということで取り壊されようとしています。
何とかこの建物を50年、100年と残していきたい気持ちでいっぱいです。
再生させる道を考えてください。
例えば、市民会館が菊竹清訓氏のアート作品なので、そのまま美術館に転用したら!
市では、島津久厚氏より重要な島津家資料を約1万点寄贈頂いているので、現在の美術館は、島津家資料館として模様替えする。
そうする事により、新規に島津家資料館を建設する必要がなくなる。
市民会館も長期保存と活用が出来る。
島津家資料館を新設する一方で、市民会館を取り壊すのは理不尽と思います。
改修費用は、島津家資料館を建設する費用と同程度と考える。15億円ぐらい?
ほかに都城市民会館を救ういいアイデアがあれば!知恵を下さい。