我が家には、バリの神様がいる。オフィスにはマニラの神様がいて、僕の心には青森の真っ黒な大黒様が住み着いている。
バリにはいろいろな神様を売っている店がある。僕はこの背が1メートル50センチもある木の板に彫ってあって、渋い金色や紅、ブルーグレーで彩色がしてあり、顔などは一見胡粉で塗られていると錯覚を起こさせる神様を一目見て、一瞬にして虜になった。神様を値切っては罰があたるかなあ!と思いながらも散々値切って担いで飛行機に持ち込み成田まで持ってきた。包装が解けて顕になり、宅急便で送ろうと思ったら美術輸送でないと受け付けないといわれて戸惑ったことがある。
マニラの神様は、たぶん神様でなくいわゆる聖人。20年くらい前になるが初めて行った海外旅行がフィリピンのマニラで、従兄弟に連れていかれた骨董屋で一目惚れしたレリーフスタイルの木彫。欲しくなるとどうしようもない。硬木でこんなに重いものをよく持ち帰ったと思うが、素朴な眼差しがなんともいとおしい。
事務所に見に来てください!
問題は僕の心にある大黒様だ。`ねぶた`を観に青森に行ったときに、友人と回った骨董屋で見つけた煤けた真っ黒な大黒様。買えない値段ではなかったのに躊躇して手に入れなかった。それが十年経った今でも僕のまぶたから離れないのだ。青森での大黒様というのもちょっと変な気もするが、その大黒様が僕を呼んでいるような気がする。それ以来骨董屋に足を運ぶたびに大黒様を捜すが気に入るものが現れない。
何のことはない。神様といったってまあたいしたこともない美術の作品として心魅かれているといわれそうだが、僕にとってはそうとも言えないのだ。
もう一つ 僕を「パパ!」と呼んで皆をびっくりさせる街歩きの友人Y子ちゃんが、ラサに行った時にお土産にくれたアンティークな「マニグルマ」。時々これをくるくる回して、いい仕事がありますように!とか、人並みに、健康でありますようにとか、建築の存続がうまく行きますようにと目を閉じて祈っているのだ。
でも僕の神様ってなに!僕はなにに向かって・祈っているのか?