各地の本屋の店員が選ぶという「本屋大賞」を得て大ブレークした、三浦しおんの「船を編む」読んだ。なんとも面白かったが、考えることがある。「船」は大渡海という辞書だ。船を編むは、辞書を編むである。
一つは、好奇心が誘発される辞書を編纂する仕組みの面白さと、馬締光也という主人公や林香具矢、国文学者の松本先生をはじめとする登場人物が魅力的で、皆好い人なのだ。毎朝楽しみにしているNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」もいろんな事件が起こるが、登場人物は皆好い人、微かに危惧を覚える好い人大好きな現在(いま)の市井を僕は慮って(おもんばかって)いるのだ。
もう一つは、若き日を取り戻せないもどかしさ、今の僕だったら!という思いの一言である。
僕の建築家としてのデビューは、三十数年前に取手に建てた「赤塚忠(あかつかきよし)邸」だ。
手元に赤塚忠先生(東京大学名誉教授)が、西田太一郎、小川環樹各先生と編纂された「新字源」(角川書店)がある。
赤塚先生は、高校の同級生で仲良くなった赤塚孝雄(現山形大学名誉教授)の父親で、中国古代思想の研究者だった。赤塚孝雄を見ていると、歳とともに親父さんの風貌に似てきて、声やしゃべり方までもそっくり、孝雄君は言いたいことを言うが、親父さんは若かった僕のことを息子のように扱ってくださった。
親父さんにはこう言われた。
「これが兼松君の建築家としてのスタートになるのだから好きなようにつくってくれ!」。
思い起こすと涙が出そうになる。だって僕は70歳で亡くなった先生の歳を越してしまい、では己は先生の志に達したのかと・・・でもここではそれには触れず、もしいまの僕だったら先生に、辞書を編む、つまり「新字源」を編むことについて根掘り葉掘りお聞きしたかもしれない。でもそう思ってもせん無いことだ。
親父に触発されたのか、孝雄君は東京大学に行ったが文系ではなく、工学部計測工学の途を選ぶ。
情報工学、当時のソフトウエアや画像処理、つまりコンピューター検証の最先端研究に携わるのだ。東大から筑波大学を経て赴任した山形大を定年で退いた後、山形県立産業技術短期大学校の学校長に携わり、つい最近ここに移り住んだ。
彼の自邸となった僕のデビュー作は、コンクリート打ち放しの外観の中に、モダニズム建築全盛時に神のような存在だった白井晟一の呉羽の舎や、吉田五十八が多用したハッカケによる回り縁を範にしたり、或いは穴空けラワンベニヤやタモ柾ベニヤの目透かし貼り、壁の一部に渋い紅色を塗るなど、その時代に影響されている。
つい最近、些細なメンテナンスをしながら想うのは、若き日ではあったがディテールに気を配っていることに僕の建築への想いの原点がここにあるのだとの確認である。同時に、時代の最先端を目指す世に名を残す建築家とは違う僕のスタンスを視ることにもなるのだ。この一文を書きながら感じているのは、かたちとして残る建築は怖いということでもある。
孝雄君に聞くと、赤塚先生は「船を編む」に書かれているように、常に用例採集カードを持ち歩いていたという。時代が移り、採集カードはタブレットなどに取って代わっていくのかもしれないが、辞書は時代の最先端を担うのだ。方丈記を読んでいて電子辞書で「栖」の文字を検索したところ、岩波の広辞苑には現れず、もうひとつの明鏡国語辞典(大修館書店)にはあった。岩波文庫フェアでの一点、方丈記なのに!
辞書余話:若き日の痛恨はまだある。柏中学を卒業するときに市長賞を頂いたが、その賞品が分厚い辞書(辞書名失念)だった。それをほしいという友人に売ってしまったが、数日たって思いなおして返してほしいと頼んだら、転売したとのこと、彼はささやかな利を得たのだろう。
賞状はどこかにしまってあるが、辞書は時代を映す鏡である。今になってそんなことを悔やんでいる。
情けなや!
今になって思いますと、僕は建築家として最高のクライアントに恵まれてスタートしたのだと思います。お二人からのメッセージをもらってなおさらのこと実感、若き日のことばかりに目を向けたくはないというものの!
mさん、ところで「船を編む」は面白いですよ!
その長女は映画の鶴見中継所のシーンへエキストラとして(結果、映って無かったですが:笑)出掛けていったっけ・・・。
また記事の作品は新聞に紹介されていたのは覚えております。(読んでない:汗)
追伸
penkouさま
アプローチ、お送り頂きありがとうございました。
追追伸
好きなようにつくってくれ・・・
怖いですね!
後で自ら検証する羽目になると尚更!
若き日の、今になってその重さと稀有な出来事だったのだと感じ得るのですが!でもその一言は忘れていません。では・・・その僕は!
そんな一言を賜りたいような、遠慮したいような…(苦笑)。