JIA(日本建築家協会)は、僕の建築家としての社会活動の拠点である。振り返ってみるとJIAに入会すると決断した一瞬が僕の建築家としての自己認識の始まりだった。同時に「ひげ」を伸ばそうとの決意と重なる。その旨妻君に伝えたのは、何故か小諸あたりの高原だった。
そして想い起こすのは、JIAの保存問題委員会の委員長を引き受けた途端、国立西洋美術館で行った日本で初めての免震構造に関するセミナーの開催を前委員の一人から要請されたことだ。西洋美術館のあり方を検証する委員として関わった鈴木博之東京大学教授に基調講演をお願いしてそのメンバー構成の相談をしたのが17年前になる1997年だった。それが鈴木教授との出会い。それ以降JIA関連のシンポに出ていただくなど鈴木教授との信頼関係が築かれていき、DOCOMOMO Japan創設を共に担うことになる。
と書いてきたのは前段。
数多くの建築の保存活動に関わってきた経緯を「新建築家技術者集団」(新建)の機関誌「建築とまちづくり」に連載することになった。その切っ掛けは、東京中郵での保存活動を共にした新建の編集者小林良雄さんからの要請だった。
そしてJIAでの「建築家写真倶楽部」を共にしている広報委員の岡本寛さんからの打診を受け、新建の了解を得て、この「建築保存物語」をJIA関東甲信越支部のHPに転載することになった。写真の構成やカラーでのUPなどを検討し、冒頭に「はじめに」を書いて記載し、第一稿は、僕が保存に関わる切っ掛けになった母校「千葉県立東葛飾高校」である。
是非ごらん戴きたいとおもいます。検索するのは結構厄介、下記にて試みていただけると嬉しい。
JIAを検索(このブログにリンクしている僕の事務所のHPからJIAを検索すると出てくる http://www.kt.rim.or.jp/~kk01-kad/でも可)、右側の関東甲信越支部を検索、タイトルの右手にある「市民向けサイト」をクリック。左側にある「建築ガイド」をクリックすると「建築保存物語」が現れます。
是非お試し下さい。
―余話―
ちなみにJIA九州支部HP冒頭には、僕の撮ったDOCOMOMO100選に選定した九州の建築の写真をトリミングしてレイアウトされ記載されています。
<スケッチ・「建築保存物語」の第一稿、母校の無くなってしまった校舎>
イギリス在住の若き友人との交信が苦もなく出来るのは嬉しいものですね!JIAのHも見てくださったとのこと、嬉しいことです。分かりにくいので、HPの宣伝をしなくてはいけませんね!