10月11日の夕刻、日本青年会館中ホールで行われた「新国立競技場案を 神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」と題したシンポジウムに出かけた。
7年後に行われる東京オリンピックのために(コンペ時点では、東京開催が決まっていなかったので、オリンピック開催を目指してと言い換えたほうがいいかもしれない)、国際コンペを行い選出された巨大なザハ・ハディトの「新国立競技場案」に対して、槇文彦がコンペ要綱自体とこの提案について疑念を持ち、JIAの機関誌「JIA MAGAZINE」8月号に寄稿されたエッセイ(論考)が建築界に大きな波紋を投げかけて急遽開催されたものだ。
僕は開催時間のほぼ1時間前に会場に出向いたが、既に入り口の階段にずらりと人が並んでいて渡された整理券のナンバーは199番。会場に入ると350席とされた座席の大半が埋まっていて、後ろのほうの通路側に腰掛けた。前の座席に植田実夫妻など数名の知人がいる。
座れなかった大勢の人が会場の三方の壁に2列に立ち並び、近くのJIA会館のホールで配信された映像を公開する会場も満席になって入れなくなったと開催の前に伝えられて、会場がざわついた。TVカメラが数多く羅列し、報道陣も多数会場につめかけてくれたようだ。
パネリストは、建築家槇文彦、建築史・都市史の陣内秀信法政大学教授、社会学者宮台真司首都大学教授、建築家・大学東京教授大野秀敏、進行役(コーディネーター)を担う.JIA MAGAZINEの編集長・建築家古市徹雄千葉工大教授で、総合司会は槇総合計画事務所OBで、槇の設計したヒルサイド・テラスに事務所を持つ東京藝大教授の元倉真琴である。
槇文彦の論旨は、JIA(日本建築家協会)のHPで上記「JIA MAGAZINE」8月号を検索すると検証できるが、このシンポジウムで槇がさりげなく述べた下記一言が気になった。
国際コンペであるにもかかわらずこの地域の持つ歴史的文脈の説明がなく、模型提出も求めず、人の目線で見るパース(透視図)の要請もないコンペ要綱、また得た建築賞を列記するなど新人建築家への道を開き難い応募資格などをみると、要綱を策定した組織に対して、意図的に「情報をコントロールする操作がなされたのではないか」との懸念である。~文中敬称略~ (以後次項)
国立競技場(!)のコンペ要領が槇さんのおっしゃるとおりだとしたら国は何を考えているのでしょう・・・???
まさに国民、国家の財産を作る、100年後にも残るかも知れない首都の風景を作るという壮大なプロジェクトなのに。
追伸
本、お借りします!頑張って読みます!