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「日本にとってもっとも大きな脅威は北朝鮮でも中国でもなく、アメリカである。」
そして、今、日本の外交はひどい状態にあって近隣のどこの国(中国、韓国・北朝鮮)ともうまくいっていない、と続けて「自衛隊はアメリカの傭兵と化して世界各地へ送り出される」。
「これからの五十年を考えてみれば、日本が立つべきはアメリカの陰の中ではなく、アジア諸国とアメリカ合衆国とヨーロッパと途上諸国のすべてから等距離の位置である」。・・・「その基点が現行の憲法九条だ」。
こう書いたのは池澤夏樹である。
「虹の彼方に」とタイトルをつけたこの著作は、2000年から2006年のまでの間に、月刊「現代」や他の新聞や雑誌に寄稿した文章(コラム)を集めたもので、本稿は2005年の「諸君」六月号に起稿した一文の中から抜粋したものである。小泉純一郎政権の時代だった。
池澤はこう続ける。
「『集団的自衛権』とは要するに、徒党を組んで力の対決でことを決めるということで、実際にはボスに従うチンピラに成り下がるわけだ。この集団の中は決して対等ではない」。
そしてこの項を池澤らしくこう閉じる。アイロニイだ。
「アメリカを見ればわかるとおり、世界の警察を自称するのは危ない。では世界の消防を担うのはどうか。どこが違うかと言えば、消防士は銃を持たないのだ」。
北海道室蘭出身で、ギリシャに移住したことのある池澤は、日本を見るために沖縄に移住、その後フランス、札幌へ移り住んで世界と日本を見ている。
この著作のあとがきに「時代について書くことは、その先を予想することでもある」と記し、外れたものもあるが、`残念ながら`当たってしまったものもある`と「残念ながら」と書き添えるところに胸が騒ぐ。あとがきは本稿を書いてから2年後。しかし初出から9年経った現在、本日、まさに池澤の指摘が実体化されることに黙してはいられなくなる、僕の思いを池澤の、この9年前の想いに託して(引用させてもらって)ここに記す。
ところで、2007年7月、札幌と書かれたあとがきの最後の一言は「この先の7年はもっといい時代だといいけれど」。
さて池澤は、奇しくもそれから7年経った2014の6月の末、昨今のこの事態をどう捉えているのだろうか!
<文中敬称略>
そして、今、日本の外交はひどい状態にあって近隣のどこの国(中国、韓国・北朝鮮)ともうまくいっていない、と続けて「自衛隊はアメリカの傭兵と化して世界各地へ送り出される」。
「これからの五十年を考えてみれば、日本が立つべきはアメリカの陰の中ではなく、アジア諸国とアメリカ合衆国とヨーロッパと途上諸国のすべてから等距離の位置である」。・・・「その基点が現行の憲法九条だ」。
こう書いたのは池澤夏樹である。
「虹の彼方に」とタイトルをつけたこの著作は、2000年から2006年のまでの間に、月刊「現代」や他の新聞や雑誌に寄稿した文章(コラム)を集めたもので、本稿は2005年の「諸君」六月号に起稿した一文の中から抜粋したものである。小泉純一郎政権の時代だった。
池澤はこう続ける。
「『集団的自衛権』とは要するに、徒党を組んで力の対決でことを決めるということで、実際にはボスに従うチンピラに成り下がるわけだ。この集団の中は決して対等ではない」。
そしてこの項を池澤らしくこう閉じる。アイロニイだ。
「アメリカを見ればわかるとおり、世界の警察を自称するのは危ない。では世界の消防を担うのはどうか。どこが違うかと言えば、消防士は銃を持たないのだ」。
北海道室蘭出身で、ギリシャに移住したことのある池澤は、日本を見るために沖縄に移住、その後フランス、札幌へ移り住んで世界と日本を見ている。
この著作のあとがきに「時代について書くことは、その先を予想することでもある」と記し、外れたものもあるが、`残念ながら`当たってしまったものもある`と「残念ながら」と書き添えるところに胸が騒ぐ。あとがきは本稿を書いてから2年後。しかし初出から9年経った現在、本日、まさに池澤の指摘が実体化されることに黙してはいられなくなる、僕の思いを池澤の、この9年前の想いに託して(引用させてもらって)ここに記す。
ところで、2007年7月、札幌と書かれたあとがきの最後の一言は「この先の7年はもっといい時代だといいけれど」。
さて池澤は、奇しくもそれから7年経った2014の6月の末、昨今のこの事態をどう捉えているのだろうか!
<文中敬称略>
いつか来た道、それは進化していない証拠。
人間自体が進化していないのだから仕方ないのかも知れませんが・・・某政権与党の抵抗が少なかったところを見れば、やはり与党、政権、つまりは決定権と実効性を持つ「権力」の魅力は何物にも代えがたいのでしょうね。
ファイアーマンの友人は居ませんが、生命救出や防災活動においてどの国のファイアーマンも同じような使命感と明確な目的で行動できる点では一致しているのでしょう。
集団的・・・ って言葉自体が逃げのような気がします。
なかなか難しい問いかけですねえ!
日本は隣国と接しておらず、また、よく日本民族が云々という言い方がされたり書かれたりしていますが、親しい文化人類学者によれば、それは間違いで日本民族は存在せず、民族間紛争の多い諸国と根本的な課題が違うのだと思います。
繰り返しになりかもしれませんが、僕の父はフィリピンで戦死して遺骨もありませんが、今の政界を眺めていますと、政界とは戦争でいい想いをした人たちの集団だといいたくなってしまいます。