イスタンブールでの「ベラ・パラス」、アンカラの「ラディソン・サス」そしてギヨルメ村の洞窟ホテル「ケレベッキ・ブティック」が僕の泊まったホテルである。どれも知られている一流ホテルだったことはコトバの不自由な僕にとってはありがたいことだった。予約してくれた藤本さんに感謝しなくてはいけない。
ベラ・パラスでは航空券を見せて「リコンファーム、プリーズ」を繰り返したところ、しょうがないねという顔をしながら、それでもにやりとウインクしてトルコ航空へ電話してくれた。旅行社のいない一人旅のリコンファームは結構厄介なのだ。まずトルコ航空を探すところから始めなくてはいけないからだ。
ラディソン・サスでは僕のしどろもどろの英語に困惑しながらもちゃんとバスの席、それも窓際を取ってくれた。
ケレベッキ・ブティックでは翌朝フロントのおばちゃんがニコニコしながら僕を招く。何だと思ったらノートパソコンに日本語のメールが来ているのだ。心配した藤本さんからの大丈夫か?と言うメッセージ。なんと日本語のフォントがPCに入っているのだ。いやいや皆僕が一人で大丈夫かと心配してくれている。うれしいやらなんとも情けないやら!
アール・ヌーボー装飾に満ちたベラ・パラスはアガサ・クリスティの定宿として知られているが、グレタ・カルボやマタハリのネームの掛かっている部屋がある。ぼくの部屋には、モンテネグロの首相が泊まったようだ。
物珍しげにプレートをたどっていたら年輩の男性が現れて手招きされた。共和制を築き上げた近代トルコ建国の父「アタチュルク」の部屋を案内すると言う。
アタチュルクの泊まったことがベラ・パラスの誇り、ステータスになっているのだ。部屋には様々なパネルが展示されている。見入っている僕をうれしそうに見ながらもなんとなくもじもじしている。そうだ、チップだ。ポケットを探ってあせった。金がない。コインなど在るだけのお金を渡した。その様を可笑しそうに見ていてそれでもニコニコしてうなずいてくれた。後日篠田夫妻が「アタチュルクの部屋を見たぜ」と言うので僕も、と言ったら40YTLだったという。えーっ僕は7YTLと返したら愕然としていた。どんなもんだい!
アンカラからもどって再度泊まったベラ・パラスの今度の部屋は最上階、屋根裏部屋風でなかなかよろしい。チンとベルを押すとボーイ(おじさんだけど)がエレベーターを動かしてくれる。そのエレベーターの籠はアールヌーボースタイルの鉄のバーでできているのだ。
「ラディソン・サス」は最新の超高層ホテルである。地下鉄ウルス駅に隣接しているし、アンカラ城へも歩いていける便利な場所にある。
初日は予約どおりツインベッドルーム、ギヨルメから戻ってきてどっちにするかと問われたので、これも体験だとラージベッドルームを選んだ。それがなんとも・・風呂がなくシャワールームのみ、それが透明ガラス張り、いわゆるその手のつくりなのだ。コンベンションルームもある大ホテルの部屋がねえ、と世界は変われど男女の世界は変わらないものだとなにやら安心した。
やることがないので部屋に入った。だんだん薄暗くなっていく。バスもトイレも奥にあるので真っ暗だ。何しろ何だかわからないけど電気が来ないのだ。まあしょうがないやとベッドで横になる。20分ほどボートしていたらぱっと電気がついた。見上げた天井のライトアップされた鑿(のみ)の跡が突然現れた。ああこれが洞窟ホテル。ニコニコしたおばちゃんのいるアットホームなホテル、カッパドギア・「ケレベッキ・ブティック」だ。
<写真 洞窟部屋とフロントのおばちゃん>
「生々しい」ありがたいお言葉。でも`たどたどしい`(笑い)でしょうかねえ。自慢になりませんねえ(苦笑)