日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

生きること 補遺(2) 仙台陸軍飛行学校からのはがき

2015-09-02 16:54:37 | 生きること

ブログ「生きること」は、2006年6月、92歳になった母が入院し、翌2007年の元旦に没するまでのほぼ半年の間、主として「吾児の生立」という僕の育児日誌(三省堂)をめくりながら書き連ねてきた。そして母が没したその年の8月、韓国の大邱(デグ)に行って考えたことなどを補遺(1)として追記した。

時が過ぎ逝くのはどうしようもなく早い。それからなんと9年を経てしまった。その間弟を含めて親しくしていただいた多くの人を見送ることになり、生きることの無常と我が身の行く末を考えたりする。そういう歳にもなったのだ。
というのが前段。今後ブログ構成に少し手を入れて、改めて「生きること」を考えてみたい。

母が逝った後気がついたが、仏壇の引き出しに従兄から来たハガキがあった。
僕の父宛である。消印が薄れていて月日が読み取れない。送り先は杉並の2軒長屋、僕の生まれた家。仙台陸軍飛行学校の検閲済の捺印がある。

「・・・此の度目出度く凱旋の由お喜び申し上げます」とあり、「小生も仙台に来てより益々元気に奉公しております。」(中略)「紘一郎君始め皆大きくなられたことと思います。近頃会社の方はいかがですか。時局がら非常にご多忙のことと思います。優秀なる成績にて教育を終えられた由ですが、商売柄お得意のことでしょう。ここ仙台も非常に暑く、汗を流しながら訓練を受けております・・・」。

赤紙で召集されてフィリピンで戦没した父が、教育実習を受けたことに母は一言も触れていない。
何故だろう。
ちなみにこのハガキを送ってくれた従兄はそれなりの歳を迎えているが健在。僕を含めた家族はこの従兄(従兄の母は僕の母の姉)にずいぶんと支えられて生きてきたことを改めて思う。