日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

子規の「墨汁一滴」を傍において

2012-11-17 22:29:31 | 日々・音楽・BOOK

「人が生きる」ということはこういうことなのだと、この正岡子規の「墨汁一滴」を手にしながら呻いてしまう。
俳号の「子規」は`啼いて血を吐く時鳥`と言われた時鳥(ホトトギス)のことで、明治21年喀血した21歳の子規は肺病名を号としたのだ。僕たちは墨汁一滴や「病床六尺」を手にするまでも無く、俳号によって子規の覚悟を想うことになる。

墨汁一滴は、子規が34歳で没した1年前の明治34年1月16日から7月2日まで、社員であった新聞「日本」に164回にわたって連載された。
ただの一行の場合もあるし、論考を突き詰めた長文の記述もある。エッセイと言えばエッセイだが、既に子規のさまざまな活動によって俳句の新しい世界が築かれていくことになった子規の、この連載の何処を切り取っても子規だと感じ取ることになり、121年を経た今なお、多くの人の心を打つことをどう書けばいいのだろう。

自らの二句を取り上げて`月並み調に非づや`と問い、弟子碧梧桐や古人など幾つもの例句を上げながら、芭蕉の一句にも時代を考えると気の毒だが今日より見れば「無論月並的の句なり」と書き記す。
また子規は短歌の人でもあり、`明星`に記載された落合直文の短歌には、繰り返し論評、つまり認め得ないと非難を繰り返すのだ。容認すると`うたの世界`がおかしくなるという想いが読み取れる。寝返りもできない苦しさを面々と述べたりするその何処に、何があるのかと、そして、それが生きることだと言わざるを得なくなる。

10月21日松山から帰京の折、ぶらぶらと空港内を歩いて立ち寄った本屋で、つい「子規百句」(創風社出版の文庫本)を買ってしまった。
子規の名とおおよその経歴は知っているが、知っているがために子規の句を、子規の病や松山から根岸に移住したこと、漱石や弟子でもある虚子や左千夫との交流の中でしか読み取れなくなることになる。それでいいのかという思いが無くもなかった。
しかしこの子規百句では、詳細な経歴が記載されていて改めて子規の一生を思うことになる。だが揚げ句(百句)の中ででも病との関わりによって読み解く例が多くてちょっとうっとうしくなっていたものの、大早直美氏がこう書いていることにほっとした。
「作品となった時点で俳句も作者から離れ独立して鑑賞されてよいと思うが」とあり「この句により子規の境遇を思わずにはいられない」とつなげる。揚げ句は、「柿食うも今年ばかりと思ひけり」。柿は子規の好物なのだ。
僕は俳句には疎いし時代背景にも詳しくは無いが、人の生きることを考えることが僕の生きることのような気がしていて、子規が僕から離れないのだ。

岩波文庫フェアのプレゼントがほしくて買った三冊は、「方丈記」「いきの構造」とこの「墨汁一滴」である。
そもそも文学作品は(と意気込むことでもないが)人の生きることを捉えるものだと思うが、この機会に古典を読もうと思ったのだ。
方丈記(本ブログ6月10日記載)はともかく、墨汁一滴も九鬼周蔵の「いきの構造」も既に古典と言っていいと思う。プレゼントのブックカバーは僕の好みではなかったが、同封されていた岩波文庫編集部編の「古典のすすめ」と言うエッセイ集がなんとも面白い(非売品です)。でもそれは置いといて、「いきの構造」は読みこなしきれないまま片付けていた本棚のどこかにしまいこんでしまったようで見つからない。「粋」と言う一言が一番気になっていたのに。

「雲かくれ九鬼周蔵のいきは何処」。 お粗末な戯れ句なり。

(写真 本文とは直接の関係がありませんが、光が気になる朝の新宿公園の一齣です)