日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

東北を・・(7)創ること 地に馴染む隈研吾の森舞台

2012-11-03 23:28:38 | 東北考

岩手県との県境に近い宮城県登米市にある森舞台(伝統芸能伝承館)に行った。この地に伝わる薪能や神楽、とよま囃子(登米市の市内にある登米まちは、とめではなくて、とよままちという)などの伝統芸能を奉納する能舞台である。
この能舞台と見所などを設計した隈研吾はこう述べる。
「舞台と橋掛かりの前の白洲という場に、奥に拡がる森の闇に繋がるように黒い砂を敷きこんだ。そして資料館を左手の下につくり、段々になったその上に小さく砕いた黒い石を敷き、その段のエッジステンレスのバーで押さえ、黒石を水に見立てて水上の能舞台にした」。

水上能舞台の伝統様式を継承して能舞台の下には腰板を張らなかったという。覗き込むと舞台の床の音響のために置いた甕が見える。1996年に建ててから18年を経てこの能舞台は、舞台の奥に千住博が描いた老松と若竹鏡板とともにくすんだグレーに変色し、すっかりこの場の自然環境に馴染んでいる。栃木県の馬頭町にある広重美術館の変色した木々と同じ光景だ。

隈さんはこの建築で建築学会賞を得たが、舞台と広い回廊のシャープな庇のある見所との間の黒い砂には、二つの向かい合うものの間にある亀裂が建築を創るときの原型としてあって、ここでもそれを意識したという。言わんとすることは、この時を経てきた能舞台によって地に馴染むながらも、僕の中にもいつもある「風土」を建築と言う形にしていく時の言語として得心するのだ。

この「東北へ・・」のシリーズの冒頭に書いたが、ここを訪れたときに気仙沼の小学校の生徒たちが先生に引率されて訪ねてきていて、見所の縁側に座り込んでわいわいとはしゃぎながらお弁当を食べていた。
帰るときに資料館にいる僕たちをガラス越しに覗き込み、笑顔で手を振る。その楽しそうな姿になんともうれしくなったが、先生と管理をするおばさんに聞くと、この中には仮設住宅に住む子が居るのだと言う。一瞬言葉が出なかったが、バスが見えなくなっても、伸び上がって手を振り続けていたおばさんの姿に涙が出そうになった。

この建築は、地元の能楽など伝統芸能を継承していく人たちだけではなく、この地域とその周辺の人々の大きな支えになっているのだろう。
感じ取るものが沢山あり、思い立ったら出かけることだと改めて思ったものだ。

<追記>
友人mさんからのコメントに返信を書きながら感じていたのは、隈さんが、裏の森の闇とのつながりの中で水に見立てた黒い砂や石に浮かぶこの能舞台の魅力とその真髄は、夜に行われる薪能を見ないと味わえないないのではないかというおもいなのだが、さてそういう機会をつくることはできるものか!