日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

宮城県女川町被災と 風評は風評であってほしい

2012-03-18 12:13:23 | 建築・風景

思いがけず「女川海物語」の著者小岩勉さんからコメントを頂いた。
その一言一言に心が打たれ、許可を頂いて全文をここに記載したいとも思ったが、まず前項のコメントを開いて読んでほしい。
「出版当時から話題にもならず、売れる訳も無く。また、この本が売れるようなことがあるときは、おそらく女川に良くないことが起きたときだろうと思っていました」。小岩さんが30歳のときの複雑な(でも的確な)想いである。
そして津波に襲われ、原発に脅えることになった1年後の3月11日、僕がささやかな一文を書いた。遠くからこのようなエッセイしか書けない僕が心を打たれるのは続く次の一節である。

「(女川の)市街地とほとんどの集落は壊滅してしまいましたので、本も家とともに流されてしまいました。昨年の秋から女川を訪ね、直接あるいは人づてに、幸いにもたくさん残っていたこの本を仮設住宅に届けています」。

女川の人々の、この本を手に取ってページをめくり、涙をこらえて20年前に見入る姿が目に浮かぶ。僕は女川原発のHPを見て(安全に)自動停止していると皮肉を込めて(不遜だろうか?)書いたが、小岩さんの「・・間一髪止まったというのが本当のようです」という一文に震撼とし、事故にならなくてよかったとホッとしたが、やはりとも思った。

それなのに、こともあろうにこの3月11日の野田首相は、停止中の福井県おおい町の関西電力大飯原発の再稼動に首相として率先して邁進すると述べるのである。福島原発で水素爆発が起き`あちゃあ`という顔をしたと朝日新聞の「プロメテウスの罠」で暴露された水素爆発は起こらないと断言していたあの斑目春樹(現)内閣府原子力安全委員会委員長でさえ、一次評価だけでは不十分と述べていたにもかかわらず。
原発の町に住む人々の生活の糧と不安は、沖縄の米軍基地に隣接する住民の糧に通じる課題だということは分かる。しかし人間が引き起こし人間が制御できないことを人間がやるべきではない。怖い。

「不退転」だという。野田首相の不退転は=(状況がどうあれ)聞く耳持たず!ということになる。人は誰しもさほど高邁ではないのだ。今日(3月17日)、細野環境大臣は、風評が現実になった場合は、政府が責任を持って対処すると生き生きと、一見格好良く宣言した。しかし聞いたこともなかったベクレルやシーベルトという言葉(と数値)が当たり前のように蔓延し、安全だといわれても本当に安全なのか?との不安がことに現地の人々の心のどこかに在るのだと察する。つまり本当に安全かどうかよく分からないのだ。細野のこの一言は、風評は風評(うわさ)ではなく現実に起こりうるのだと吐露したようなものだ。

爆心地から500キロ離れていた第5福竜丸の久保山さんの死と、先だって放映された原爆実験(1954年)にされたビキニ環礁の廃墟ともいえる珊瑚礁の海中に、58年を経たいまでも生き物がいない映像を忘れ得ない。原爆実験と原発事故とは違うとはいえ・・・風評は風評、単なるうわさであってほしい。

結局小岩さんの許可を得ないまま、大方の文章を使わせてもらった。
帯に、`海辺に生きる人々`と記載されている「女川海物語」はネットで調べていただくと購入できるようだ。大勢の人々に手にとってほしい。各地の図書館での公開はできないものだろうか!