日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄旅(5)余話:「女川海物語」―被災を受けた宮城県女川町―

2012-03-11 17:22:24 | 沖縄考

本棚に「女川海物語」(カタツムリ社刊)という写真集がある。
1962年に岩手県一関に生まれ、宮城教育大学を卒業して仙台に住む、後に写真家になった小岩勉がちょうど20年前になる1992年に発表したものだ。その隣に木戸征治の「家族原点」(1986年晶文社刊)や、北井一夫の「村へ」(1980年淡交社刊)が並んでいる。そのどれもが「村」(或いはまち)に住む人の姿を捉えた写真(写文)集である。

3月11日の今日、「女川海物語(おながわうみものがたり)」をめくりながら、なぜこの本がうちにあるのだろうと考えていたら、一通の封筒が挟み込まれていた。印刷を担当した知人が送ってくれたのだ。
「小社で出来上がった自費出版の写真集を送るとあって、写真の芸術性はよく分からないが、写真集には印刷適正に優れているアート紙を使用すべしという固定観念を持っているものの、作者の指示によりこの本には上質紙が使われているために、シャドー表現が豊かでない。勝手に送ってくる本にはつまらないものが多いといわれることもあるので、この本もその中に入ってしまうのではないかと心配です」という文字が連ねてある。
そんなことはない。よく送って下さったと20年前を思い起こしてお伝えしたい。

当時の社会に衝撃を与えた北井のアクティブな「村へ」は、コントラストの強い写真で、木戸の「家族原点」も上質紙による粒子の粒が魅力的なモノクロ写真である。
「女川海物語」の写真は平坦な淡い色調のモノクロだが、だからこそ `内陸の山村で育った私に、違いとしか映らなかった浜の暮らしは、今も残る山村となんら代わりのない人と人とのつながりがあることを知ったころから、違いではなくなっていた` と、3年間に渡って淡々と撮った写真のあとがきに書くことになったのだ。
でも改めてあとがきを読み始めて衝撃を受けた一文を書き留めておきたい。

小岩はこう書き始める。
「女川通いで泊めてもらった家の中で、放射線警報機を置いている家が一軒だけあった。二十四時間スイッチを入れっぱなしの警報機は、ときおり環境中の微量の自然放射線を感じてピピピピ・・・と鳴り出し、やがて止まる。(中略)なかなか寝付けなかった。・・・もし鳴り止まらなかったらすぐに逃げなくてはならない。そしてもうこの土地に戻ってくることはできないのだと。原発のある町で暮らすということは、そういうことでもあるのだとそのときはっきり感じた。」

小岩は女川の日常をゆっくりとみてみたいと思ったという。そして二十年以前の(つまりいまから四十年以上前からの)原発建設計画が持ち上がったころから現在までのことを聞き取ることになる。

「原発つくるって話があったが、みんな反対だった。そのうち電力の社員が毎日隠れて家を回るようになってなあ、一軒一軒・・・・十年ぐらい前、女川漁協が切り崩されたことから、この浜も危なくなってさ・・・原発が来たことで、昔からの浜の人間関係をむちゃくちゃにされてしまったんだよ。反対したのがよかったのか、そうでなかったのか・・」

しかし、小岩はこうも書く。20年も前に!
私が暮らしている環境とは違って、女川のみなが言う苦しい話を誰かが側で、黙って或いはうなずいて聞いていることだったと。「たすけあって生きるということは、迷惑を掛け合って生きることでもあるということを、ずっと忘れていた。いつからか、迷惑をかけあうことを恐れてた暮らしを続けてきてしまった自分に、そのとき気がついた」。

女川町は津波で大変な被災を受け、発する言葉が僕にはないが、女川原子力発電所は震災を受けたが予定通り(安全に)自動停止していると報じられている。

この一項を「沖縄旅」の余話としてあえて書きとめておきたいのは、1年前の3月11日を思い起こし時の経つのは思いがけなく早いと思うものの、僕自身のことも含め生きていくことに予測のできない(野田政府は何故かいち早く終息したと宣言したが)また収束の難しい様々なことがおこるものだという思いに駆られるからだ。

自然と向き合いそれでも自然と共存することを内に秘める東北(地震被災を受けた長野栄村も)の方々を想いながら、人知を尽くした(旧)沖縄少年会館を4000万円の費用をかけて壊して駐車場にし、費用がないのでメンテナンスが出来なかったとして久茂地小学校を取り壊し、那覇市民会館(ドコモモで選定した)を取り壊して久茂地小学校の跡地に新築するというその行為と重ね合わせておきたい。

那覇市には、修復する資金はないが、取り壊し新築する費用はあるのだということなのだろうか。
人の生きることの大切なことを、そして生きるとは何かを沖縄の人とともに考えてみたい。

<写真 那覇市民会館>