日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

東日本大震災の中で:神奈川県海老名の自宅から

2011-03-13 14:29:32 | 建築・風景
昨土曜日の朝海老名の自宅に戻り、時折起こる余震を感じて(揺れるたびに小さいが建物のどこからか軋む音がする)いつまでも体が揺れているような気がしながら、津波に押し流されて街がなくなっていく凄まじい様を、テレビの映像で繰り返し見た。言葉がなく、溜息をつく間もなく自然災害の恐さを実感した。

JIAには災害対策委員会が設置されている。緊急委員会として指揮系列を決めたようだ。少し若く頼りになる親しい建築家も委員として事務局に行き、関東各地にいる委員とは通信審議をしながら緊急対策を探っているようだ。何より現地対策本部を設置したJIA東北(仙台の)現地の様子が気になる。この僕に何が出来るかとも思うが、結局支援実務活動は何もできないとしても、JIAの活動に対してささやかであってもせめてもの義援金寄付をすることにする。

一昨日の地震の直後、市谷の会社にいる娘から大丈夫かと電話が入った。今になって思うと、そのときはまだ電話が通じたのだ。携帯電話が通じない。電話はともかく緊急時に携帯が通じないのは、何のための携帯なのかと思う。
4時から丸の内で欠かせない会議があって、3時には事務所を出ようと思って書類などの確認をしていた。そのあと関連の会合を東京駅駅舎工事事務所の会議室を借りて6時から行う。そこへ大きな揺れが来た。

たまたま事務所に来ていた妻君が、慌てて入り口の扉を開けた。書類ファイルや本が棚から降ってきたが、僕は妻君が使っているPCがグラグラ揺れているのを抑えながら一瞬パニックになった。自転車に乗って近くを走っていた元所員が事務所に飛び込んできた。地面の揺れに走らせるのが危ないという。

交通機関が全て不通になったので、丸の内には行けない。かたずけが何とかなって、明日からの栃木県大谷で一泊二日で行うJIA保存大会が気になってJIAへ電話したが通じない。思いついてメールをしてみた。届いているような気がする。
夜になり、一緒に会議に出席することになっていた鈴木博之教授からメールが入った。地下鉄が動かないので(会議はあきらめて)青山から自宅まで途中で食事をしたものの5時間歩いた。5時間も歩ける、元気なのだとちょっとほっとする。

その僕は11時近くになっても小田急線開通の報がなく自宅に帰れないので新中野の娘のところに歩いて行くことにした。娘は市谷から2時間半青梅街道を歩いたという。人が一杯で追い越せなくて!夜の青梅街道が人が一杯というのは異常だといっている。そして妻君より僕の足を心配している。
若い女性所員の帰宅が心配なので、皆で事務所に篭城するというメールが建築の友人たちから入った。タイトルは、「皆様大丈夫ですか?」

気象庁からマグニチュードを8.8から9に修正、断層が3回に渡って破壊した、3日以内ににマグニチュード7(震度6程度)以上の余震の起こる可能性が70%あると発表された。中国やドイツなど各国からの支援活動が始まった。なんだか涙が出てくる。
春の日差しに溢れている日曜日、岡崎にいる妹から仙台に長期出張していた長男が横浜に戻っていて安心した、そして深川の昨年末没した弟の連れ合いから電話が入り妻君がでた。身体の揺れが止まらないような気がするという妻君は、横浜の姉に電話した。札幌の友人からもメールがきた。

<追記>今朝14日、東電の輪番停電(計画停電)の影響により、小田急線が不通になって事務所に行けない。都心に通う大勢の方も困惑しているだろう。昨日のテレビや今朝の新聞でも停電の報はあったものの、交通機関不通の情報提供がなされなかった。明日からもどうなるかわからないという。情報を得られない被災地の方々からの訴えと不安のほんの一端に触れた思いだが、緊急事態ではあるとはいえ、やはりこんなことでいいのかと不安を覚える。ここ海老名、このコメントを書きながら微かな余震を感じている。