日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

一週間 大震災の復興を考える・カレーライスの味と浦霞

2011-03-20 12:39:36 | 建築・風景

震災の起きた翌朝、暖房のない電車で震えながらに帰宅してから土、日の2日間、そして聞いたことのなかったコトバ東電の「計画停電」によって電車が不通になった月曜日と火曜日との計4日間、自宅で依頼されていた原稿などを書いた。日頃からあなたは集中力がないね!と妻君に言われていてその都度そうだねえ!と頷くのだが、何かをやりだすと他の何かが気になって、何時もどうしたものかと思ってしまう。とはいえこの4日間は流石にTVに集中してしまい原稿が遅々として進まなかった。

一週間経ったが、家屋が押し流されていく津波の画像がこびりついていて、この事実に触れるのは不謹慎のそしりは免れないかもしれないが、鉄筋コンクリートの建物の屋上に乗っている大きな船の様を見ると、この災害は夢ではないのだと、そして舟の重さに建物が必死に耐えているなどと思ってしまう。

昨日身一つではあっても避難できた人々が一村ごとまち役場機能と共に仮移動した埼玉アーリーナに着いた。原発のある福島県双葉まちの人たちだ。一週間経つと又別の場所に移らなくてはいけないのだと聞くと言葉が詰まるが、風土を一にした人々が一緒にいれば心強く、復興のあり方の相談もしやすいだろう。「こんなに美味しいカレーライスを!」と涙汲む女性を見ていてついもらい泣きしてしまった。
別の画面では取材した記者に対して言葉に詰まった男性が、涙をグットこらえながら笑って皆で酒でも飲みたいと述べる。
酒! 先程僕が買ってきた日本酒は宮城県塩甕市の「浦霞」。純米酒人間の僕だが何だか申し訳なくて本醸造にした。浦霞は大好きで時々「禅」を飲んだりするのだが、本醸造であっても旨いというのを知っているのだ。醸造蔵の壁の一部が落ちたり、津波の被害があったが社員の無事が確認でき、お見舞いのお礼と共に復興を目指すとHPに記載された。

僕の原稿の一つは、多分もう二度と出来ない保存活動の記録と報告「東京中央郵便局庁舎の顛末」。歴史は主観性を交えて書いてはならぬ、と塩野七生はいうが、僕は主観的に書くとあえて書き記した。昨日入稿できたのはwebTOKAIの、DOCOMOMOメンバーによって書き綴る`日本のモダニズム建築を訪ねる`というシリーズ第2話の、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に建つ「神奈川県立近代美術館 」である。

書きながら考えていたのは、鎌倉の「近美」は内山岩太郎という当時の神奈川県知事が、終戦6年後の1951年、戦争で疲弊したまちと人々の心の拠りどころをつくろうとして、つまり復興を願って建てたのだということである。設計した坂倉準三は、師ル・コルビュジエの建築思想「人間の幸福のために建築を創る」を受け継いで僕たちの心を震わせるこの美術館をつくったのだ。

一昨日の夜、親しい建築家、篠田義男さんや小西敏正宇都宮大学名誉教授にJIAに呼び出された。二人はJIA本部の「災害対策委員会」の委員として今回の震災対応に取り組んでいる。集まったのは8人、意見を交わしながら震災災害救援実務作業には関われないかもしれないが、復興に際しての建築文化を継承することに関して、僕でも出来ることがあると思った。
この状況の中でも、急がなくてはいけないことがある。

昨夜のTVで、原発に放水作業を行った消防隊員隊長の記者会見を聞いていて胸が迫った。見えない敵放射能は怖い。
さてっと、もう一本の原稿がある。参考資料としての事例報告資料収集と整理に手間取って、この2日間でまとめなくてはいけない。愛媛県鬼北町庁舎の再生委員会の報告書である。建築文化継承のための報告書だともいえる。