三十数人の見学者と共に、幻庵の石山修武の言う「茶室」に座り込み、白い壁に映りこむ窓の影を見ながら僕は、`居心地のいい` と言うコトバを反芻していた。
このコトバは、先月早稲田大学の大教室で行われたハイデガー・フォーラムで隈研吾さんの発表の司会をやった時に、前講者Nさんの発表に対して僕の前の席の女性が立ち、荒川修作の`三鷹天命反転住宅`を例に引いて、荒川修作は「住む」という行為を、生きることに対して常に刺激を得る場であるべしとしてこの共同住宅をつくったが、わたしは「居心地がいい」ことが住いの原点だと思うのだが、建築家のあなたはそれをどう考えるか?というものだった。
回答するNさんは戸惑い、アリストテレスが云々と繰り返し、質問者はそんなことを聞いているのではない!と声を荒げ、奇妙な空気が一瞬満席の会場に漂い、いやこれは面白くなった!と思ったものだ。
このフォーラムは哲学者ハイデガーが1951年にドイツで行った「建てること、住むこと、考えること」と題する講演をひいてタイトルにし、数名の研究者・建築家が発表して会場との受け答えをするもので、隈さんの論旨も刺激的で会場や僕とのやり取りも面白く、共感することが多々あったのでいずれここでも書いてみたい。
幻庵は石山修武が愛知県の山中につくった「茶室」である。
クライアントの望んだのは「コーヒーの飲める茶室」。早稲田大学の石山研究室を訪ねて石山さんとDOCOMOMO+OZONEセミナーと見学の打ち合わせをしたときに、暫し瞑目した石山さんがどうだろう!と述べたセミナーのタイトルは「幻庵をつくらせたもの」だった。
つくったのか、つくらされたのか。そこにこの茶室の原点がある。
クライアントEさんは昨年亡くなられたが、ご夫人にお聞きすると、ご主人と石山さんは一言も言葉を交わすこともなく、いつまでも酒を酌み交わしていたという。クライアントとの生涯を懸けて通じあえたもの、それはナンだったのだろうか。
コーヒーを飲みながら幻庵でマイルス・デイビスを聴くのだと石山さんは言う。僕は「カインドブルー」のマイルスの美を思ったが、そのアルバムの中で弾く、ビル・エバンスのあの音を慈しみ、呟くようなピアノタッチをここで聴きたいと思った。
同行した難波和彦さんは、大勢だったので石山さんのいう「カーンと音のする空虚」を味わえなかったという。確かにそうだと思いながらも、僕はお濃茶からお薄になる時間を経た光の移り代わりを味わった一畳台目三渓園金毛窟での茶会の一時を思い出していた。
幻庵はお茶室なのだと確信しながら、いつまでもここに居たいと思ったこの居心地のよさはナンなのだろう、コルゲートパイプを用いた円形の天井や、ステンドグラスから注がれる淡い赤や黄色や青、路地ともいえるこの空間を渡る鉄筋を組み合わせたメッシュの朱色に塗られた太鼓橋という一見異様な空間が、当たり前のように人を受け入れる。
陽が落ちてゆき、あるいは雨や雪や、季節による光の強さ高低や角度の違いによって、人の生きることの虚しさのようなことをもこの建築は感じ摂らせるのだろう。難波さんが計ったところこの茶室は15度東に振れているというのだ。
この建築に全てをかけた瞑想する石山さんの姿が頭をよぎる。荒川修作の刺激と`居心地のよさ`がここに同居しているのだ。
小さな川のせせらぎを、E夫人とご子息Uさんが用意してくださった長靴を履いて渡った。樹々の中に置かれているこの建築は、ごく自然に佇んでいた。そこにあるのが当たり前のように。思いがけないことだった。
川合健二に私淑した石山修武は、天才川合健二の下にいては駄目になると思って独立した。
しかし全てを懸けた石山は川合健二のコルゲートパイプにインスパイやされて幻庵をつくる。そしてこの建築を抜け出せたのは、カンボジャ・ブノンペンに建てた「ひろしまハウス」だったという。
27歳だった石山さんは62歳になっていた。