日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

写真家 江成常夫の「昭和という時代」

2009-12-16 10:53:35 | 写真

写真家江成常夫の「レンズに写った昭和」(集英社新書・2005年刊)を読み終えたが、あまりにも重いテーマを積み重ねた取材による一つ一つの事例が胸にせまり言葉が出ない。しかしそれだけに大勢の人に一度はこの新書に眼を通して欲しいといいたくなった。

この著作を手に取ったのは、置き場所に困った写真誌`朝日カメラ`を整理しようと思って2007年10月号のページをめくり、ふと彼の撮影ノートを目にしたあとインタビュー記事を読んだことによる。2年前にも読んだはずなのに今回は堪(こたえ)た。
ファッショナブルなアート志向の写真がもてはやされる現在に危機を感じ、記録を本道とする写真はいつの時代であっても、ほかの表現分野以上に時代と社会に正面と向いあう役割があると江成は言う。

日本人戦争花嫁や、中国の置き去りにされた戦争孤児、これは国の施策の開拓村の破綻だ。被爆した広島の人、沖縄の声をルポして撮り得て言える言葉「日本の戦後史は、モノを至上価値として、人間のありようを追及してこなかった時代ですね」。そして「千万単位の人命を犠牲にした昭和の戦争と正面から向き合った写真家はいない」。さらに慨嘆的にあえて言うのは「自分の国のやった過ちにきっちりと目を向けずして、よその国に出かけていった戦争の写真を撮ることは何事かとさえ感じる」とまで言い切る。その江成の問題意識と覚悟が僕の心を打つ。

写真家ではない僕でさえ感じるのだが、ル・ポルタージュという写真表現とそれを記述していくレポートは、現在に無く、いまジャーナリズムに求められているのはその地道な活動なのではないか。時間の積み重ねと、我が国が封印してきたものを人の生活に密着して取材する根気の要る作業が無くてはそれが成立しないのだと。

新書は「はじめに」の、現代史に置ける`負の昭和`を満州事変にはじまる「昭和の15年戦争」と言うコトバから、史上類の無い原爆投下が決定づけた日本の敗戦は、世界史にとってもエポックメーキングな出来事に当たる、というフレーズから始まる。江成常夫のレンズを通して視た「昭和」とは、「`負の昭和`に翻弄されてきた多くの人々の苦難の人生」なのだ。

昭和11年(1936年)に神奈川で生まれ、毎日新聞社カメラマンを経てフリーとなった経歴を読むと、それがスタッフ時代にためていた問題意識を突き詰めたいという、江成のフォトジャーナリスト精神によるのだとわかってくる。

僕はオフィスに行く電車の中で「レンズに写った昭和」を読みながら、何度も深い息をついた。平易な書き方、文体で書かれているので原爆で二人の子供を失った様が目の前に浮かび上がり、一人生き残った父親Tさんのその事実を引きずって生きなくてはいけなかった(負の昭和を生きた一人の男の)その後の人生を思った。

2000年に悪性腫瘍に襲われた江成は、闘病の後遣り残したという戦地の島々の残滓を撮り続けている。2009年(今年)朝日カメラの12月号に発表された取材地は`ラバウル`だった。
木村伊兵衛賞を取り紫綬褒章を得た著名写真家の「一人の写真家に過ぎない自分が歴史や国家を問えるかという疑問が脳裏から去ったことが無い」という言葉が重い。