日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

新沖縄文化紀行(2)ハチウガン(初拝み)と春節

2009-01-25 21:08:32 | 沖縄考

沖縄読谷で調査をしている大学院生中田耕平君からメールが来た。
送ってあげた、一緒に歩いたときに撮った集合写真のお礼と共に、読谷(よみたん)の正月の様子が記されている。とても嬉しいです、という一言に、同行した那覇や屋嘉に泊り込んで調査をしている女子院生の質問に、笑顔で丁寧に答えている彼の姿がダブってくる。

彼は東京に戻らず読谷で正月を迎えた。研究者としての志しと、沖縄の正月に対する好奇心によるものだが、このメールは、僕の好奇心に応えてくれるものでもある。
既に今年が始まっているが、今年の旧正月は明1月26日。中国も韓国も旧正月を大切にしているし、国内でも地域によってはそこに住む人々の心に、旧正月が潜在していると思われるので、正月に触れてもいいだろう。

僕の事務所の上に住んでいる官さんが、福建省に帰ると挨拶に来た。息子と一緒に旧正月を故郷で祝うのだ。横浜の中華街も26日からの「春節」で賑わう。沖縄も本来は旧正月が大事で、昔は豚をつぶし、1年に消費する豚を塩漬けにしたりしたが、正月を新暦一本にするという運動がなされたのだという。

しかしふと思い起こしてみると、終戦直後に小学生時代を過した天草(熊本県)の正月はまだ旧暦だった。旧正月が近づくと朝のまだ暗いうちから数軒の家族が集まって餅をついたのだ。`あんこ`をくるんで柔らかく暖かいうちに頬張る。何十年たっても忘れない。貧しい僕たちの年に一度の贅沢だったからかもしれない。

琉球文化やそれ以前の古来の仕来たりを内在する沖縄の今に至る経緯には、単に文化という視点からだけでなく、様々な施政サイドからの思惑に翻弄された歴史をかみ締めなくてはいけないと、僕だって思う。でも本土(大和)だって同じだ。
しかしその意味合いの違いを認識しなくてはいけないと、沖縄を旅する度にその思いを強くする。

中田君が調査した集落では、12月24日にはフトウチウガンという一年を集落の神に感謝する拝み、31日は大晦日で、1月5日にハチウガン、つまり初拝み、これが初詣ということになるのだろうと彼は言う。ウガンは拝むというコトバだ。
興味深いのは、ということは12月24日から1月5日までは集落の神様方はお留守なのだという。どこへ行っているのだろうか。神様は!
研究者ではない僕にはわからないが、まるで神無月ではないですか、面白いですね、と中田君は書く。

でも沖縄の正月は大和の影響を受けていて基本的には変わらないと云う。
門松はあまり見ないが、注連縄(しめなわ)を飾って紅白をみたりして大晦日を過し、ウガンを新暦で行うのだそうだ。ただ`おせち`はなく、田芋の料理やナカミ汁(豚の内臓の吸い物)をご馳走になったと書かれている。
三日にはムーチーを食べた。旧暦の12月28日にあたり、餅をサンニン(月餅)の葉にくるだムーチーをつくって食べる家が多い。ムーチビーサ(寒さ)という慣用句が生きているという。なるほど!今年の正月はとても寒かったと中田君は云う。感じるものがあるのだ。

<写真 首里の御獄>