日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「つるかめ建築を支える人々」にみるモダニズム建築

2009-01-10 14:58:36 | 建築・風景

隔月刊誌`CONFORT(コンフォルト)`2月号「つるかめ建築を支える人々」に、松井晴子さんが僕のことを書いてくれた。タイトルは「モダニズム建築には、建築家の魂が投影されている」。
自分のことをここに書くのは面映いのだが、松井さんの文章はほんのりと柔らかく、しかし論旨がしっかりしていて、今僕が考え伝えたいことをしっかりと捉えてくれた。
おそらく松井さんと僕には、モダニズム建築の魅力や、その建築が街の中に存在することの重要性と課題についての共通認識があるのだと思う。

この号には、やはり松井さんが担当した「時間仕上げの家」というミニ特集が掲載されている。
リード文の『自然素材だけでなく、打ち放しコンクリートやラワン合板、安価な工業製品の仕上げ素材であっても、日々の気配りや暮らしを積み重ねていくうちに、新築では得られない深い輝きが家の内外に出てくる』という一節には、「時」という命題と、つくる「建築家」の感性や建築感、それに使う人の建築に対する慈しみへの暖かい眼差しを感じ取ることができ、僕の価値観に自信を与えてくれるのだ。そして三つの時を経た魅力的な住宅が紹介されている。

松井さんは「つるかめ」のリード文では、機能性・合理性を追求したモダニズム建築に共感を持つ市民は少ない、と喝破しているが「時間仕上げの家」のリード文を噛み締めてもらうと、(不遜かもしれないが)市民の側にだって課題があることに気がつくのではないだろうか。

昨年僕は、記述の間違いがないように眼を通して欲しいと送られてきたゲラを読んでうっと詰まった。返信で僕はこんなことを書いた。
「自分のことが書かれていて自分で言うのも変なのですが、密かに感銘を受けています。僕はこういうことを伝えたいのだと確認できた。そしてそれに共感を持ってくれる人がいる」。

戦うのではなく、相手と共通認識を持って一緒に考えるのが保存活動には大切、と思っている兼松さんだが、そんな悠長なことをいっていられなくなったのが「東京中央郵便局」だ、と松井さんは書く。そうなのだ、だがしかし。だから僕のことを、`モダニズム建築の保存家`と書いたのだろうが、それだけは違うといっておきたい。

かつて鈴木博之東大教授から言われたことがある。兼松さんは建築保存家だと思っていたのですが、建築を設計しているのですね!HPをみて愕然としたという。
「僕は建築家ですから」とついつい苦笑したが、`モダニズム建築の保存家`と書いた松井さんだって僕を叱咤する。
現役の建築家が保存を考え活動していることが大切、と。つくってください!

本文を読んでもらうのが僕にとってはうれしいのだが、一つだけ松井さんの感性の素晴らしさに触れたい。建築のことを話し始めると僕はついついとまらなくなって迷惑をかけるのだが、基本的にはインタビューでは聞かれたことに答える。聞き手、大切なのだ。
シンポジウムのコーディネーター(司会も)を時折やって実感しているのでよくわかる。

躯体(構造体)を残すことが大切だという考えはどうですか?無論否定をすることでもないのだが僕の答えはこうだ。僕の都市論にも通じる。
「・・・壊すのがもったいないというエコの見地から保存を考えるのでは、建築をモノとしてしか見ていないことになる。建築がなくなることで、街の風景が変わり、人々の記憶が失われていくことの方がもっと深刻だ」

僕はいつ松井さんに出会ったのだろう。気がついていたら仲良くなっていた。松井さんは銀座の歴史的建造物!奥野ビルについ最近事務所を構えた。そういう人だ。「郵便局のあるまち」を考えるシンポジウムに松井さんに出てもらった。ジャーナリストという僕の提言に「困ります、私は単なる編集者です」
そうかなあ!会場にいた娘は、松井さんの論旨に感銘したという。東京中央郵便局のビラ配りのときに感じたことを松井さんは語ったのだ。