日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

夕焼け・正月の「晩夏」

2009-01-18 17:15:51 | 日々・音楽・BOOK

雲の合間から帯びて注がれる光と、輝く雲に思わず息を呑むことがある。人が息を呑む気配を僕は見ているのだとも思う。
つい先日小田急線の窓から見た空を2分するような飛行機雲も凄かった。空の端から端まで繋がっている飛行機雲をはじめてみた。誰も気がつかない。つい指を指して乗客に知らせたくなった。

夕焼けに見惚れることもある。
新春に夕焼けは似合わない。夏、それも終わりの夏がいい。でも正月だって西の空が茜色に染まることがある。
「ほら見てご覧」と娘を呼んだ。一緒に4階の我が家の窓から厚木の駅の方を見やった。1月3日の夕方、空気が澄んでいて雲ひとつない空がほんのりと赤く染まっている。真っ赤もいいがこういう夕焼けもあるのだ。

「ね、こういう夕焼けがあるんだね」と壁に掛かっている小林春規さんの木版画を見やった。娘がただ黙ってうなずく。正面に立つ二本の欅のバックの空が淡く染まっている。同じ空の色だ。
僕はこの版画に眼を凝らすたびになぜか眼が潤んでくる。

昨年の11月、小林さんが送ってくれた新潟の画廊Full Moonで行われた新作木版画展の案内はがきに掲載されている、シルエットになった松林の向こうに描かれた砕ける波「秋波」が気になった。美術評論家の大倉宏さんに電話した。
彼が気に入った数点の作品をデジカメにとって送ってくれた。
「小林さんの作品はますます寂しさにつつまれるようになった」とコメントが添えられていた。
「秋波」が気になり、田んぼに焚き火の小さな赤い炎がぽっと灯る「初冠雪」に魅かれた。「晩夏」が胸にしみこんでくる。
でもこの寂しさに僕は耐えられるだろうか

壁に掛かっているのは「晩夏」。
電話先で大倉さんがぽつんと云った。屋根がねえ!彼の心打たれた溜息が聞こえたような気がした。
小林春規さんが言う。新緑の頃ここをスケッチをして版画にしたことがある。でもこの欅が気になって自転車で行ってみた。そして出会ったのだ。晩夏の夕焼けに。
ここにいる人がこの中にいるのだ。気配だけなのかも知れないがその吐息が聞こえるような気もする。
屋根がある。見えない人がいる。人がいる寂しさが僕の心を揺さぶる。微妙なトーンのシルエットの中の息遣い。
何なのだろう!この小林春規さんの寂寥感は。