日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

時と記憶・ピラ校と森本毅郎さんのスタンバイ

2008-01-11 10:58:16 | 建築・風景

思いがけない電話をもらった。
DOCOMOMOで選定した旧土浦邸を守っているNさんからだ。今朝(1月10日)のラジオで僕と、松隈洋さんが話すのを聞いたという。おや今朝放送したのかと意外だった。自分の声を聞きそこなったのがちょっと残念だ。松隈さんがどういう話しかたをしたのかも聞きたかった。
前日TBSラジオのスタッフから電話をもらったとき、前川事務所のOBで、前川國男研究者でもある、松隈洋京都工業繊維大学准教授に電話インタビューをしてみたらと推薦したのだ。森本毅郎さんがなんと18年も続けているという、スタンバイという朝6時半からの番組のことである。

昨日の午後、放送局の若いスタッフと女性のキャスターが僕の事務所にきた。
建築家前川國男が設計をした、学習院大学のピラミッド校舎(愛称ピラ校・中央教室)とともに、今の社会の建築保存問題や、建築学会で策定した「建築物の保存・活用に関するガイドライン」について話して欲しいということだった。
二人とも眼がキラキラと輝いていている。何故建築家の僕が保存を語るのかと好奇心に満ちている。
話が弾んで、というより電話で打ち合わせをしたときにはキャスターと対談で、ということだったが、話し始めたらそんなことがどこかに飛んでった。二人は僕の話に聞き入っている。

1時間半も話し込んだテープを聴きなおして、ほんの少しだけセレクトして放送し、森本さんのコメント・メッセージを伝えるのだろう。長々と話し込んで迷惑をかけたかもしれないと気になっていたが、其の作業が大変だろうと思ったので、まさか翌早朝に取り上げるとは思わなかった。ついうっかり、いつ放送するのかと聞きそこなった。

森本さんは僕と同世代、スタッフから聞く森本像も面白かった。18年もの間、毎日朝5時にスタジオに入る。凄いと思わずうなってしまった。好きなラジオにこだわっている。そして、もしこういう仕事に就かなかったら、都市計画にかかわりたかったなあ、と言っておられるとか。建築が好きだし、なくなる建築が気になるという。会ったことがないのに親近感が湧いてくる。

「ピラ校」は、ウルトラセブンの舞台になったので知られるようになった。其の取り壊しが発表され、松隈さんを代表とした、学習院大学を卒業した大学教授などが作った会が、保存要望書を提出したのがきっかけになって、新聞各社が報道した。タイトルは、「ピラ校取り壊し・ウルトラセブンも惜しんでいる」。書いた新聞記者はウルトラセブン世代じゃないの、と揶揄したら、そういう見方もあるんだ!と笑いになった。

このキャンパスは当時の安部能成学長が、前川國男に協力を求めたことから校舎群構築が始まった。キャンパス計画はいわば都市計画である。そこが興味深い。前川國男はキャンパスのコアとして広場をつくり、其の中心にピラミッド型をした大教室を作った。戦後の復興を目指していた日本が「もはや戦後ではない」と経済白書に書いた、朝鮮戦争特需を受けて始まった高度成長期。竣工したのは1960年のことだ。
47年を経てピラ校は学習院のシンボルになった。

ピラ校について僕は、前川國男という著名な建築家の作品だというだけでなく、建築は建つと同時に社会的な存在になり、そこで学んだ学生の、恩師や同窓生との記憶と一体となって生きていく支えになるのだと述べた。
「だから建築は経済の道具であってはいけないんですよね」。
うなずいたキャスターが、「それってお金で買えない`時`が大切だということですよね」「いやあ、いいことをいうなあ、そう、命と同じ、お金で買えない大切なものってあるんですよ。なくなっちゃったら、命はつくり直せない、それが建築なんだ」

森本フアンで、毎朝この番組を聴いているNさんは、兼松さんも、松隈さんも、話がはっきりしていてとてもいいと思ったという。「本当?」と聞き返したくなった。でも、なんと言っても嬉しいのは、「思いがけなく二人の声を聞けてうれしかった」と涙の出るようなことを言ってくれたことだ。

<ピラ校は、12日(土)と13日(日)時間を決めて一般に内部公開される>