解体を前にして公開された1月12日(2008年)、「学習院ピラ校(ピラミッド校舎・中央教室)」の内部を観た。入った途端、アドレナリンが沸いてきた。
床に木煉瓦を敷いた階段教室。大胆といわれているが、こういう形態にした必然性のある教壇を包み込むような暖かい空間だ。講義をする教授を取り囲み、学生たちが先生や学生同士と一体感を持つ。これが建築家前川國男だ。壊していいのだろうか!
親しい写真家、中川道夫さんからメールが来た。
『私ごとですが、次兄が60年代半ばに学習院大学の学生でした。 私は小学生ですが学園祭(輔仁祭と呼ばれていたかも)に毎秋大阪から遊びに行ったものです。そこで遭遇したのがあのピラミッド校舎です。
目白のしっとりしたキャンパスのなかで、コンクリで屹立したあのピラミッド、子どもながら新鮮な驚きをおぼえました。兄は小さい頃からアマチュア無線マニアで、そのせいか同校の放送部で 放送局長をしていました。その部室があのピラミッド校舎内にあったのです。
高校に入ってから逗子に転居した70年頃までは、よくあの校舎には出入りしたことがあり、思い出深い建物でした。ちなみに三茶ペン倶楽部(僕の親しい友人や写真家飯田鉄さんたちと,ハーフサイズカメラを持って街を歩いて写真を撮っている会、デジタル時代になってちょっと活動停滞。)の`さとう一声`さんは、同部のアナウンサーで兄の1,2年後輩です。
人と人とのつながりは時のなかで淡いものですが、記憶のなかの場所や建物は変わらないものだと思っていたら、これもするすると消えていきます。』
そして『むなしさと隣り合わせのなか、ご尽力されている兼松さんのお仕事、ほんとうにすばらしいものですね。』と付け加えたくれた。
人の記憶と想いをこめて建築は建っている。キャンパスの中でも街の中でも同じだ。中川さんのメッセージに、心が深となる。
「むなしさと隣り合わせ・・・」、そうかもしれない。建築をつくる建築家の僕が自問自答しながら保存に取り組む。人のつながりの淡さの中で建っている建築が無くなっていくむなしさを感じ取れなくては、残せと声を上げられないのかもしれない。
写真を撮ったり、話し込んでいるひとたちも沢山いるが、階段教室の椅子に腰掛けて、じっと想いを凝らしている人がいる。卒業生なのだろうか。
そのなかに佇む僕は、作品集を残さなかった前川國男の苦闘を受け止め得なくては、建築を語れないのかもしれないと思っていた。