日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

前を向いて今年を考えたい!東女「旧体育館」と「都城市民会館」

2008-01-06 12:46:25 | 建築・風景

「後ろを向かず前を見ていたい」と新しい年を迎えると毎年そう思う。
でも年の瀬になって事務所や自宅の僕の部屋の、山済みになっていた資料や本を片付けようとしても、其の総てに僕の軌跡が宿っているような気がして、何も捨てられない。
愛妻の本棚がいつも綺麗なのでどうしてなの?と聞くと、当然のごとく「捨てるから」。

一角に辞書類が揃っているので「これ置いといてくれない」と頼んだら「駄目」とにべもない。娘からもらった分厚い‘朝鮮語辞典だ。今年はハングル習得に努めたい、などと書かないほうがいいのだが、思いはあるのだ。
しかし実際に諸事に対処するときには、前しか見ていないと僕は実感している。過去に捉われず、何をどうすればいいかと考えるのだ。まああまりくよくよしないのだ。もともと計画性がなく楽天的。楽天的というのは、亡くなって既に62年になる父から受け継いだ血のようなものだ。同時に過去を考えてしまうと、やっていられないということでもある。

僕は一部の人から建築保存家だと思われている節があるが、決してそうではない。単に建築が好きなのだ。好きだからなくなっては困る。簡単な論理だ。
何故だかわからないが、感性の合う建築に出会うと途端にアドレナリンが沸いてくる。
くたびれた顔をしてボーっとしていた僕が、突然元気になる。同行者はあっけに取られるようだが、僕自身が驚いているのだ。

SEOULでは宗廟に魅かれ、金寿根さんの空間工房にぞっこんになり、Leeumでのジャン・ヌーベルの黒い擁壁に胸がときめく。そうなると宗廟を書いた白井晟一の一文を紐解きたくなり、金寿根の軌跡を辿りたくなる。更にヌーベルとコラボレーシオンをしたコールハウスやボッタの作品集や論考を、改めて開いてみたくなるのだ。
それが手元にないとどうも落ち着かない。

物が好きなのだ。ものに出会うとほしくなる。と書いていくと際限がなくなる。陶器や版画もそうだがカメラもね。どれも欲しくて困るが、本は!重いしかさばる。
1月4日、事務所に寄って年賀状を見た後、フラフラと(といっても地下鉄で)神保町の古書店明倫館へ行ってしまった。

手に入れたのは、毛綱毅曂の「都市の遺伝子」。
昨年の11月、釧路に反住器を訪ね、毛綱毅曂のお母さんとお姉さんにDOCOMOMO選定プレートを送呈した途端、毛綱建築を探りたいと思ってしまったのだ。反住器が居心地よく素晴らしかったので。読み解くのはきついとわかっているのだけど。
宮内嘉久「建築・都市論異見」。1983年の著作。宮内嘉久さんのは総て読むと決めている。本棚にないものは買わざるを得ない。
それに鹿島出版会の「金寿根」作品集。愛妻に唖然、憮然?とされ、もぐもぐと言い訳を。それに、どれも過去を覗くことになるではないか。
これはまあ「好奇心」のなせるものだ。ハングルと英語のバイリンガルでつくられた金寿根さんの作品集は持っているが、この鹿島の本には金寿根さんと西澤文隆さんの対談が掲載されている。この本を持っていないほうがおかしい、というのが僕の論理。

昨年の9月、東京女子大「東寮」が壊された。
あえて過去にこだわらなくても、やってきた記録はしておいたほうがいいと思う。大切だと思っている好奇心を充たせるからだ。
東女については、4回のシンポジウムをコーディネートし、東女OGの藤原さんに話していただく機会をつくることができた。でも「東寮」は残せなかった。
学校を率いる方々に、東女の伝統を築いてきた大勢の人から、東女が培ってきた軌跡を聞いて再考しようとする度量が何故ないのかと、好奇心が湧いてくる。

一時は解体工事の補正予算が市議会で採択された都城市民会館が、正式に存続されることになったのに・・・昨年末の12月20日、市議会で市が負担するアスベスト撤去工事の予算が採択された。
東女の可愛い旧体育館は残して欲しい。社交ダンスやフォークダンス、それに神楽舞を舞って欲しい。前を向いて考えたい。まず祈ることにした。新年の大勢の人の想いが届きますように!