日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

鎌倉近美 JIA25年賞(2005年度)受賞

2006-08-14 13:51:55 | 建築・風景

JIA(日本建築家協会)関東甲信越支部から、「誠におめでとうございます」というメッセージと共に、「2005年度JIA25年賞(関東甲信越支部)の審査結果について」の報告とお礼状が送られてきた。現地審査の結果を踏まえ、審査委員会にて最終選考の結果としてと付記されている。

関東甲信越支部の受賞作品・一般建築部門は、僕の推薦した「神奈川県立近代美術館・鎌倉館<本館・新館>のほか、「聖グレゴリオの家」(1979年長島正充)、「パレスサイド・ビルディング」(1966年日建設計・林昌二)の3作品、住宅部門では「続久が原の家」(1977年清家清)である。
この後各支部から選定された建築を含めて審査が行われ、大賞がきまる。

さてこのJIA25年賞
25年以上に渡って「長く地域の環境に貢献し、風雪に耐えて美しく維持され、社会に対して建築の意義を語りかけてきた建築物」を表彰し、あわせて「その建築物を美しく育て上げることに寄与した人々(建築家、施工者、建築主または維持管理に携わったもの)」を顕彰する。そして建築の果たす役割を確認し、次世代につながる建築のあり方を提示するのだ。

このJIAのHPに記載されている25年賞趣旨の文案を起草したのは誰だろう。`風雪に耐えて`更に`建築物を美しく育て上げる`といわれると、健気な建築の有様が眼に浮かび、建築には人の想いがこもっているのだと、気恥ずかしい気もしないではないが胸に込み上げてくるものがある。そこがJIAの面白いところだし僕の好きなところだ。

2005年度の25年賞選定範囲が1950年以降から竣工後25年までと拡大された。
かつては竣工してから25年から30年の範囲という制約があり、そうだと戦後に建てられ、使いこなされながらもその存続に腐心している建築の存在が抜け落ちてしまう。僕は無理は承知で選定基準に該当しない建築を2件推薦し、特別表彰をして欲しい旨記載して提出したことがあった。残念ながら採択されなかったがまあ当然のことだ。しかし今回のこの規約の見直しは素晴らしい。建築の存在は趣旨文の通りだと思うからだ。

神奈川県立近代美術館は、1951年戦後の荒廃した日本に新しい文化を築こうと、当時の内山神奈川県知事が、同じく復興を願った鶴岡八幡宮から土地の貸与を受け、日本で初の、世界でもパリとニューヨークに続く三番目の近代美術館を創った。
設計を担ったのはコルビジュエの元で学んだ坂倉準三。当時はまだ鉄骨材がなく、施工した馬渕建設が海軍がストックしていた鉄骨を運び、それに合わせて設計を担当した駒田知彦さんが現場で計算を見直して建てたという物語に満ちた建築でもある。そして坂倉の代表作というだけでなく日本を代表するモダニズム建築として世界に知られる美術館となったのだ。

1966年、新館が池の中に増設された。創設時から関わった二代目館長、美術界に大きな貢献をした土方定一肝煎りで建てられたこの建築もエピソードに満ちている。
坂倉事務所では所内コンペを行い、所内では是非こもごもの、美術館でありながら壁のないガラス張りの建築を提案したところ、土方定一はこういう美術館が欲しかったと叫んだ?というのだ。

鎌倉館が手狭になり、一帯が史跡に指定されて増改築が難しくなって葉山館が2003年に新設された際、準備のために半年前後鎌倉館を休館して新館の内部塗装など行った。彫刻家堀内正和展で再会されたが、新館に踏み入れた途端、これだ!と思った。土方さんの望んだものが実感できたのだ。
ガラス前に設置されていたパネルが取り除かれ、全てのブラインドも巻き上げられ、本館や池、それに鎌倉の杜が目の前に広がっているのだ。
今回の25年賞で躊躇無く本館と新館を併せて推薦したのは、そのときの有様が目に焼きついているからだ。

ところで受賞したどの建築も魅力的だ。
聖グレゴリオの家は見たことがないが、設計者の長島正充氏は丹下健三事務所のOB、写真を拝見すると納得させられる。又パレスサイドビルは、近美と共にDOCOMOMO100選(現在は115選)に選定され、100選展時のカタログの解説文は僕が書いた。大好きなのだ、このオフィスビルが。建築は素晴らしいと改めて思う。

実は今回の受賞は僕には格別な思いがある。
次の借地更新は2016年、八幡宮からは出来得れば返してほしいと言われている。存続に危機感を持った建築家と歴史学者、それに美術関係者が集まり、僕が事務局長を担い、美術史家高階秀爾氏に会長になっていただき「神奈川県立近代美術館100年の会」(略称近美100年の会)を2001年11月に設立した。このところ停滞気味だが、存続を願ってシンポジウム、数多くの見学会、会報の発行や要望書の提出など積極的な活動をしてきたからだ。

2003年3月には鎌倉市から「景観づくり賞」を頂いた。この賞は近美100年の会の活動に対してもらったものだが,この建築の存在が、鎌倉にとってもまた長い歴史を培ってきた鶴岡八幡宮との環境構成の上でもとても大切だということである。JIA25年賞は建築そのものに対する賞だが、地域の環境を考える上でも役割を果たしているという趣旨に合致する。。
県の財政難もあってメンテ費用が交付されず、思うような修復が出来ていない。今回の推薦に際しても、万全の措置がなされているであろう他の建築の中でどのように受け留められるか危惧していた。「風雪に耐えて美しく維持され、建築物を美しく育て上げてきた」であろうか。
でも学芸員が自ら塗装を行うなど、管理者の努力の積み重なった建築であることも確かなことなのだ。これほど皆の思いのこもった建築があるだろうか。

今回の受賞はうれしい。社会に、県に、この建築の位置付けと存続の大切なことを伝えるのに大きな力になる。願わくばさらに近美が大賞に選ばれんことを・・・・

<写真 本館外観>