日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

大地の声 ユッスー・ンドゥール

2006-08-10 09:08:14 | 日々・音楽・BOOK

舞台の袖からプレーヤーが思い思いに出てくる。ギターの弦が弾きだし、ババカル・フェイがパーカッションを叩いた瞬間、これだ、これを聴きにきたんだと思った。リズムに身体が包み込まれる。一歩遅れて登場したユッスー・ンドゥールがマイクを手に取った。大地の声だ。

<東京の夏>音楽祭2006年のテーマは「大地の歌・街角の音楽」。
プログラムにいいことが書いてある。
西洋のクラシック音楽は、王侯貴族のサロンの中で生まれ選ばれた人の音楽だったが、その時代でも広場や街角で暮らしの中の喜びや悲しみを唄う音楽があり、一方自然に根ざして生きる人には大地の歌があった。それらの音楽は現代社会に生きる僕たちにも伝わってくるというのだ。こだわるのではないが僕の建築家意識に通じる。

僕はユッスー・ンドゥールを知らなかった。うちに来て新聞を見ていた娘に「ユッスー・ンドゥールのライブに行かない?」と誘われ「セネガルのスーパースター/大地の声」という新聞の案内を見るまで。
チラシにもポスターにも使われている歌っている彼の姿と、何より『大地の声』というキャプションに魅かれた。即座に`行く行く`と答えた。

田園都市線の三軒茶屋で降り、こじんまりしたイタリアンの店を見つけて娘とパスタを食べる。生ビールで乾杯してロックやアフリカ音楽を語る。準備ができた。会場は昭和女子大学の人見講堂だ。

ユッスーは1957年セネガルの首都ダカールに生まれた西アフリカのウォロフ族の出身。世襲音楽家「グリオ」の家系に生まれ育ったという。82年に音楽の仲間たちと`スーパー・エトワール・ドゥ・ダカール`を結成した。
国際スターになったがユニセフの親善大使、財団を設立してマラリア撲滅運動を展開するなど音楽を通じて社会と取り組んでいるという。それが現代のグリオなのだ。

娘に聞いていなかったらおやっと思ったかもしれない。声が高い。写真を見てイメージしていた姿は恰幅のある叔父さんだったが、現れたユッスーは、精悍で引き締まった肢体でスーパー・エトワール・ドゥ・ダカールを率いるというより一員として一緒に音楽を楽しむ。それを会場に分かち与える。
アフリカの音楽はJAZZの原点ともいわれるが、ユッスーの音楽はアフリカの大地そのものだ。電気楽器を使っていて音のバランスが少し気になるが、底に響き続ける低音と、信じられないような手わざと切れのあるパーカッションのリズム感、それにのった伸びのあるユッスー・ンドゥールの歌声が満席の会場に響き渡る。

身体が動き出す。思いがけず年配の多い聴衆が、自然に立ち上がってしまう。娘も勿論。
アサン・チャムの名人芸とも言っていいトーキング・ドラムのリズム感と手と指技に身体が浮き上がるが、それをさりげなくにこやかに叩く彼の風貌そのものが、彼らの音楽のベースにある人への暖かい眼差しなのだ。

ふと、`スーパー・エトワール・ドゥ・ダカール`の一メンバーだと感じていたユッスーからオーラが漂っているような気がしてきた。彼自身がいう神から授かった声は「グリオ」つまり「語り部・吟遊詩人」として与えられたものなのだ。
スタンディングして踊っている人々の中で目を閉じて耳を澄ますと、澄んだ声量のある彼の声は彼の心の叫び、しかし静かなのだ。だから胸にしみこんでくる。
僕たちは東京でセネガルの音楽を聴くが、この歌声とリズムは多分東京の空を越えてアフリカの大地を覆いつくすのだろう。音楽も語るのだ。人間と大地の素晴らしさを。

自宅で世界地図を開いた。アフリカの左側、サハラ砂漠の南の共和国。首都ダカールはパリ・ダカールラリーの終着点だ。
ユッスーはダカールに自分のスタジオXIPPIをつくった。ヨーロッパに行かなくても好きな時間にレコーディングができ、アーティストをプロデュースする場所でもある。生まれた場所にこだわるのだ。セネガルを愛しその素晴らしさを伝えたい、それは多分世界を愛することになるのだ。
娘のIポットにユッスーの歌声が入っている。ヘッドホーンで眼をつぶりながら聴く。おそらく終生訪れることがないだろうアフリカへの想いが僕にも芽生えてきた。