日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

理論合宿 今年はキッチュな鳳明館で

2006-08-30 16:56:58 | 建築・風景

今年のJIA保存問題委員会の理論合宿を、本郷の日本旅館`鳳明館本館`で行った。路地の向かいに別館もある。
夏休みを取っていた8月18日(金)の午後2時から翌19日の午前中の一泊2日。この日になったのは、この旅館はリーズナブルなこともあって結構人気があり、学生の研修会や、柔道の大会の宿舎になったりして他の日が一杯だったのだ。何故この旅館で?なに僕が推薦したのだ。わけあって・・というほどでもなく何度か使ったことがあり、委員も僕が魅かれるこのキッチュな旅館を気に入ると思ったからだ。

参加者は同じく夏休みで家族旅行だという委員がいたりして例年より少な目の11名。うんざりするほどの残暑に満ち満ちていた二日間だった。
毎年行う理論合宿は、通常の委員会ではなかなかできない建築界の現状把握と、建築家としてどう対処していくべきかを論議する。

レプリカ、オーセンティシティ、そして保存と創造・経済性、法制。耐震問題とそれを逆手に取る企業。歴史観。建築ジャーナリズムの持つ建築や都市の価値観。こういう青臭い論議を喧々諤々とやるから委員は皆若々しいのだ。
さてビールをしたたか飲んだ夕食の後の会議は、そうなると、どうでもいいやと思いながら臨んだが、始まったら段々酒ッ気が抜けた。
議題は来年の2月に東京で行うことになったJIA保存大会のテーマやコアメンバーをどうしようかということなのだが、今の建築界の様相を炙り出すことになったからだ。

論議が白熱したのだ。歯に衣を着せぬという言い方がある。この委員会は厳しいのだ。仮に元委員長だといって誰も容赦してくれない。僕もついつい言いつのると、大人気ないとたしなめられたりする。でもお互いの信頼関係が築かれているから、腹が立つよりさきに納得してしまう。それが刺激的でもあり楽しいのだ。

保存問題の実例に沿った論議もされる。例えば青山の同潤会アパートメント、間島記念館、レイモンドの東京女子大東寮と体育館、東京と大阪の中央郵便局庁舎、歌舞伎座、三信ビル。JR国立駅舎。とうとう無くなってしまったソコニーハウス。話は尽きない。新しく委員になった栃木の構造家和田さんの構造論が新鮮だ。
今年度の大会は、この近くに200名の宴会のできる懇親会会場が見つかったら、宿泊はこの旅館をベースにして、東大本郷キャンパスでやりたい。何しろこのキャンパスは今、混乱している東京の都市を象徴している。魅力的でもあり、困ったことでもあるからだ。格好のテーマを提供してくれる。

ふと思いついて「保存文化論」と口走った。いいじゃない、今度の大会のテーマはそれで行こうか、ということになった。保存問題を文化論として捉える、JIAの委員会もそこまで来たかと嬉しくなった。
初日の会議は10時に終了し、それぞれ部屋に一旦引き上げる。
僕の部屋は8畳に6畳の附室がついている。そこに篠田義男さんと藤本幸充さんの三人で泊まるという贅沢さ。このメンバーで9月の後半トルコに行くのだ。DOCOMOMOの世界大会が行われる、イスタンブールとアンカラへ。そこで2008年度の東京での世界大会立候補を表明するのだ。僕と藤本さんは、カッパドギアへ足を延す。

トルコ話に話が弾みだしたら、どやどやとウイスキーを抱えた数人が部屋に来た。まあいつものことだ。結局一番元気のある、川上恵一現委員長の松本で実践している民家建築論を拝聴することになる。うとうとといい気持ちになって横になっていたら、それではまた明日という声が聞こえた。時計を見たらいつの間にか1時半を過ぎていた。翌朝、今年から委員になった倉沢さんに昨夜はどうしたのと聞いたら寝たのが3時だそうだ。同室の久米設計の野中さんと話しこんだという。元気だ、皆。

工業化に拍車の掛かった1960年代、其れに伴う大学の大衆化による学生同志や教師との交流の喪失に危機感を持ち、夜を徹して話し合える空間を若者に与えるために創られた吉阪隆正の建てた建築群の存続が危うい。八王子の大学セミナーハウスだ。
委員会では、今の時代こそ若者に夜を徹して話し合えるこういう空間が必要なのだと、セミナーハウス館長や理事長に訴えた。その人と人との触れ合いの素晴らしさを、いい年の僕たち自身がこの旅館で体験している。なんとも僕たちは若い。(と思う)
とは言え朝6時に眼が覚めてしまった。ああ!やはり年のせいか。寝不足だなと思ってもう少しがんばって寝ようと思ったら、藤本さんが眼を開けた。近所の写真を撮ってくるというのだ。なんてまあ。

ぼんやり部屋を見渡してみると、それがなんとも面白い。改めてよく見るとキッチュなのだ。
水車の羽根を止める台座が壁の下に貼り込んである。障子に組み込んであるガラスの縁取りに模様がある。障子の桟もやたらに太いが複雑な組み方がしてある。洗面所は昔の民家の竈の様だ。銘木ともいえない曲げ木が壁から飛び出してつけられたりしてある。ノスタルジックな帳場もある。モダニズムではないなあ!

登録文化財になったこの旅館は戦前のものだと思っていたら、戦後に建てられたと言う。
旦那に聞くと、本郷は空襲がないことになっていたのだが、下手な米軍のパイロットが間違って焼夷弾を落として焼けてしまった、仕方がないので新しく建て直したのだという。本当かなあ。しかしバナキュラーっぽいこの旅館は名作ではないがとても魅力的だ。僕は、いやいや僕たちはこういう建築が大好きなのだ。
あえて言いたい。モダニズム建築と同じようにと。