日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄文化紀行 8 旅を想う

2005-12-25 16:51:25 | 沖縄考

快晴が続き、きりっとした師走の空気を楽しんでいたが、全国は寒波で大荒れ、四国も関西も名古屋もそれに鹿児島まで雪になった。
沖縄も冬だそうだ。僕の事務所を訪ねて下さった韓国文化財庁近代建築課専門委員の崔炳夏博士によると、つい2,3日前沖縄を訪れたそうだがとても寒かったので驚いたという。話がはずんでオンドル論になったりしたが、東京の水道の水も手が切れそうに冷たい。一月半ほど前の30度を越す那覇や首里の猛暑が嘘のようだ。
崔さんとの出会いによってDOCOMOMO Koreaとの交流が深くなったのだが、その経緯は「DOCOMOMO Koreaの設立」と題してこのブログに併設しているHPのエッセイ欄に記載してあるので、読んでいただけるとありがたい。

さて紀行文だとはいえ沖縄文化を考えている間に、前川國男展が始まったし、都城市民会館の取り壊しが表明され、八王子の大学セミナーハウス宿泊棟の改築も進んでいる。どうすればいいのか。そして建築界は日本の社会を揺るがす事件に巻き込まれてしまった。言うまでもなく耐震偽装とアスベスト問題。だからこそ今、文化を考察するのは大切だと言えなくもないが、建築家として気になってどうもすわりが悪い。そこでこの項で沖縄の旅への思いを振り返り、一旦沖縄から脱しようと思う。

この旅で僕が楽しみにしていたのは、「寓話」「聖クララ教会」「墓」。墓というのも我ながら変なものだと思うが、それにもう一つ、渡邊教授が若き日、調査つまりフィールドワークに取り組み、社会人類学の世界に衝撃を与えた今では伝説になったといわれている論文を書くことになった「東村」。
東村(ひがしそん)は宮里藍ちゃんの生まれた場所として話題になっているが、東村を中心としたフィールドワークの成果が後の「民族知識論」に集約され、社会・文化人類学の世界を変えていくことになるのだ。この知識論には僕も刺激を受け、建築のフィールドワークのあり方にも示唆を受けることになる。

東村では「気」の道を見(写真参照)、ハーリーの保管庫を見、門中墓と村共同体墓の格好の事例を見た。そしてここでも基地の影とも言っていい防衛施設庁助成による様々な施設、例えば護岸と道路の整備や博物館の設置、そして渡邊教授が愕然とした巨大な村役場の新設。僕が驚いたのは名護から更に奥に入るこの地域をやはり観光地として位置づけしようとしていることだった。役場にも小さな博物館にも観光案内のリーフレットやチラシが置いてある。

渡邊教授の親しい村民を訪ねての交流に同行し「知識論」を覗き見したいと思っていたが、時間が足りなかった。
少々難しい知識論についてはいずれ記述してみたいが一つだけ。聞き取り調査時の聴かれ手の知識は、時の経過や立場や、聞き手の知識によっても変化していくことを認識しておかないと間違いを犯すということだ。文献をどう捉えるかという課題にもなる。
実はこの旅はこの知識論の確認の旅でもあったのだ。知識論の詳細に触れずにそう言ってもわかりにくいだろうが、それが文化は「施策によって創られていく」という文化人類学の考察に繋がっていく。

さて一つ書いておきたいのは、降るような星空を体験できたこと。何十年ぶりだろうか。沖縄のそれも閑村(というと叱られそうだが)に行かないと見ることができないのだろうか。2月に訪れる北海道ではどうだろうか!

ブログというメディアは興味深い。コメントのやり取りをしていく中で、思わぬ発見もあるし新しい課題が降って沸いたように現れたり、素晴らしい人との出会いさえ起こる。面白いのは僕のブログだけでなく、コメントをしてくれた人のブログでも沖縄文化論が論じられていく。沖縄の神からケルトの神マーグメルトに飛び、建築考になりモダニズム論にもなり延々とエンドレス、果てしなく想いが広がってゆくのだ。文化紀行はこの8で筆を止めるが、時折「沖縄私考」のようなかたちで書き続けてみたい。考えたいことが沢山あるので。

またもや0時を回った。何を聴いていると思う?
BSでブラームスのバイオリンコンチェルト、ストラデバリいやガルネリかな?響きが素晴らしい。弓を弾く庄司紗矢香さんがなんとも可愛くて魅力的。不謹慎にもTVを観ながらBallantines` ROYYAL BLUEをちびちびやり、ワードをたたいている。手元にあるニッカの`余市`はもったいなくてあけていない。冬の夜は長いのだ。 (12/23)