日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

師走になった

2005-12-18 12:09:04 | 建築・風景

気がついたら師走だった。
ブルーノ・タウトと深いかかわりをお持ちになった、95歳になる水原(みはら)徳言さんにお話を伺うために、建築歴史の研究者たちと共に高崎に出向き、音楽センターのまわりを巡る街道の銀杏並木の見事な紅葉を見て、秋だなあと思ったのはつい先だってのこと。唯一今年の秋を感じた出来事だった。暑かった沖縄に想いを寄せているうちに、季節をなくしてしまった。
そこで沖縄文化紀行をちょっと中断して近況を書いてみる。

昨日「吉村順三展」を芸大美術館で観、その足で「ALWAYS三丁目の夕日」を懐かしい新宿文化で見た。
いずれも人の生き方を暖かく肯定した心温まる建築展、映画だった。

僕は、今はフィラデルフィアに在る吉村順三設計による松風荘をサポートする「松風荘友の会」に多少関わっているが、生前ついに吉村先生にお目にかかる機会がなかった。作品もDOCOMOMOでも選定した「森の中の家」(軽井沢の山荘)、「旧NCRビル」のほかは、表から見た「青山タワービル」京都の「俵屋」くらいしか見ていない。しかし展示を見ると、ほとんどの建築を知っている。建築雑誌、その特集号や事務所にあるYOSHIMURAという7冊の図面集を見ているからだ。そしてそれぞれに僕の思い入れがある。

例えば猪熊弦一郎邸は、新建築に発表された時外観の無骨さ(当時僕はそう思ったのだ)に驚き、しかし庭のオリーブの樹を囲んでくの字型に作られた居間と食堂の白いシンプルな空間に引き込まれた。オリーブの枝から床や壁に落ちた木漏れ日がゆらゆら揺れているような気がし、キッチンを囲う低い白い壁の上に、天井からしっかりと落りているフードの姿、壁にある猪熊画伯の作品が目に焼きついた。何年経っても忘れ得ないのだ。
多分特集号に記載された猪熊夫妻の対談によって、ご夫妻のこの建築や吉村順三への想いや猪熊画伯の生き方が僕にインプットされたからだと思う。

吉村順三は人と建築の自然環境との関わりに目をむけ、素材やそれを使う技術やそれを生かすプロポーションを探りながら、慈しむようにそして真摯に建築を創った。展示されている写真を観、科合板で作られた模型を見、近代を受け留めて語った言葉を読むと、何か僕自身に建築に関われる喜びと充実感が満ちてくるような気がする。建築の可能性を信じたくなる。

自分でもそうなるだろうとは思っていたが「ALWAYS三丁目の夕日」が始まったとたん、涙が止まらなくなった。シンボル的に画面に出てくる東京タワーが建ち上がったのは1958年(昭和33年)だから、この時代設定は57年頃なのだろう。東京にまだ都電が走っている。エッ!そうだっけ。集団就職で青森から上野についた子供たちの目が輝いている。そしてすぐに現実にぶち当たるのは目に見えているのだが、そんなことも自分の歩んだ道とラップしてきてそれだけで目が潤んでくる。ノスタルジー。良いではないか。たまには。

57年には村野藤吾が有楽町に「そごう」を創り、エアーカーテンが話題になったりした。清家清が「私の家」、吉阪隆正がVilla Cou Couを、芦原義信が中央公論ビルを創った。吉村順三も何処かにいるのだが。
58年になると丹下健三が都庁舎や草月会館、法政大学58年館が大江宏によって、吉田五十八の日本芸術院会館が、堀口捨巳は岩波邸を、池辺陽は石津邸を、白井晟一は善照寺本堂、そして内藤多仲(構造)と日建設計によって建てられたのが東京タワーだ。
無くなったものも多いがDOCOMOMOで選定した建築もある。まさしく戦後モダニズムの秀作が怒涛のように生まれてくる時代。伝統論争が繰り広げられた時代でもある。
建築が熱気に満ちた時代といっていいのか。
いや社会が動いたのだ。僕が高校を卒業する年、そして建築に一歩足を踏み込んだ年でもある。でもそれが気になり始めたのは一夜明けた今朝だった。

スクリーンに上野駅、服部時計店(まだ和光ではなかったかな?)が大写しになる。そのたびにドキッとする。電気冷蔵庫、洗濯機、テレビの三種の神器。いやはや力道山だ。思わず笑ってしまうあのおかしな味のコーラの誕生。そこで繰り広げられる日常の出来事は正しく僕のもので、僕がスクリーンの中で笑ったり怒ったり悩んだりしているようだった。

しかしどのシーンにも、モダニズム建築の姿がなかった。

いつものように、もう残りが少なくなったFINDLATER`Sを口に含みながらそんなことを考えている。流れるJAZZは1959年に録音したMILES DAVISのKind of Blue。
日建設計100周年を記念した図面展で、東京タワーの原図を見たことも思い起こしている。鉄骨の詳細図なのに名人芸といってもいい繊細でしっかりした線と密な書き込み、図面自体が作品だ。建築家のこの建築に懸ける想いを見た。そういう建築家がいたそういう時代でも在ったのだ。

映画は明日の象徴として夕日に浮かぶ東京タワーを映して終わる。ちょっと稚拙な組み方のような気がしないでもない。でもまあそんなことはいいのではないか。はて!そうは言うもののこのタワーは庶民の夢を具現化したものだったのだろうか。
そして60年安保が目の前に迫っていたのだが。余計なことを考えるな!

新宿文化はレディース・デイだそうで混んでいた。電気がつき明るくなる。なんとなく和やかな雰囲気だ。皆んなの目元が赤い。抱き合っているカップルがいるがいやな感じがしない。なんとも微笑ましい。いい映画だった。師走のいい一日だった。(12/15)