日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

年の瀬の一時・こりゃ駄目だと`たんま`

2017-12-30 18:20:34 | 日々・音楽・BOOK

 晴天の年の瀬、妻君は都内中野から来宅する娘と海老名駅で待ち合わせて、正月に向けた年末の買い物をするのだと出かけた。僕はまず、コーヒーを淹れてTV「イノさんのトランクゴジラ監督と黒澤明」をちらほら見ながら此の一稿にトライし始めたものの、黒澤明が述べると言うことでもなし!集中力が途切れて此の一文もなかなか纏まらない。こりゃ駄目だと`たんま`。

ゴジラが終わりチャンネルを中井貴一の欧州記行に切り替える。

 妻君が娘を連れて帰ってくる。

札幌の建築家圓山さんからお送り戴いた卓上カレンダーを郵便受けから!今年の圓山さんのテーマは、「チセ・アイヌの伝統的住居」。例年のプレゼントだが、今年のもまた絶品だ。そして写真家飯田鉄さんからの「街を歩くIX終了展」の案内。会場は日本橋小伝馬町の,Roonee247、会期は2018年1月9日~14日。いずれも年内に届けて下さったことに心うつものあり!

 さて、沖縄の陶芸家大嶺実清さんから戴いた四角い陶器の上に、妻君と娘が購入してきた正月のお飾り二段餅の上に蜜柑を載せて、ちょっぴりと手を合わせて瞑目、そして軽い昼食。

 さてTVでは中井貴一が頑張っている。フィレンチエ、ルネッサンス、、バチカン宮殿、ミケランジェロ、パンティオン、ボッティチェリの作品など世界を作った天才たちの素顔などが中井貴一が登場していい感じで対応してくれる。(TVの画面にはヴァチカン独占撮影!と記載)

 此の一文を起稿しているうちに、5時を廻り、遠くの山添いの空が夕焼けに染まった。明日は大晦日である。


秋の日に聴くチェロとピアノのコンサート

2017-09-24 16:09:48 | 日々・音楽・BOOK

秋の日に聴くチェロとピアノのコンサート。

サン・サーンスのチェロソナタ2番の、マエストーソ、ラルガメントとされている第一楽章を聴きはじめて、この曲がいま(現在)の時代を象徴しているような気がしてきた。そして我が身の帰し越し方をふと振り返ることにもなった。異例である ! 

此の一文を書き起こしながら、改めて配布されたプログラムに目をやる。チェロを弾くのは小田急線沿線の秦野に住い、建築設計事務所を構える建築家久保寺敏郎、僕の出た明治大学建築学科の後輩でもある。曲の合間や、休憩時間に走り書きをしたメモ、そして「10回目の演奏会を迎えて」とタイトルされたプログラムに記載した久保寺とピアノを弾いた久保寺美帆の一文に改めて目を通し、瞑目する事になった。 

1(一曲目) 祈り――悲しみが胸に溢れるサンサーンス晩年の曲で、今年亡くなった心友に捧げます。此の曲を作曲したのは70歳のとき。サンサーンスは1835年の生まれ、1921(大正10)86歳で亡くなる。此の曲を冒頭に弾いた久保寺の想いに一夜を越して改めて心打たれた。そして休憩を挟んで演奏したチェロソナタ2番。こんな一文を記している。(文中一部略称)

1楽章は、力強く始まり激しい感情の起伏が増幅され・・・2楽章は8っの変奏曲形式・・・3楽章は心に染み入るう緩徐楽章、4楽章はピアノとチェロが絡み合い壮大に曲を構成していく・・・(以下略)。 

時間と題したピアノを弾く久保寺美帆の一文。14歳のときに渡英してピアノを学び様々な賞を得た久保寺の姪、・・・チェロリサイタルも今年で10回を迎え、時間は瞬く間に過ぎていきます。世の中の平和を願い、多くの作曲家の音楽作品と出会い、演奏できることの幸せをかみ締め、ピアノが弾ける時間を大切にしていきたいと思います。この二人のコンビネーションに魅せられた。 

そして第10回記念として演奏された`日本の歌シリーズ`。冒頭の「早春賦」。弾き始めたピアノの音を聴いて涙が出そうになった。春の小川、みかんの花咲く岡、と続いていく。会場から小さな声で囁くように歌う声が聞こえてくる。僕もムゴムゴとメロディを追うが、無念にも歌詞が出てこない。最後の一曲は`初恋`。そして拍手、幾つかのアンコールの最後に、久保寺はバッハの「G線状のアリア」を慈しむように弾いた。

 

 


夏の余波を愛しみながら 読書の秋に!

2017-09-07 14:10:23 | 日々・音楽・BOOK

 新宿の中央公園ではツクツクボウシ(つくつく法師、寒蟬ともいうそうな!)の音(ね)が・・晩夏・初秋を味わうことになる。秋、「読書の秋」が巡ってきたのだ。

 昨今、妙に時が経て行くことに目が向く。時に目を向けることは、とどのつまり、なぜ現在(いま)の己がいるのかと言う命題と対峙することになる。善きにつけ悪しきにつけ・・・そんなことを考える歳になったということなのだろうか?   以上前文(苦笑!)

 久松潜一東大名誉教授の監修による`新潮国語辞典━現代語・古語━(昭和44年2月5日 第3刷発行)をめくりながら、此の一文を起稿することにした。冒頭に`監修者久松潜一のことば`が記載されている。其れを読み解いていくと、此の辞典がこの時代の様相を映し出す`鏡`なのだと言う思いに捉われていく。

 冒頭の一文。「日常用いている言語は一つ一つ歴史があり、その由来の遠いものが少なくない。と同時に、一方では新しく造られてゆくものでもある。」と書き起こし、「・・・ここに新しき一冊を加えようとするのは、従来の辞典の不備を補うと共に今後の辞典のあるべき方向をいくらかでも具現してみようとした為に他ならない」と続ける。昭和四十年十月、とあるので僕が25歳のとき。

 ぎっしりと小さな文字でうめつくされた2170ページ余りになる分厚い黒い表装。裏表紙を開くと旧国名地図(奈良時代末期~明治元年)が記載されていて、その下部にS44,5(此の辞典を購入したと思われる年月)ありその右手に妻君の名前が黒いペンで書かれている。更にその右手には、その妻君の字で兼松との文字が・・・彼女が僕と結婚する前に購入し、結婚直後に署名したということになる。

 さて戦後なんと72年の歳月を経た。その間に数多くの国語辞典が世に現れた。此の新潮社の辞典は47年前の発行、僕が妻君と一緒になったほんの少し前に妻君が手に入れて持参したようだ。そして今でも現役、僕を支援してくれる言わば宝物だと言いたくなる。

 辞書と言えば欠かせない「新字源」。角川書店昭和42年発行の漢和辞典である。編者は小川環樹、西田太一郎、そして赤塚忠の3人。赤塚忠先生は僕の高校時代の同級生の父親、東大教授だった。その同級生も東大を卒業して現在は山形大学の名誉教授。かつてこのブログの何処かにコンクリート打ち放しによる「赤塚邸」のことを記載した記憶がある。此の住宅が、建築家としての僕の処女作になったのだ。 <この稿・間を置いて続ける>

 

 


この夏の最中に独り言!

2017-08-08 16:30:03 | 日々・音楽・BOOK

僕は70歳になった時に筆を折った。

文筆家ではないので「筆を折る」とは奇妙な言い方だが、要するに「建築家」としての主要な仕事、つまり建築の設計をしないことにした。乞われて一軒だけ関わり、そこには様々な物語が内在していて一項を設けたくなるものの、いわゆる年金生活を味わっている。`味わっている`と記したが、それはそれで生半可なものではなく、考えることもあるものだ!と、まず我が身の昨今に目を向ける。 

その一つは、先達の建てた建築を検証し、後世に伝え続けていきたいという思いを形にしていく作業(と言うと語弊があるかもしれないが)に関わっていること、ex、吉村順三・奥村昭雄の設計による、愛知県立芸術大学の「施設整備委員会建築環境評価専門部会」の委員。熱海市の「旧日向別邸等研究委員会」の委員。母校明治大学建築学科の「明建会」の副会長、等々の委員会に参画。築地市場建築存続の課題(DOCOMOMO Japan関連)!そして五反田にある従兄のオフィスビルの監修等々・・・ 

さて、月刊`建築ジャーナル誌`に連載を始めて5年目の半ばを過ぎ、この夏の8月号には大分の建築家`衛藤元弘さんに登場戴いた「建築家模様」。日本全国各地、まさしく沖縄の宮古島から北海道北端までの各地を駆け巡り、建築家を訪ね、設計をして建てた建築を拝見して写真を撮ってヒヤリング。`物を生み出す人種`としての共感を形として「書き表す」そのシリーズは僕の`終生の友`でもある。 

そして次は2005年7月から12年間書き綴っているこのブログだろうか!

`四方山話の集積`と書くと物議を醸し出しそうだが、我が身を映し出す`鏡のようなもの`だとつい言ってみたくもなる。いい歳になっても学ぶものがある。つまり「人の生きること」の多彩であることを`ある種`の形にすることになったことに!と言っていいような気がしてきている。`ある種`と言っていいのだろうかと自問自答。とどのつまり、僕にできることの一例でもある 

「夏の最中に」と銘打ったが、僕の心の中には「夏の終わりに」と記したい心根が蠢いている。さてどうしたものだろうか! 

<写真 8月5日 相模川での花火>


機能主義を超えるもの`平良敬一建築論集`に目をむけて

2017-07-23 14:47:13 | 日々・音楽・BOOK

ふと思い立って新宿の本屋に立ち寄った。館内をブラ歩きをしていたら、懐かしい名前と顔写真が目に付いた。

『平良敬一』。`平良さん`とお呼びしていいのか、やはり平良`氏´と記すべきかと一瞬戸惑ったが 建築界での先達として親しみと敬意を込めて、さん`付けにさせていただく。と書くと平良さんがどこかで苦笑しているかもしれない、とも思う。「お前は誰だ!」と。 

僕のアルバムに貼ってある松本哲夫さん、松隈洋さんと一緒に平良さんが映っている僕の撮った写真には、2013年とメモ的に書き込まれているが、このアルバムの4枚ほどページをめくると、沖縄の(故)国場幸房さんが、日本の建築界に大きな刺激を与えてくれた師大高正さんが鉛筆で書き込んでくれた葉書をコピーして取り込んだたA4紙に、御自身の味わい深い鉛筆による一文・手紙が張り込まれて、つい瞑目したくなった。幸房さんがほぼ平良さんと同年輩だったことと思う。

<余話> 私事で平良さんには失礼になるが、沖縄が何故か常に頭にある我が身を想い起こしながら、沖縄生まれの平良さんと僕の様々な想いが重なり合うということで、お許し願いたい。 

それはともかくこの平良さんの建築論集「平良敬一建築論集 機能主義を超えるもの」(風土社刊)は、とどのつまり`建築家`として同時代を生き抜いてきた僕の建築家人生と重なり合っていて興味が尽きない。本来なら読破してからこのような一文を記すべきなのだが、まずは全貌をパラパラとめくり、最終稿の`あとがきに代えて`「戦後建築ジャーナリズムとともに歩む」を読み通して刺激を受け、此の端書のような一文を記して置きたくなった。 

<掲載する写真は、2013年5月のDOCOMOMO Japanの総会後の懇親会時の写真と共に、僕のアルバムに貼ってあるのでほぼ同時期、僕の記憶ではどこかの大学でのイベントでの一枚だと思う。ふと思う。機会があれば、平良さんにお会いして沖縄論議をしたいものだ>


ボブ・ディランのNOT DARK YETに打たれて!

2017-06-16 13:41:31 | 日々・音楽・BOOK

“闇が迫ってきた。私は一日中此処に居た。眠るには暑すぎ、時間は去っていく“ 

このディランの一言、ボブ・ディランのNOT DARK YET(ノット・ダーク・イエット)の冒頭の語りかけである。このスローバラードから、我が人生を振りかえってみて、なにがしかの共感を得る。ところでこの時のディランは55歳だった。僕と同世代、僕が一歳年上になるものの、いまから20歳以上若かった55歳の時、このような心境にあったのかと己の生きることを考え併せて、フッとため息が出た。

CDの解説文には、この曲のこんな一節も記されている。「私はここで生まれ、自らの意思に反してここで死んでいく/まるで動いているように見えるだろうけどじっとしたままなんだ・・・」 

さて僕は ! と振り返る。20年ちょっと前の ! 僕。JIA(日本建築家協会)の保存問題委員会の委員長を担い、その後JIAの理事として活動を開始して、DOCOMOMOに関わることになるのだが ! と、思わず溜息が出た。

此のCD。カバーのタイトルの下のこんな一言。

「友よ、答えはこの中にある」。

 


春の終わりに

2017-05-31 16:19:45 | 日々・音楽・BOOK

明日から6月、水無月である。

今日の東京は薄曇り、新宿超高層街の欅並木が緑濃く群れ上がり、風が吹いているので蒸し暑くもないが、早晩梅雨の季を迎えることになる。水無月、古くは`清音`と言ったのだそうで、古人はうまい捉え方をするものだと、その季節感に遥かなその昔に思いを馳せる。いずれにしても「水の月」。忙殺されたこの一週間に目を向ける。 

24日(水)には東海大学病院での定期健診、その夕刻、新宿超高層の食事処で、なんと喜寿になった僕の祝いを妻君の兄貴連と。25,26両日は依頼された築地に関する原稿をとりまとめてバタバタと送付。

27日は土曜日なのにゆっくりと休む間もなく、ご午後からの築地市場でのシンポジウムにパネリストとして参画。その後の懇親会に参加、それはそれで楽しい一時でもあった。

日曜日、夕食をのんびりと一杯やっていたら錦織がやってるよとの細君の一言、そうだったとチャンネルを全仏に、うつらうつらとしながら錦織の勝利にうなずいてベッドへ。さて29日の月曜日、建築ジャーナル誌に掲載している`建築家模様`に起稿したロンドンに在住している建築家南雲さんと校正に関してのやり取りを行い、京王プラザホテルでの、大学時代の同級生連6人との1年振りの会食。老けたのはお互い様と、何となくニンマリとしながらの楽しい一時を味わった。

そして月末、午後2時頃までかかって依頼された原稿に取り込む長崎の、親和銀行大波止支店に関する寄稿のための撮った写真の検索。その後、なんとなく開き直って、上記こんな一文を書き綴った!

―写真:築地場外市場の一齣 2017・5・17 撮影―


丹沢山塊の一齣・卯月の終わりに

2017-04-30 14:49:35 | 日々・音楽・BOOK

 明日から皐月(さつき)。春たけなわの5月になる。さて!と、我が家から見遣る風景(時折り記す丹沢山塊だろうか!)の、卯月(うづき)の一齣を記しておくことにした。

卯月(うづき)、うのはなの咲く月。思い立って久松潜一監修による新潮国語辞典・現代語古語辞典を開く。うのはな、「うつぎの花」とあり、宇能波奈は今ぞさかりと・・とある。・・は咲きにけり、だろうか!何はともあれ春のさかり、とは言え、のんびりとこんな事を書いている場合ではないのだが・・この連休中に3本の原稿、沢山の資料を拝受した`築地市場問題`、深く関わって改修なった`四国鬼北町町役場`、ロンドンで活躍する建築家を捉える『建築家模様』。

何となく`ぼやき`ながら聴いているのは、この春日にふさわしい・悩ましきこの一時をホッとさせてくれるNORAH JONSの` Not too Late` である。とは言いながら、悩ましき!が先行してしまう。

一休みして、なにはともあれ、島酒、アイレイ、吟醸酒類の買出しへ!


森一郎教授の「ニーチェ」 にトライ

2017-03-19 21:28:02 | 日々・音楽・BOOK
文庫本「愉しい学問」(講談社刊)をお送り下さった東北大学´森一郎教授`のトークショーを拝聴した。
この3月18日(土)、東京駅八重洲口を出た道路の向かい側、八重洲ブックセンター8階のギャラリーである。本のカバーは、仙台の写真家小岩勉さんの、広瀬川で遊ぶ子供たちの姿を撮ったストイックなモノクロ写真で構成されている。数年前に小岩さんと共に、東北各地の広大な被災地巡りをした折、この写真を撮った処で被災の様相を見て、コトバが出なかったことを想い起こした。

この507ページに渡る分厚い本には、詳細な訳注と、「訳者あとがき」とした森一郎教授の綿密な論考が記載されているが、まずこの冒頭の序文を一読することから僕の読書がスタートした。そして彼方此方に傍線を引くことになったものの、この序文もまた貴重な読み処なのだ。

森教授が東京女子大学(東女・トンジョと呼称)に在任時代、A・レーモンドの設計による東寮と体育館を何とか残したいと、トンジョのOG連と共に活動をしたものの残すことができなかったことを想い起こす。

この度のギャラリートークには、そのときの東女OGの方々が数名在席されていた。お互い笑顔で思わず握手をしたりすることになった。そして、おそらく終生、僕の心のどこかに東女でのそのときの保存活動の経緯が留まっていることに気がついた。
森先生の講話をお聞きした後、ブラ歩きをしてOGの方々と昼食を共にする。

この一文を起稿しながら『喪われたレーモンド建築』と題した、『なぜ残せなかったか?』とサブタイトルのある著書を本棚から取り出して久し振りに観ている。僕が寄稿した「不条理と戦う考」と題した一文を読み返したりした。
その表紙には、『ホンモノは、「残さないでよかった」ことは一度も無く「残してよかった」か「残せばよかった」しかない』と記された東女のOG、作家永井路子氏の一文が記載されている。

明朝からの訪沖を直前にして

2017-02-16 15:42:12 | 日々・音楽・BOOK
明朝からの訪沖は、建築家根路銘さんと共に、亡くなられた盟友・沖縄の建築界を率いてきた国場幸房さん宅へ弔問、明後日・2月18日(土)の夕刻から行われる「聖クララ教会」でのコンサートを拝聴することです。そして宜野湾の建築家を訪問して建築を拝見させていただき、お話をお聞きします。

更に、大嶺實清さんを陶房に訪ねて陶話談義、JAZZの寓話にも!と書き記しながら、JAZZの好きだった国場幸房さんのにこやかな笑顔が蘇ってきて、瞑目することにもなりました。お線香をあげさせていただきます。
コンサートの前には、東京原宿で女性連で建築に取り組んでいる工房の沖縄出身の建築家が、一時帰郷しているので、那覇を中心とした建築探索をしようと言うことになっていますが、さてどこへどうやって! 多分、国際通り界隈のブラ歩きでしょう。そして一緒に聖クララへ!コンサートを支えている音楽家海勢頭さんとも久しぶり、ラサール神父にもお会いしたいものです。

月日の経つのが益々早くなり、己の來住越し方を振り返りながら、さてどうしたものかと思う昨今ですが、南国沖縄の沢山の知人の顔が浮かび上がり、やあ!と握手をしながら、その方々との尽きぬ会話を楽しむことになるでしょう!

<写真 2014年5月23日撮影>