日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

全日本卓球選手権を見ながらの若き日

2017-01-22 19:05:27 | 日々・音楽・BOOK
若き日、卓球にのめり込んだことがあった。この連日の「全日本卓球選手権」のTVの放映を見ながら思い起こすことがある。

嘗て、とは言っても数十年前にもなる高校生時代、高校では文学部の部長を担いながらも荻村伊知郎の時代、住んでいた柏(千葉県)の伯父の会社の社宅の近くに小さな卓球場が出来た。ふと出かけてみたら、その卓球場の近くに住んでいた東京都庁の職員と出会い、その穏やかな笑顔と端正な風情に引き込まれ、卓球にのめりこむことにもなった。
お名前を失念したが、その方は、全国都市対抗戦の東京都の代表を担う、荻村の盟友だった。そんなことを聞きながら卓球を学んだ。

そして僕は、母校での球技祭、3年生のときにクラス対抗球技祭でキャプテンとしてクラスを率いて優勝する。何となく苦笑いをしたことを想い起こすのは、決勝戦で1年生だけは卓球部員の参加を認める仕組み、対になった最終戦、相手は卓球部の俊英、1年生なのにレギュラー。僕たちはクラスメートともにこの卓球台を取り囲み野次を飛ばす。びびった1年生はミスを連発して僕たちが勝った。試合終了後その後輩にごめんね!と囁いたことを憶えている。

荻村が世界選手権で何度か優勝し、国際卓球連盟の会長を担ったことなど想い起こしている。同時に世代が替わり、卓球の技術的なスタイルも変わってきているとは言うものの、その面白さに替わりはない。とは言いながらも、余りにもいまの若き選手たち、生涯を卓球に依存するのかと、ちょっぴり気になっている。

<余話>こう書いてきた僕はいま、錦織とフェラディの全豪テニスの生中継に捉われている。写真がないので何時ものように空を!

晴天に恵まれて 年の瀬から新年に!とは思いながらも…

2016-12-31 16:22:26 | 日々・音楽・BOOK
年の瀬、大晦日、大晦(おおつごもり)、そして`おおとし`という言い方もあるという今日は、年の暮れ。
久し振りに我が家に来た娘は、妻君と御節(おせち)料理を一緒につくりながらの四方山話。
僕は自宅の大掃除、とは言え居間のバルコニーに面しているサッシのガラスを拭いただけ。ところが陽が差すと雑巾の後が妙に浮かび上がってきて、これじゃあ駄目でないか!キレイにしてくれよとガラスから睨まれているような気がしてきた。執筆を中断して拭きなおしてみる。

聴いているのはジョン・コルトレーンの「バラード」。
聴き慣れてはいるものの年の瀬に添って、といいたくなる、マッコイ・タイナー、ジミイ・ギャリスン、エルビン・ジョーンズという黄金のメンバー。
実は、朝10時からのNHK BSで映画「天使にラブソング」を観てしまい、何度も観ているのにあらためてグッときて困ってしまった。暮れの慌しいこの時間に、何故こんな映画を!とぶつくさ言いながらも・・・・

マンデリンを益子の陶芸家、親しい後藤茂夫さんの子息竜太君の作品真っ黒な`ぐい飲み`(とは言わず小ぶりの珈琲茶碗といったほうがいいのかナ)で呑みながらのこの一文。同時に娘のお土産,中野玉屋の和菓子十貫坂`一粒粟餅を食べての珈琲。年の瀬というより春の始まりといいたくもなる。とは言え・・・・

CDを、ギタリスト宮下昌子氏の`ヴィルトウオーゾに換えて、作曲家フェルナンド・ソルが亡くなった弟子を悼んで作った幻想曲ホ短調op.59に換える。そして今年亡くなられた建築家阪田誠造さんや、沖縄の盟友国場幸房さん、高校時代に仲のよかった友へ瞑目する。
2月に沖縄に行く。例年の聖クララ教会でのコンサートに参加すると共に、国場さんにお線香を手向けさせていただく。

ノラ・ジヨーンズの「デイ・ブレイクス」をあじわいながら 深夜を!

2016-11-27 17:58:58 | 日々・音楽・BOOK
建築誌に連載している「建築家模様」の第49話、盛岡の建築家山添勝さんの稿を脱稿し、ホッとしながら手に入れたノラ・ジヨーンズの新譜 「デイ・ブレイクス」に聴き入る。カバーには、こんなフレーズが書かれている。「懐かしくて新しい」。

繰り返し聴きながら、ポップスなのか、さてJAZZなのかと考え込み、フュージョンという一言も浮んできた。フュージョン(fusion)。融合、ジャンルの異なる音楽を融合したもの。クロス・オバーという一言も蘇る。

深夜、音を絞って聴き込む。と書き記しながら、いつの間にか寝入ってしまうことに苦笑。とは言いながらも、バックスにJAZZ界の大御所、ウェイン・ショーター(SS)の名を見つけてドキッとしたことを想い起こした。
12曲のうちの8曲はノラの作、或いはノラとの共作である。
4曲は、いわばスタンダードナンバー。ことに、ホレス・シルバーの曲「ピース」での、ウェイン・ショーターの不協和音的な音が、ノラのゆったりと唄うその声とコラボして、深い味わいを醸し出す。
更にデユーク・エリントンの「アフリカの花」でサポートするウェイン・ショーターとノラに酔いしれ、ニール・ヤングの「ドント・ビー・ディナイド」を・・・・

盛岡の、そして訪ねた雫石の山林をふと想い起こしながらの秋の終わり、冬の始まりのノラ・ジョーンズ。夜は更けて行く。

雪模様を目前に

2016-11-23 20:01:41 | 日々・音楽・BOOK
二十日ほど前に訪れた北海道・札幌。今日は雪。
住いのある海老名も東京も今夜から更に冷え込む模様。数日前から自宅の電気ストーブにスイッチを入れた。天気予報ではささやかな雪になる。11月なのに冬が来る。

19日に弟の7回忌。
21日には、国際文化会館で行われた、鎌倉の近代美術館のことなどで永年お世話になった`阪田誠造氏を偲ぶ会`に大勢の建築家と共に参列。瞑目しご冥福を祈る。
そこで追悼の辞を述べられた高階修爾氏と、永年活動してきた「近美100年の会」の取りまとめの下相談をする。会場では、坂倉建築研究所のOB連と、久し振りの出会いを懐かしみ、阪田さんへの思いを語り合った。

京都から来場した松隈洋さんとは、帰り道、地下鉄大江戸線麻布十番駅まで一緒になり、解体が取りざたされ始めたDOCOMOMO100選で選定した築地の卸売市場の件、どうしたものかとやり取りをする。僕は新宿へ、早く来た車両のドアまで送ってくれて、彼は反対車線に。

ノラ・ジョーンズの新盤`デイ・ブレイクス`が聞きたくなり、先程、海老名の新星堂に赴き手に入れた。
気に入っている珈琲マンデリンを淹れてゆっくりと味わいながら、ノラの声をも味わう。
TVで映画「大統領の執事の涙」を小一時間観ていたがちょっとつらくなり、これからはじまるバート・ランカスターとヘプバーンの出る「許されざるもの」に切り替えようかなどと考え始めた。

そして今、やはりこっちだと思い立って、「夜の大走査線」をBSジャパンで観ている。シドニー・ポワチエ。懐かしさを通り越してスゴイと改めて魅せられている。

`戦争をする国`の追記を:父の出征

2016-11-17 16:45:52 | 日々・音楽・BOOK
このブログの2稿前に記載した金子兜太の「あの夏、兵だった私」にも触れた「戦争をする国」に、追記しておきたくなった。
1945年(昭和20年)の6月、フィリピンのマニラ地区モンタルバンという処で夫を亡くした母が没してから9年を経たが、この週末、僕の弟の7回忌の法事が行われることになった。

やはり思うのは、伴侶を若くして失ったとは言え、母が没したのは92歳だったので天寿を全うしたと言ってもいいような気がするが、弟は僕の二つ年下。何故だ!という釈然としない思いがどうしても起きてくる。でもまあ、どこからか「お兄様(と僕は言われていた)は元気でいてよね!」という声が聞こえてこないでもない。理不尽だとは思いながらも・・・
早稲田を出た弟と、明大での僕との二人で観に行った明早戦(国立競技場でのラグビー:弟は当然のことながら早明戦・・懐かしき!!(とは言え口喧嘩になったりした)の観戦を思い起こす。

そして10年ほど前に1年間に渡って書き綴ったブログ「生きること」を紐解いてみたら、こんなことが書いてあった。父からの、妻(僕の母)へのハガキである。こうでも書かなかったら届かなかったのかも知れないと思いながらも、妻に心配させない配慮(必至な思い)に、つい涙ぐましくなる。そして最後の一言、(帰宅したら)「俺もどこか違う人間になっていると思う」との一文に、思わず僕を抱いている父の写真を見やった。

『生命享けて実に三十有六年、畏も天皇陛下の命令受けて遥かなる海外渡り、戦地に赴く男子の本懐之に過ぎたるはなし。お前と結婚して六ヶ年、この間三子を授かり生活的には苦しい乍も楽しい生活だった。この生活を継続する為には、どうしてもここで米英を徹底的にやらねばいけないのだ。
俺は命を受け戦地に赴く。そして必ず凱旋するぞ。現在の俺にはその自信がある。
その間子供のことをよろしく頼む。すくすくと杉が成長するように育ててくれ。今度俺がお前たちに会うときは、俺もどこか違う人間になっていると思う。お前もこれから苦労が多いことと思うが、しっかり頑張ってくれ。(以下略)』

金子兜太の上記「あの夏、兵だった私」のプロローグには`とても、きな臭い世の中になったな!(下記、抜き読み・・・)
「私は戦時中、海軍主計中尉としてトラック島に派遣されました。米軍の爆撃にさらされ、毎日、五十人から六十人程が非業の死を遂げます。・・戦略のせいもあって補給路を断たれ、餓死者が続出しました。(以下略)
そして、第一章のタイトルは「あまりにも似ている「戦前」といま」である。

<写真:自宅の僕の乱雑な書棚・「あの夏、兵だった私」はどこにあるのかな!>

秋の日々に札幌へ

2016-10-23 12:38:44 | 日々・音楽・BOOK
陽が短くなり、風も冷たくなり秋が来たのだと想う。
とは言え「秋の雲」、うろこ雲がすっきりと味わえるようになったとは言えず、清冽な秋空を望めない日々が続く。やっと木々が色づいて来た気配、例年の秋、そうだったかとついつい首をかしげる。

ボブディランが、うんともすんとも言わないと伝えられているが、僕は`MILES DAVISのカインド・オブ・ブルー`を聴きながらこの一文を起稿する。秋の朝のJAZZ、という感じが漂ってくる。ことにフラメンコ・スケッチのビル・エバンスのソロの一部に`天`を見るのだ。
とは言え深夜に聴くと、深い闇のこの世に瞑目するということにもなるのだけど・・・

この月末、29日の土曜日の早朝から札幌を訪れて3泊、天気予報によるとこの北の国、寒そうだ。

今年は遠出をせずに、札幌と郊外の建築を建築家(でもあり教師でもある)MOROさんと共に観て歩いた後、札幌市大で羽深教授の院生への講義。ちょっとした思惑があって、嘗て故鈴木博之教授と鎌倉の近美で、東京を中心としたモダンムーブネントに即する建築を語り合ったDVDを見てもらった後、僕の撮った北海道の建築の姿を放映し、建築とはなんぞや!という命題を語り合おうという魂胆である。

ところでMOROさん, 小樽の「プレス・カフェ」へはいつ行くのかな!ターマス、元気かな?

さてマイルスが終わり、悩ましき女人、ジャニス・ジョプリンのライブに切り替える。
大友博氏の書いた解説書の冒頭に、思わずドキリとした。
「生前のジャニス・ジョプリンを知る人は・・・」とスタートするのだ。そしてこう続く。・・・余りにも破滅的な性格や生活に比較して彼女のステージがどれほど素晴らしいものであったか、ステージ上の彼女がどれほど輝いた存在であったかを・・・」。・・・最後までドラックやアルコールと縁を切ることが出来ず・・・

<写真:小樽のプレス・カフェ・・2014年撮影>

ボブ・ディランのノーベル賞

2016-10-16 20:36:32 | 日々・音楽・BOOK

ボブ・ディラン30周年記念コンサートのライブ、2枚組のCDを音を小さくして味わいながら、松山英樹が見事に優勝したゴルフ`日本オープン`をTVで観て、スクラップした朝日新聞の記事に眼を向けてこの一文を起稿している。我、三役同時。これではそのどれもに集中できないが、日曜日の僕にはよくあること、表を見遣ると夕陽に染まり始めた秋雲の色が味わい深い。

「ノーベル文学賞」をとったボブ・ディラン。14日の新聞では3面に渡って写真入の様々なタイトル。
「風に吹かれて」「時代は変わる」「偉大な詩人」。
「風に吹かれて快挙」「すさまじい詞」「未踏の領域」「意外な視点」。
そして「吟遊詩人ディランおめでとう」。
世界各国の文学者から異論・賛否があるとも記載されているが、ボブ・ディランは僕とは同世代、時代を共有しているとの実感が僕のどこかに内在していることに思い至った。

紹介文には、ロック、フォーク界のカリスマ的存在とも記されているが、僕は一回り年上のピート・シーガーにも惹かれていて、アルバム`Where have All the Flowsrs Gone`を繰り返し、繰り返し愛聴している。唄い方もテーマも違うがどこかに同じく反骨の心根が感じ取れて、僕の生き方の指針にもなっているような気がする。

<表記のボブ・ディランの写真 playlist:the very best of series より>


秋が来る!明日から盛岡へ

2016-10-06 15:32:37 | 日々・音楽・BOOK

`烏、カーと鳴いて夜が明ける`…
これは講談家が場面転換でよく使う常套句だが、昨今僕は、実体感をもって感じ取っている。早朝、ふと尿意を覚えて目が覚めると、`カー`に呼応するように`グーグル・グーグル(呼応する文字・文言が出てこない)という鳩の、どこからか聞こえてくる「朝が来た!」だ。
仲間への挨拶(さてどうなのかナ?)、或いは己の(俺は長だ!と威張って)居場所を伝えているのだろうか?或いは仲間へ場所の告知?

こんなこともあった。
寝ていたら窓の外の格子状の手摺りに留まっているらしい鳩の声。あまりにも身近なので、ブラインドの横桟をそっと指で開いてみたら、鳩の目と一瞬の睨めっこ!困惑した鳩はパッと飛び去った。

ところでつい数日前の朝、小田急線の見えるバルコニーから、鳩の大きな鳴き声、そっとカーテンの隙間から覗くと、物干し竿に大きな鳩がとまっている。気配を感じて鳩が振り向き、一瞬目があい、首を傾げ(と思った)、さっと飛び去った。語り合いたかったのに!なんてふと思ったものの・・・やっぱり!

さてそのバルコニー、夏の終わり日に蝉が!身近に聞こえる大きな蝉の声、どこに居るのかとバルコニーを見まわしたが見つからず、やれやれと思ってトイレと洗面所に。そして朝食後事務所に出かける前にふとバルコニーを見やると、蝉がバルコニーの床に!動かない。
息絶えているようだった。可愛そうだと手に取って、駅に向かう通路脇の樹の根元にそっと置いてやる。

我が家は4階。鳩や蝉が、飛び交いやすくて留まりやすい高さのなのかも!
そんな思いを留めながらも秋が来た。桜の木々の葉っぱがほんの少し色好きはじめ、新宿中央公園の欅の樹々もちょっぴり色付きの気配。でもなぜか昨今、新宿でも僕の住む海老名でも烏の鳴き声が聞こえずその姿も見えない。どうしたのかと気になりながらも、秋が来るのだ!

処で明日の早朝から友人の車に便乗して2泊での盛岡行き、建築家にヒヤリング。国体があってホテルも新幹線もとれなくて友人の山荘に!被災地を気にしながら台風が去った秋の装いを味わえるだろうか!

JAZZ・「ルー タバキン トリオ」と巡りあって!

2016-09-25 11:03:19 | 日々・音楽・BOOK

柏市のWUUでのLEW TABACKIN TRIO(ルー タバキン トリオ)のライブ。
今年も訪れた2月の那覇`寓話`でのライブ以来のJAZZ。テナーサックスとフルートのタバキンを支えるベースのボーリス・コズロブとマーク・テイラーのドラムスとの絶妙なコンビネーションに心が揺さぶられた。

更にタバキンの、JAZZというジャンルを遥かに越えたといいたくなったフルートのソロは、日本の風土の一側面を美学として捉えており、ふと、若き日、アメリカを舞台にビッグバンドを率いてきた秋吉敏子夫人の故郷への想いへの心根を、極く自然に汲み取っているかとつい瞑目する。

ルー タバキンは僕と同い年、敏子夫人は11歳年上とのこと、JAZZに酔いしれながら人の生きることを思いもかけず考えることにもなった。
僕は何はともあれ建築家。同時に同じ建築家にヒヤリングをして写真を撮り文章を書いて人を考えているが、タバキントリオのJAZZ MENはさてどうなのだろう!

WUUは高校時の同級生小柳の所有するビルの4階にあるライブハウス。此処でこの6月、母校東葛飾高校の同級生の「葛の会」同窓会の2次会を行った。僕の住いからは電車を乗り継いで2時間半ほど掛かるが、何はともあれ人の縁とは不思議なものだ。

朝ドラ「とと姉ちゃん」でのコトバ使いに!

2016-09-14 15:16:53 | 日々・音楽・BOOK
「そういえばお母さんはよく『暮らしの手帖』を見ていたね!」と我が妻君がのたまう。
妻の一言で、大正3年生まれだった亡き母が愛読していたことをふと想い起し、一冊くらいとっておけばよかったと悔やんだ。

僕は毎朝NHK 1チャンネルの朝ドラを見てからやおら立ち上がり、リュックサックの中を確認して背負い込み、小田急線に乗って新宿の事務所に向かう。
我が家の新聞は、僕の生まれる前から朝日、でも週刊誌「週刊朝日」を読むことはほぼ皆無。
処がふと何かの広告で,NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」に異議あり!!という特集が組まれていることを知って駅の売店で買ってページをめくった。

僕が気になっていたのは特集されている「暮らしの手帖」編集長だった花守安治のことや、その多少の事実誤認問題ではない。伝記を伝えるドキュメンタリーではなくて、`朝ドラ`なんだから!そんなの目くじら立てるほどのものではない、と思っている。

ということで毎朝TVを楽しく拝見しているものの、例えば、主役とと姉ちゃん常子が、常に発するコトバ「・・・してもらってもいいですか?」という言葉使いが耳障り、気になっている。
「・・・して下さい」とか、「…してくださいませんでしょうか」というのが、このドラマの時代の当たり前の言葉使いだろう。まあ、昨今。何処へ行っても、著名百貨店でもレストランでも…その言葉使いに僕はなにがしかの違和感を覚えるものの、この朝ドラ、時代を考えればありえないコトバ使いではないだろうか。
さてさて、「どうしたもんじゃろう!」これは誰の言い回しでしたっけ!

<付記:とと姉ちゃんのTV画像や、上記した週刊朝日の写真などは使えませんので、何の関係もありませんが、我が家の近くにある賑やかな海老名中央公園の写真を添付しておきます>