先に画像のことを少し。
一昨日だったと思う。そのはずで、夕方天気はよく、しかし細い月は見えないので、どこにあるのだろうと
歩いて3分で着く、広いところまでいった。広すぎて、ちょうどお日様が沈むところだった。
お日様は真っ赤な色で、あの色は画像には残らないだろうが、目には残った。でもあまり長いこと見ない方が
いいくらいの強さで、低い山に沈みかけたところ。月の位置もわかって、あとは歩くこと、その辺にある
草や、作物を眺めて、帰ってきた。カメラはなし。
きのう同じ時間は、同じような天気で、土曜日に再び変更している食料品の宅配をお願いしている日。
一週間分である。これが着くと、少し元気は出る。早ければなおのことだが。
だが、待っている間、休んでもいたので、届いて片付けて、夕日と月の画像をやってみようとなぜか思った。
それでも、きのうの夕方も月はなかなかわからなかった。実際画像も、わかりにくい。
空が明るすぎる。
今日は、その気はなかったが、朝からいい天気で、そんなに冷えてもいないことは気象台のアメダスでも
わかった。日曜もふだんも変わらないが、秋に秋のよさがあってまたその逆もあるが、9時15分という時計の
示す時刻で、午前から散歩もいいかも知れない、と思う。このゴロゴロとするか、あるいはわざわざ歩くか、
カメラも持つので、距離は、小学生が通う学校までの片道に足りないが、気持ちを変えるのはなかなか大変。
重い腰、重い腰でいいのだろうか。重い身体を、どっこいしょと言いながら、・・・。まずは出かけるための、
用意はいくつかある。
水もガラスのコップに入れておくと、自然となくなるものだが、そのいつに入れたかわからないコップの水を
飲むこともある。でも、減る速度は遅い。ガスを使う。尻に火がついた、というところまで持ち上げるのが
一番わかりやすいと思う。沸騰させる。これは大仰で、それこそ極地探検にでも行くような表現だが、
そんなことはない。そこまではない。
なかなかいい景色があった。
短く、これが目標。で、一番気にいったのは、景色ではなく、いつの間にか後ろにおられた、ぽかぽか散歩を楽しむ
二人の女性の会話である。年齢はわからないが。私は61歳だが。今年はずっと61だが。
20m離れている。先にその二人の女性の声が大きく聞こえた。近くのあるいはご町内の知り合いの方か。窓越し
かどうか、いずれにしろ会話があって、「いつも仲良くていいねーナニナニさん」と言う声。相手の方も
女性だろう。だれと仲がいいかわからないが。
15mになろうとするとき、また別の方との話である。外はぽかぽかだよ、いえの中より外のほうが暖かい。
私と同じことを話している。外に出て来たらといったかどうか。そこはわからない。何しろ後ろにおら
れるので。
ぐるっと中学のほうから、ヒヨドリ台、美登里町のほうまで歩いてきたけれど、よかったよ。ぽかぽかだし
空気もきれいだし、いえの中よりずっといいよ。「ナニナニさんも外、外だよ」。
こんな感じだったか。私は追いつかれそうになって、というより、1時間の予定がオーバーしているので
この5分くらいの会話を聞きながら、耳は大きく、でも足はあまり早くは動かなかった。
どこにでもある話で、それでも、こうゆう会話はいまの季節しかないか。冬になると、また冬の会話がある。
これも聞くことはあるが、どうなるのか。元気な人がうらやましい。
で、きのうの、午後5時過ぎの、田んぼだけがあって、はるかかなたに県境だと思える山、そこに
沈む夕日。月はかすか、大きさはもうあるのだけど。お日様は中途まで沈んでいるところで、終わって
いる。
その一。車一台、止まった。こっちに来そうで、その前にビニルハウスの向うに夕日。
その二。これは色はさほど。
その三。午後5時ごろか。目で見ていると、ちょっと厳しい明るさ。真っ赤である。
カメラでは白くなるけど。
その四。月を見つけるのに、やはり時間かかった。お日様と一緒だというのはまだ撮れそうになく
まずは月だけ。見た感じ薄い色、真ん中上のほう、わずかに右。地平の建物なども、元画像を拡大
するとわかる。これ、G1 Xを使っている。二台のうちの一台で、背面右上のホイールを回転させても
うまくパラメータが変わらなくなっている。これが出ると辛い。
その五。まだ沈むまで時間が。
その六。
その七。それでも地球は動いている。
その八。お日様と月と。太陽は右下隅、月は左上隅。これだけ、まだ明るさがあると、
月の反射光と夕空の明るさは同じくらい。
その九。沈む太陽。
その十。少しだけ月を大きく。
いえに帰ってきて、まずは窓から外を見ると、月はちょうどいい明るさに。
でもすぐに見えなくなった。
こんな時間、マラソンはもう終わっているはずだけど。
一昨日だったと思う。そのはずで、夕方天気はよく、しかし細い月は見えないので、どこにあるのだろうと
歩いて3分で着く、広いところまでいった。広すぎて、ちょうどお日様が沈むところだった。
お日様は真っ赤な色で、あの色は画像には残らないだろうが、目には残った。でもあまり長いこと見ない方が
いいくらいの強さで、低い山に沈みかけたところ。月の位置もわかって、あとは歩くこと、その辺にある
草や、作物を眺めて、帰ってきた。カメラはなし。
きのう同じ時間は、同じような天気で、土曜日に再び変更している食料品の宅配をお願いしている日。
一週間分である。これが着くと、少し元気は出る。早ければなおのことだが。
だが、待っている間、休んでもいたので、届いて片付けて、夕日と月の画像をやってみようとなぜか思った。
それでも、きのうの夕方も月はなかなかわからなかった。実際画像も、わかりにくい。
空が明るすぎる。
今日は、その気はなかったが、朝からいい天気で、そんなに冷えてもいないことは気象台のアメダスでも
わかった。日曜もふだんも変わらないが、秋に秋のよさがあってまたその逆もあるが、9時15分という時計の
示す時刻で、午前から散歩もいいかも知れない、と思う。このゴロゴロとするか、あるいはわざわざ歩くか、
カメラも持つので、距離は、小学生が通う学校までの片道に足りないが、気持ちを変えるのはなかなか大変。
重い腰、重い腰でいいのだろうか。重い身体を、どっこいしょと言いながら、・・・。まずは出かけるための、
用意はいくつかある。
水もガラスのコップに入れておくと、自然となくなるものだが、そのいつに入れたかわからないコップの水を
飲むこともある。でも、減る速度は遅い。ガスを使う。尻に火がついた、というところまで持ち上げるのが
一番わかりやすいと思う。沸騰させる。これは大仰で、それこそ極地探検にでも行くような表現だが、
そんなことはない。そこまではない。
なかなかいい景色があった。
短く、これが目標。で、一番気にいったのは、景色ではなく、いつの間にか後ろにおられた、ぽかぽか散歩を楽しむ
二人の女性の会話である。年齢はわからないが。私は61歳だが。今年はずっと61だが。
20m離れている。先にその二人の女性の声が大きく聞こえた。近くのあるいはご町内の知り合いの方か。窓越し
かどうか、いずれにしろ会話があって、「いつも仲良くていいねーナニナニさん」と言う声。相手の方も
女性だろう。だれと仲がいいかわからないが。
15mになろうとするとき、また別の方との話である。外はぽかぽかだよ、いえの中より外のほうが暖かい。
私と同じことを話している。外に出て来たらといったかどうか。そこはわからない。何しろ後ろにおら
れるので。
ぐるっと中学のほうから、ヒヨドリ台、美登里町のほうまで歩いてきたけれど、よかったよ。ぽかぽかだし
空気もきれいだし、いえの中よりずっといいよ。「ナニナニさんも外、外だよ」。
こんな感じだったか。私は追いつかれそうになって、というより、1時間の予定がオーバーしているので
この5分くらいの会話を聞きながら、耳は大きく、でも足はあまり早くは動かなかった。
どこにでもある話で、それでも、こうゆう会話はいまの季節しかないか。冬になると、また冬の会話がある。
これも聞くことはあるが、どうなるのか。元気な人がうらやましい。
で、きのうの、午後5時過ぎの、田んぼだけがあって、はるかかなたに県境だと思える山、そこに
沈む夕日。月はかすか、大きさはもうあるのだけど。お日様は中途まで沈んでいるところで、終わって
いる。
その一。車一台、止まった。こっちに来そうで、その前にビニルハウスの向うに夕日。
その二。これは色はさほど。
その三。午後5時ごろか。目で見ていると、ちょっと厳しい明るさ。真っ赤である。
カメラでは白くなるけど。
その四。月を見つけるのに、やはり時間かかった。お日様と一緒だというのはまだ撮れそうになく
まずは月だけ。見た感じ薄い色、真ん中上のほう、わずかに右。地平の建物なども、元画像を拡大
するとわかる。これ、G1 Xを使っている。二台のうちの一台で、背面右上のホイールを回転させても
うまくパラメータが変わらなくなっている。これが出ると辛い。
その五。まだ沈むまで時間が。
その六。
その七。それでも地球は動いている。
その八。お日様と月と。太陽は右下隅、月は左上隅。これだけ、まだ明るさがあると、
月の反射光と夕空の明るさは同じくらい。
その九。沈む太陽。
その十。少しだけ月を大きく。
いえに帰ってきて、まずは窓から外を見ると、月はちょうどいい明るさに。
でもすぐに見えなくなった。
こんな時間、マラソンはもう終わっているはずだけど。