ダラダラ書きはよくはない。そう思うが、いつも結果としてはダラダラ書きだ。
花として、コスモス。コスモスは花屋さんにあるか。こうゆうことは普通考えない。
コスモスはいつからある。これも考えない。どこが原産。
小さいころ、花をつむ。そうゆうこともなかった。花はホウセンカ。
いまでも百舌鳥という町にいた、昭和の30年代を思い出すことは出来る。社宅だった。風呂はなかった。
壁はボロボロで、そうゆうことはなかったか。『第二室戸台風』にあった。伊勢湾台風は、これはそのときは
知らなかった。織物工場が、そばにあった。大きな建物で、すでに倒産した後で、その後は、転校した
ので知らない。転向、こうゆう言葉は知らなかった。目の前は畑で、キャベツ畑のときもあった。
大阪の堺は、どうゆう街か。堺の中心の駅は、昔の阪和線だと、たしか金岡。その後はもちろん駅名は
変わっている。
三国ヶ丘という駅があった。その和歌山よりの次の駅が、百舌鳥だ。住んでいるのと反対側に、改札が
あったと思う。そっちは、仁徳天皇陵がある。ここは一周したことはない。いえの、すぐそばに、そこは
それまでは畑だったが、小さいスーパーマーケットが出来た。南海電鉄の線路があって、三国ヶ丘の駅で
阪和線とそれとは交差していたが、南海電鉄が上側を走っていたのかな。近いのは百舌鳥八幡駅だったと
思う。中百舌鳥という駅があった。百舌鳥八幡と中百舌鳥。
これも懐かしい。昔の南海ホークスの球場もそばにあった。
その百舌鳥の町に、これまたどうしたことか赤い畑と書いて、赤畑という町名があった。赤い畑、そこで
見ていたのは、キャベツ畑に、他に冬はダイコンはあった。イネももちろん作られていて、残った藁が、うまく
積み上げられて、そうゆう田んぼで遊んだ。アカトンボが飛んだ。他に、何でも野菜はあった。花はしかし
あまり思い出はない。ホウセンカに、アサガオに、それになんだろうか。柿を食べて、柿の種を植えた。
桃はないが、栗はあった。柿はしかし、なるはずはない。栗は拾いに、遠足、撒いてある栗。
大阪にも南の方があれば、海のほうもあれば、山もあって、金剛山などは冬は雪が積もる。金剛山、どこに
でもあるような名を、ここの山にも付けたのは、意味はあるのだろう。金剛、どうゆうことだろうか。
この辺りの地方、野菜の産地だというのは、もともとそんなに寒くはないという意味もあるのだろう。
大阪湾は、ヘドロの海になったのかどうか。でも海はきれいではなかった、と思う。
小学校に、なんでもありで、咲いている花に記憶はあまりない。もっともな話である。チューリップは
なかった。ヒヤシンスは、大体どこかの教材の業者が、水耕栽培にいいと持って来たのではないか。
ホテイアオイがあった。スイレンもあったようだ。
大学のとき、12年か、13年はたっていたが、一度ここの町にいった。むかしの同級生に会うことも出来た。
親の方が仲がよく、小学校を転校して、何ヶ月かして、お母さんと子供三人が、父の転勤で、新しい土地に
移ったところに尋ねて来たことがある。むかしはこうゆうこともやっていたのだな。
狭い部屋で、多くの人間が眠った。もっとも、転居したその日というのも、父の会社の知り合いのいえに
泊まった。ふかふかの布団。近鉄の電車に揺られて、2時間。近鉄は、上六からで、これは上本町六丁目だが
ここから2時間、あとは歩いて、15分。
12年か13年たった、昔の大阪は変わっていた。むかしはもうなかったが、小学校と、仁徳天皇陵はあった。
コスモスの花は、大阪では記憶にない。次の三重県でも、特に記憶にない。
コスモスはむかしはさほど人気はなかった。いや、花を見る習慣なんかなかった。そうゆうことだろう。
タンポポの冠毛、これは飛ばしたかも知れない。いずれにしろ、花はなくても、生きていけたということだが、
それにしても、花屋さんにコスモスは見ない。コスモスは雑草のようなものかな。どこにでもある。
でも富山の街の中で、どうゆうわけかコスモスを見た記憶はない。唄の影響かな。
これも、きのうの月曜の朝のコスモス。
その一。
その二。風が吹いて、倒れそうになって、雨に何度か打たれて、花はそれでも咲いている。
まだまだ咲くだろう。
その三。先ほどから雨か晴かという天気だ。
その四。気温は上がっていないと思う。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。明るい画像だと、少しぼんやり感は出る。
富士山初冠雪で、これがいつだったか。もうかなり前から、ここのアメダスの値で気温は氷点下で
マイナスの7℃とか8℃のときがある。今日はもっと低いかも知れない。
立山連峰、これもどこだったか、うっすら雪が降った。この便りも、もう3日ほど前になるか。
でも肝心の山が見えない。
冬はそこまでだが、灯油ヒータ、油いつ入れる。
来週日曜、新聞回収日。また溜まったが、一袋分くらいしか出来そうにないが、この袋詰め
やれる日が来るか。
花として、コスモス。コスモスは花屋さんにあるか。こうゆうことは普通考えない。
コスモスはいつからある。これも考えない。どこが原産。
小さいころ、花をつむ。そうゆうこともなかった。花はホウセンカ。
いまでも百舌鳥という町にいた、昭和の30年代を思い出すことは出来る。社宅だった。風呂はなかった。
壁はボロボロで、そうゆうことはなかったか。『第二室戸台風』にあった。伊勢湾台風は、これはそのときは
知らなかった。織物工場が、そばにあった。大きな建物で、すでに倒産した後で、その後は、転校した
ので知らない。転向、こうゆう言葉は知らなかった。目の前は畑で、キャベツ畑のときもあった。
大阪の堺は、どうゆう街か。堺の中心の駅は、昔の阪和線だと、たしか金岡。その後はもちろん駅名は
変わっている。
三国ヶ丘という駅があった。その和歌山よりの次の駅が、百舌鳥だ。住んでいるのと反対側に、改札が
あったと思う。そっちは、仁徳天皇陵がある。ここは一周したことはない。いえの、すぐそばに、そこは
それまでは畑だったが、小さいスーパーマーケットが出来た。南海電鉄の線路があって、三国ヶ丘の駅で
阪和線とそれとは交差していたが、南海電鉄が上側を走っていたのかな。近いのは百舌鳥八幡駅だったと
思う。中百舌鳥という駅があった。百舌鳥八幡と中百舌鳥。
これも懐かしい。昔の南海ホークスの球場もそばにあった。
その百舌鳥の町に、これまたどうしたことか赤い畑と書いて、赤畑という町名があった。赤い畑、そこで
見ていたのは、キャベツ畑に、他に冬はダイコンはあった。イネももちろん作られていて、残った藁が、うまく
積み上げられて、そうゆう田んぼで遊んだ。アカトンボが飛んだ。他に、何でも野菜はあった。花はしかし
あまり思い出はない。ホウセンカに、アサガオに、それになんだろうか。柿を食べて、柿の種を植えた。
桃はないが、栗はあった。柿はしかし、なるはずはない。栗は拾いに、遠足、撒いてある栗。
大阪にも南の方があれば、海のほうもあれば、山もあって、金剛山などは冬は雪が積もる。金剛山、どこに
でもあるような名を、ここの山にも付けたのは、意味はあるのだろう。金剛、どうゆうことだろうか。
この辺りの地方、野菜の産地だというのは、もともとそんなに寒くはないという意味もあるのだろう。
大阪湾は、ヘドロの海になったのかどうか。でも海はきれいではなかった、と思う。
小学校に、なんでもありで、咲いている花に記憶はあまりない。もっともな話である。チューリップは
なかった。ヒヤシンスは、大体どこかの教材の業者が、水耕栽培にいいと持って来たのではないか。
ホテイアオイがあった。スイレンもあったようだ。
大学のとき、12年か、13年はたっていたが、一度ここの町にいった。むかしの同級生に会うことも出来た。
親の方が仲がよく、小学校を転校して、何ヶ月かして、お母さんと子供三人が、父の転勤で、新しい土地に
移ったところに尋ねて来たことがある。むかしはこうゆうこともやっていたのだな。
狭い部屋で、多くの人間が眠った。もっとも、転居したその日というのも、父の会社の知り合いのいえに
泊まった。ふかふかの布団。近鉄の電車に揺られて、2時間。近鉄は、上六からで、これは上本町六丁目だが
ここから2時間、あとは歩いて、15分。
12年か13年たった、昔の大阪は変わっていた。むかしはもうなかったが、小学校と、仁徳天皇陵はあった。
コスモスの花は、大阪では記憶にない。次の三重県でも、特に記憶にない。
コスモスはむかしはさほど人気はなかった。いや、花を見る習慣なんかなかった。そうゆうことだろう。
タンポポの冠毛、これは飛ばしたかも知れない。いずれにしろ、花はなくても、生きていけたということだが、
それにしても、花屋さんにコスモスは見ない。コスモスは雑草のようなものかな。どこにでもある。
でも富山の街の中で、どうゆうわけかコスモスを見た記憶はない。唄の影響かな。
これも、きのうの月曜の朝のコスモス。
その一。
その二。風が吹いて、倒れそうになって、雨に何度か打たれて、花はそれでも咲いている。
まだまだ咲くだろう。
その三。先ほどから雨か晴かという天気だ。
その四。気温は上がっていないと思う。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。明るい画像だと、少しぼんやり感は出る。
富士山初冠雪で、これがいつだったか。もうかなり前から、ここのアメダスの値で気温は氷点下で
マイナスの7℃とか8℃のときがある。今日はもっと低いかも知れない。
立山連峰、これもどこだったか、うっすら雪が降った。この便りも、もう3日ほど前になるか。
でも肝心の山が見えない。
冬はそこまでだが、灯油ヒータ、油いつ入れる。
来週日曜、新聞回収日。また溜まったが、一袋分くらいしか出来そうにないが、この袋詰め
やれる日が来るか。