名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

旅行中の日本の出来事

2015-06-04 20:28:06 | Weblog
2015.6.4(木)
 5月27日から6月3日までイギリスに行っていた間での出来事を記録しておく。
1) 5月27日 安全保障関連法案が衆院平和安全法制特別委員会で実質審議始まる。
2) 医療費抑制のため、患者負担の増加を柱とする医療保険制度改革の関連法が27日の参院本会議で、自民、公明、維新の党、次世代の党などの賛成多数で可決、成立した。
3) 日本相撲協会は27日、番付編成会議で関脇照ノ富士(23)の大関昇進を決めた。
4) スイス司法当局は27日、収賄などの疑いで国際サッカー連盟(FIFA)の副会長二人を含む幹部ら7人を逮捕と発表。
5) 28日、衆院政治倫理・公選法改正特別員会は、選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる公選法改正案の実質審議に入った。成立すれば、来年の参院選から実施される。
6) 29日午前9時59分ごろ、鹿児島県の口永良部島の新岳で爆発的噴火が発生。噴火警戒5に引き上げ。屋久島町に災害救助法を適用。全島140人の住民に避難指示。
7) FIFAブラッター会長が5選。
8) 30日午後8時24分ごろ、東京都小笠原諸島の西方沖を震源とするM8.5の地震発生。小笠原諸島の母島と神奈川県二宮町で震度5強を観測。震源の深さは約590キロ。
9) 「新庁舎見直しを求める」新城市の住民投票は、計画の大幅縮小を求めた『選択肢2』が市長提案の案を3140票上回る12899票(得票率57%)を獲得した。市は大幅な設計の見直しを迫られ、遅れは必至となった。
10) 日本年金機構は6月1日、ウイルスメールによる不正アクセスを受け、年金情報約125万件が外部に流出したと発表した。
11) 6月1日、町村信孝前衆院議長死去(享年70歳)。
12) 中国湖北省の長江で6月1日、乗客ら456人を乗せた大型客船「東方之星」が転覆。2日
夜までに14人が救出されたが、7人の死亡を確認。
13)2日の東京外国為替市場の円相場は、米国の利上げが早まるとの見方が強まったことを背景
 に、円安ドル高が進み、12年半ぶりに一時1ドル125円台をつけた。
14)丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」6点が、戦後70年を機に、米国で展示される。13日か
らワシントンのアメリカン大美術館を皮切りにボストン、ニューヨークで12月まで巡回す
る。


イギリスの旅から無事帰国

2015-06-04 18:16:41 | Weblog
2015.6.4(木)
 昨日(6月3日)昼過ぎに、5月27日から出かけていたイギリスの旅から無事帰国することができた。
 旅行はほぼ計画通りにいき、参加者全員元気に過ごせたことがまず何よりであった。この時期のイギリスは日本における3月中旬の気候であり、毎日が夏日であった名古屋からみるとかなり寒い日々であった。また天候の移り変わりの早いのも驚きの一つであった。一日中晴れの日はなく、突然曇ってきたかと思うと雨が降り出すという天気で、傘を手離せない日々であった。
 音楽会は3回、予定通り聴くことができた。いずれも地元の管弦楽団、合唱団の出演によったが、大いに楽しめた。
 イギリス出身のエドワード・エルガー作曲のオラトリオ「ゲロンティアスの夢」は壮大な宗教曲であるが迫力があり、アマチュアの合唱団も高齢者がほとんどであるがしっかりと心に響く演奏であったと思う。
 エディンバラ祝祭劇場でのヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」は、美しい女官レオノーラをめぐる二人の男の三角関係を荒唐無稽な筋書きで描き、最後はすべて悲劇で終わるドラマである。各幕に有名なアリアや合唱があり、存分に楽しめた。
 ロンドンにあるコヴェントガーデン王立歌劇場では、ロイヤルバレエ団による三つの演目を鑑賞した。
 ジェローム・ロビンズの振付によるドビュッシーの「牧神の午後」と「イン・ザ・ナイト」と銘打ったショパンの「ノクターン」、さらにイギリス出身の振付家ケネス・マクミランによるマーラーの「大地の歌」が演じられた。ダンスはよく分からないが、クラシックダンスというより、コンテンポラリーダンスといったほうがよいのかも。それにしても見事な演技ではあった。一人の若い日本人女性ダンサーもおり、立派に演じていた姿が印象的であった。
 
 こうした音楽会のほかに、もちろんあちこちの観光にも行った。27年前に大英博物館を訪れたことがあるが、今回の印象はそのときの印象と全く異なるものであった。広場に天蓋が設置されたことが大きいのかもしれない。改めてこの博物館の巨大な収集に感嘆せずにはいられない。帝国主義国家がその力を背景にして植民地からよくも集めたものである。しかし、そのおかげで世界の遺産が残されることになったという点では貢献したとも言える。

 14人のツァーであったが皆元気に帰ることができたことが何よりである。