田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

超短編 24 妖変 言問橋  麻屋与志夫

2012-10-28 09:03:26 | 超短編小説
24 妖変 言問橋

見上げるとカモメがとんでいた。
羽ばたいてはいない。
澄んだ秋の青空をゆうゆうと滑空している。
鳥にかんしては、知識がない。
なにひとつといっていいくらいいうことがない。
こまごまとしたことをいうこともできない。
キョウミがないのだ。
魚もそうだ。
すし屋にいって魚の名前を知ったかぶりをする。
そうした百科事典のような知識はない。
むしろいままではそれを誇りとして生きてきた。
しかしいま――中途で政界を引退させられた。
盟友の何人かは新しくできた党に鞍替えした。
この政変は泥沼化している。

若い元美人秘書とのスキャンダルで引退をよぎなくされた。
これでよかったのだ。

これからき、日常的な、些細な知識も必要となってくるのではないか。
どこかの大学で講師として雇ってくれるだろうか。
将来に対する漠とした不安はある。

歳の差婚でいっしょになった若く華やかな妻とつれだって言問橋までさしかかった。
見上げた空に舞っている鳥をみて「あっ。カモメ」とつぶやく妻に。
「あれは都鳥だ」とおもわずくちばしってしまった。
『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思う人はありやなしや』
……伊勢物語の業平の故事を。
若い妻に披歴するきもちがいくぶんあったのかもしれない。
ひさしぶりに、ふたりだけの時間がもてたことで、うきうきしていたのだろう。
「都鳥」ということばがでた。
「あれを、都鳥というのね」
妻はあいづちをうちながらキャノンの一眼レフをかまえる。
シャッターをきった。
いまさら、もしかしたらあれはユリカモメで都鳥とはべつなのかもしれない。
そんな疑問をことさら妻につげることもあるまい。
シャッターをたてつづけにきる音がシャカシャカシャカと小刻みにひびいている。
秋のさわやかな空気のなかでひびく連写音をききながら、なにげなく欄干に両手をついた。

なにか遠いおののきのような震動がつたわってきた。
いや――おののきではなく。
いままさに心肺停止となりそうな恐怖。
死に臨み。
よわよわしくなっていく乱れきった鼓動が。
いくえにも重なりあっているようだ。
心臓をわしづかみされたような戦慄が。
欄干においた手から全身にひろがってきた。
からだがふるえる。
秋の冷気のなかで、ジワット全身にひろがり瘧でもおこしたようにふるえている。

「あっ。飛行船」
妻がむじゃきに声をはりあげる。
カメラをさらに鋭角に空に向けてかまえている。
青空をゆったりと浮遊する飛行船には。
コマーシャルかブランド品名がかいてあるらしい。
文字をよみとることはできない。

    

「あらあら、汗かいているわよ。あなた」
まぶしいような白いハンカチで額の汗をぬぐってくれた。
すんなりとした指をみていると「アッ。キャップがない」妻がひくく悲鳴をあげる。
橋のたもとでカメラをバックからとりだしたときに。
レンズのキャップを落としてしまったのだという。

「キャップだけ買えばいいだろう」
「モッタイナイ。探してくる」
妻は小走りに橋をひきかえしていく。
追いかけることはとてもできない。
見る間に、妻の姿は小さくなる。
からだの震えはとまらない。
この言問橋では昭和20年3月10日の東京大空襲でおびただしいひとびとが焼死している。
猛烈な火炎旋風は周囲の空気を白熱化した。
推定10000人が大火炎につつまれ死んでいるという。
橋の親柱の黒く焦げた跡。
この黒ずんだ汚れは――。
焼けただれて死んでいったひとの。
脂や焼けただれ、燃え尽きてススとなったひとの灰が固まってこびりついてものだ。
どこかでよんだ、古い記憶。
……この橋に
……戦災いらいまとわりついている死者の怨念が凝固した橋げたにふれてしまったのだ。
またまた冷汗がふきだす。
若い彼女と結婚するための……スキャンダルで失脚した。
それは表面的な理由だ。
政界からリベラリストを追放する機運が高まっているのだ。
これでよかったのかもしれない。
右に傾きつつあるこの国の政治の流れに掉さした。
これでよかったのだ。
戦争の悲惨さをわすれてはならない。
戦争犠牲者の魂の叫びがこの言問橋には現存する。
彼らの鎮魂。
彼ら犠牲者の冥福を祈りつづける。
ふたたび戦争などはじめてはいけないのだ。
その平和を愛する主張は在野にあっても、叫び続ける。
額にハンカチをあて、やさしく汗ぬぐってくれた妻が――。
遠景の彼方で両手をあげた。
おおきな○のジェスチャでおどけている。
レンズのキャップが見つかったようだ。
拾ってきたキャップをはめようとして、妻の顔が不審そうにくもる。
眉をひそめている。

「合わないわ。あわない。あらぁ――おかしい。わたしのキャップは、ここにある」
バックの底のほうから同じように見える、すこし小さめのキャップをとりたしてはめる。
ぴったりと合う。
「じゃ、その拾ってきたフタはどういうことなのだろう」
「だれかが、おとしていったのね」
同じキャノンのレンズキャップが妻の落としたとおもっていた場所にある確率は。
どの程度のものなのだろうか。
妻の周辺ではときどきこうした奇妙な現象がおこる。
妻には、物品移動能力があるのではないか。
この橋からつたわってくる震えだってただごとではない。
彼女の存在に呼応しているのかもしれない。
彼女とはじめてあったときにもからだに震えがきた。
感動のあまりふるえたものとおもっていたが。
あれはどこだったろうか。
場所すらおもいうかばない。
だいいち、あれは、よろこびのために、感動して震えたのだろうか。

「はい、ニコッ」
妻がこちらにカメラを向けている。

「おまえなぁ。ものを引き寄せる能力があるなら、なにかもっと価値あるものをよびよせられないのか」
「あら、もうそうしたわ」
 
妻が笑っている。
震えはまだとまらない。


引き寄せる能力があるなら。
過去に移動させる能力もあるのだろう。
戦火の燃えさかるこの言問橋に移送してもらえれば。
戦禍のおそろしさ身をもって体験できるだろうな。

なにを、そうしたというのだろうか。

妻にはまちがいなくapport能力がある。

妻は戦争犠牲者の霊魂をここに召喚したのかもしれない。

震えははげしくなるばかりだ。



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