ねこ庭の独り言

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私がする仮説 - 12 ( TBSホールディングス社の概要 )

2022-12-08 14:59:13 | 徒然の記

 現在TBSホールディングス社は、日本の認定放送持ち株会社として、傘下にTBSテレビ、TBSラジオ、BS-TBSを持っています。同社の過去の経緯については、苦情を言いながらも分かりやすいので、ウィキペディアの説明を紹介します。

   ・昭和26年5月に、千代田区霞ヶ関に「株式会社ラジオ東京」として設立。初代社長は元王子製紙社長足立正

  ・同社は、下記4社が計画していた放送事業を一本化する形で発足

    1. 朝日新聞社計画・・「朝日放送」   2. 毎日新聞社計画・・「ラジオ東京」

    3. 読売新聞社計画・・「読売放送」   4. 電通計画・・「東京放送」

  ・同年12月25日、「株式会社ラジオ東京」の放送は、毎日新聞社の本社スタジオより開始された。

 日本が独立したのは、昭和26年9月のサンフランシスコ平和条約締結後ですから、「株式会社ラジオ東京」の設立時はまだ連合軍統治下の話です。誰も指摘しませんが、私はこの微妙な時期に注目し、設立にはGHQの影響力があったのでないかと推測しています。新聞の検閲を強化し「日本だけが、悪い戦争をした間違った国だ」と報道させ、国民の気持を変えさせたのが新聞とラジオでした。放送事業は重要な情報操作手段ですから、GHQが何もしなかったとする方が不自然です。私は敗戦の時から、アメリカによる日本のマスコミ支配がされていたのでないかと考えています。

 これを頭に入れた上で、ウィキペディアの説明を読みました。

  ・もともと競合4社を統合して設立された会社であり、そのうち3社が新聞社をバックに設立された会社であった。

  ・開局当時、「ラジオ東京」のスタジオは毎日新聞本社と同じビルに置かれ、人事面でも毎日色が強かった。その理由は

    各社のうちで、毎日新聞が一番早く開局準備を進めていたことと、

    適切な場所が見つからず、やむなく使用することになったこと、

    レッドパージで毎日新聞社を退職した者が多く入社したこと・・である

  ・ラジオニュースは開局当初より、読売・朝日・毎日の順番で一日交替制の『三社ニュース』として放送し、編集権は一切新聞社が掌握していた。

 レッドパージで毎日新聞社を退職させられた社員が多く入社していたとすれば、同社が反日左翼報道をする萌芽がここにあります。GHQは日本統治の最初は、軍国主義者の追放に力を入れましたが、朝鮮戦争後はレッドパージに方向転換しました。話が横道へそれますが、もともとGHQ内にはウイロビー少将の率いる保守勢力と、ホイットニー准将の率いる左翼勢力が対立していました。吉田総理を支援したのがウイロビー少将で、「日本国憲法」を押しつけたのがホイットニー准将だったのは有名な話です。

 つまり当初の軍人追放を指導したのがホイットニー准将で、後にレッドパージを指揮したのがウィロビー少将です。二人は個人として動いていたのでなく、アメリカ本国の二つの勢力の意を汲んで占領統治に参加していたことが今は知られています。乱暴な表現になりますが、反日左翼の「民主党勢力」と保守色の強い「共和党勢力」と言えば分かりやすいかと思います。

 「アメリカは大切な同盟国であると同時に、最も強力な反日国家である。」、と私の言う理由がここにあります。元「株式会社ラジオ東京」だった、現「TBSホールディングス社」もこのアメリカの影響を受けていると、私は息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に説明しているつもりです。

  ・ラジオ東京は、これら新聞各社とは一線を画し、徐々に新聞支配からの脱却を図っていった。

  ・昭和36年、赤坂に本社社屋完成。ラジオスタジオおよび本社機構を移転。社名呼称をTBSに統一し、以後「東京放送」の言葉の使用をやめる

  ・昭和48年、読売新聞社・朝日新聞社・毎日新聞社の3社首脳間でTBSの新聞資本を統一する合意が成立。

  ・翌昭和49年、創立時からの新聞資本が毎日新聞社だけになる。

  ・昭和52年、毎日新聞がTBS株を放出。これにより東京放送は、他のマスコミ系列から完全な独立を果たした。

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