ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

西田昌司議員の研究 - 2 ( 経歴の研究 )

2024-08-15 22:28:08 | 徒然の記

 西田議員の経歴の紹介から始めます。

 〈 西田氏の経歴 〉 

  ・昭和33年京都府京都市生まれ、66才。

  ・昭和56年に滋賀大学経済学部を卒業

  ・昭和62年に税理士事務所を開設して独立

  ・平成2年、京都府議会議員補欠選挙にて初当選後、5期にわたってトップ当選

  ・この間、京都府議会総務常任委員会委員長、自民党全国青年議員連盟会長などを歴任

 京都や奈良は部外者にとっては、政治的に不思議な土地です。日本史の原点とも言える都のあった都市なので、歴史と文化を大切にする保守層の人々が住んでいると思いがちですが、そうではありません。

 7期28年という長期にわたり府知事だった蜷川虎三氏は、共産党と社会党が推薦した政治家でした。京都市長だった宮井清、舩橋求己 ( もとき ) 両氏も共産党と社会党の支援で市政を担当していました。

 日本の歴史を天皇と一緒に無くそうとする反日左翼勢力と、自由民主党の議員が議席を並べているのですから、どういう政治が行われているのか理解に苦しむところがあります。

 実は西田昌司氏の研究をしたくなったキッカケが、ここにありました。この複雑な土地で、氏は自由民主党の府議会議員として、平成2年からトップ当選を5期続けています。

 亡くなった父親の吉宏氏が、同じように府議会議員としてトップ当選を5期続けた後、参議院議員になっていますので、親の代から築かれた強固な後援会組織があったのかもしれません。

 しかし強固な後援会があっても、後を継いだ氏が実力のない二世議員でしたら、5期連続のトップ当選はなかったはずです。

 氏は平成19年月の第21回参議院選挙に、京都府選挙区から自民党公認で出馬して当選以来、現在3期目です。

 2選目の選挙が平成25年で、3選目が令和元年ですが、いずれもトップ当選ですから、これはもう氏の実力としか言いようがありません。

 今度の総裁選挙に立候補している青山繁晴氏は、次の動画とブログを公開し、国民に直接訴えています。西田氏も二つの動画で、国民に意見を伝えています。

 ・青山氏・・

  「青山繁晴 【 僕らの国会 】」  「青山繁晴公式ウェブサイト」 「青山繁晴の道すがらエッセイ」

 ・西田氏・・

  週刊西田「ズバッと答える一問一答」  「 西田昌司 ビデオレター 」

 これまで関心がなかったので、西田氏の動画はほとんど見ていませんでしたが、これからはもっと研究するために、青山氏と並べて観ようと思います。

 前回何気なく紹介しましたが、次の経歴は氏の研究に欠かせない重要事でした。

 ・西部邁、佐伯啓思、宮本光晴らとともに言論活動を行い、雑誌『発言者』で毎月連載を持つ

 雑誌『発言者』をウイキペディアで調べると次のように説明していました。

  ・西部邁 ( すすむ ) が創刊・主宰した雑誌。

  ・当初は西部が主幹、佐伯啓思・宮本光晴らが編集委員をつとめていた。

  ・雑誌のスタンスとして「真正保守」を掲げ、親米保守論壇とは一線を画し、対米追従などを批判していた。

 西部氏は、評論家、経済学者、保守思想家と呼ばれる著名人で、秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授を務めていました。

 元共産党員でしたが転向して保守思想家となった人物で、ネットの世界で活躍し信奉者も沢山いましたが、入水自殺をして何年か前に亡くなりました。以前氏の動画を見ましたが、「言語明瞭意味不明」で保守なのか左翼なのか、さっぱり分からなかった記憶があります。

 氏と共に『発言者』の編集に関わっていた佐伯啓思、宮本光晴両氏の肩書きを紹介します。

 佐伯啓思氏・・

  ・経済学者、思想家  ( 東大在学中の指導教官は西部邁 )

  ・京都大学名誉教授、京都大学こころの未来研究センター特任教授、滋賀大学教授

 宮本光晴氏・・

  ・経済学者、専門は企業組織論

  ・専修大学経済学部名誉教授   ( 西部邁に師事した  )

 西部氏に似て佐伯氏も宮本氏も、二人の主張は「保守なのか、左翼なのか」何度聞いても私には不明です。

 やはり研究はしてみるものでした。西田氏の意見が、時として意表をつくものになるのは、西部氏との交流にあったのです。

 私はこれまで、曖昧な氏の意見を思考回路がおかしいのでないかと軽蔑していましたが、なんということはありません。氏を理解できない自分の方に、原因がありました。

 「学びのねこ庭」の無知な学徒である自分を教えられたところで、スペースが無くなりました。続きはゆっくりと次回で報告しますので、興味のある方は足をお運びください。

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西田昌司議員の研究 ( 心境の変化 )

2024-08-15 12:27:03 | 徒然の記

  「ねこ庭」では先月、51回のシリーズで「日航機123便墜落事故 」の記事を書きました。

 この内の7回から11回までの5回は、西田氏の経歴と意見の紹介でしたので、氏について「ねこ庭」が全く取り上げていないということではありません。

 改めて氏を研究しようと試みる理由を述べますと、氏に対する考えが「7月」と「8月」の「ねこ庭」で大きく変化したところにあります。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に理解してもらえるかについて、自信がありませんが、説明をします。

 〈「7月のねこ庭」の西田氏への姿勢 〉

   ・「日航機123便墜落事故 」の原因を隠蔽する政府の側に立つ意見を述べるなど、とんでもない政治家だ。

 〈「8月のねこ庭」の西田氏への姿勢 〉

   ・「日航機123便墜落事故 」の件だけで氏を判断するのは、単純過ぎるのではないか。

   ・保守政治家としての氏の過去と現在を、研究してみる価値があるのではないか。

 たった一月で考えが変わるのかと、笑う人がいるのかもしれませんが、変わるかどうかは「研究」の結果次第で今は「白紙」です。変わったのは、「ねこ庭」の根っこです。

 戦後史の大河で消滅した政党を調べ、消えていった多くの政治家を思い浮かべていると、心境の変化が生じました。

  ・日本の戦後史という大河の流れで眺めれば、これらの人々は皆日本の国民です。

  ・聖徳太子の言葉を借りて言いますと、意見が違っても争っていても、「和をもって尊しとなす」です。お互いの存在を認め合うのが、本来の日本人です。

  ・「恨みは千年経っても消えない」という韓国とは、違う文化の国ですから、「ねこ庭」も聖徳太子の言葉を見習おうと努力しています、

 簡単に言いますとこういう心境の変化が生じ、西田氏へ向かう姿勢が変わりました。一つの意見が気に入らないからと、氏の全てを否定するのは、「ねこ庭」の日頃の姿勢と合致しません。

 故安倍首相にも、退陣表明した岸田首相にも、「ねこ庭」は常に是々非々の立場で接してきました。時々変な意見を口にするからと言って、西田氏をそこだけで判断するのは短慮です。

 すぐ研究に入らず、色々と前口上を述べているのは、氏の研究の難しさを予感しているためです。青山氏を応援していると言っても、「ねこ庭」は文句なしの支援でなく批判もしていますが、なんとなく肌合いの違う西田氏には率直な意見が言えません。

 もともと懐の小さい私が、聖徳太子の教えを守ろうとしているのですから、意気込みだけを認めてもらいたいと思います。つまり、戦後史の大河で消滅した政党を調べたことが、それほど大きな何かを「ねこ庭」に与えたということなのでしょう。

 ついでなので、「恨みは千年経っても消えない」という韓国とは、違う文化の国ですから、」と・・この言葉についても説明をさせてもらいます。

 韓国の名前を挙げましたが、韓国だけを言っているのではありません。一神教の国々は、大抵こういう激しい思想を持っています。千年も二千年も前の怒りや憎しみや恨みが捨てられないから、パレスチナの戦争もウクライナとロシアの戦争も終わりません。

 中国、韓国、北朝鮮は一神教の国ではありませんが、一党独裁のマルクス主義と「中華思想」が国の背骨に通っていますから、日本とは違います。

 ここでまた、ハンチントン氏の『文明の衝突』が出てきますが、世界のどの国とも違った文明を持つ日本は、「孤立した文明国」としてこれからも存在し続けるのだということです。

 ハンチントン氏はアメリカ人なので、こういう表現をしますが、日本人である私は「孤立」でなく「孤高」という言葉を使います。さらに聖徳太子の言葉を加えると、世界での日本の位置づけが明確になります。

 「日本は国々の和を求める、孤高の文明国である。」

 ここで話を止めないと、いつまでも西田議員の研究に入れません。研究に際しての根っこの部分を説明しましたので、まずは氏の経歴から紹介します。

 「日航機123便墜落事故 」シリーズの7回で一度取り上げていますが、今回は違う観点から紹介します。重複する部分がありますが、そこは目をつぶってください。

 (  スペースが無くなりましたので、経歴紹介は次回からといたします。)

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