西田議員の経歴の紹介から始めます。
〈 西田氏の経歴 〉
・昭和33年京都府京都市生まれ、66才。
・昭和56年に滋賀大学経済学部を卒業
・昭和62年に税理士事務所を開設して独立
・平成2年、京都府議会議員補欠選挙にて初当選後、5期にわたってトップ当選
・この間、京都府議会総務常任委員会委員長、自民党全国青年議員連盟会長などを歴任
京都や奈良は部外者にとっては、政治的に不思議な土地です。日本史の原点とも言える都のあった都市なので、歴史と文化を大切にする保守層の人々が住んでいると思いがちですが、そうではありません。
7期28年という長期にわたり府知事だった蜷川虎三氏は、共産党と社会党が推薦した政治家でした。京都市長だった宮井清、舩橋求己 ( もとき ) 両氏も共産党と社会党の支援で市政を担当していました。
日本の歴史を天皇と一緒に無くそうとする反日左翼勢力と、自由民主党の議員が議席を並べているのですから、どういう政治が行われているのか理解に苦しむところがあります。
実は西田昌司氏の研究をしたくなったキッカケが、ここにありました。この複雑な土地で、氏は自由民主党の府議会議員として、平成2年からトップ当選を5期続けています。
亡くなった父親の吉宏氏が、同じように府議会議員としてトップ当選を5期続けた後、参議院議員になっていますので、親の代から築かれた強固な後援会組織があったのかもしれません。
しかし強固な後援会があっても、後を継いだ氏が実力のない二世議員でしたら、5期連続のトップ当選はなかったはずです。
氏は平成19年月の第21回参議院選挙に、京都府選挙区から自民党公認で出馬して当選以来、現在3期目です。
2選目の選挙が平成25年で、3選目が令和元年ですが、いずれもトップ当選ですから、これはもう氏の実力としか言いようがありません。
今度の総裁選挙に立候補している青山繁晴氏は、次の動画とブログを公開し、国民に直接訴えています。西田氏も二つの動画で、国民に意見を伝えています。
・青山氏・・
「青山繁晴 【 僕らの国会 】」 「青山繁晴公式ウェブサイト」 「青山繁晴の道すがらエッセイ」
・西田氏・・
週刊西田「ズバッと答える一問一答」 「 西田昌司 ビデオレター 」
これまで関心がなかったので、西田氏の動画はほとんど見ていませんでしたが、これからはもっと研究するために、青山氏と並べて観ようと思います。
前回何気なく紹介しましたが、次の経歴は氏の研究に欠かせない重要事でした。
・西部邁、佐伯啓思、宮本光晴らとともに言論活動を行い、雑誌『発言者』で毎月連載を持つ
雑誌『発言者』をウイキペディアで調べると次のように説明していました。
・西部邁 ( すすむ ) が創刊・主宰した雑誌。
・当初は西部が主幹、佐伯啓思・宮本光晴らが編集委員をつとめていた。
・雑誌のスタンスとして「真正保守」を掲げ、親米保守論壇とは一線を画し、対米追従などを批判していた。
西部氏は、評論家、経済学者、保守思想家と呼ばれる著名人で、秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授を務めていました。
元共産党員でしたが転向して保守思想家となった人物で、ネットの世界で活躍し信奉者も沢山いましたが、入水自殺をして何年か前に亡くなりました。以前氏の動画を見ましたが、「言語明瞭意味不明」で保守なのか左翼なのか、さっぱり分からなかった記憶があります。
氏と共に『発言者』の編集に関わっていた佐伯啓思、宮本光晴両氏の肩書きを紹介します。
佐伯啓思氏・・
・経済学者、思想家 ( 東大在学中の指導教官は西部邁 )
・京都大学名誉教授、京都大学こころの未来研究センター特任教授、滋賀大学教授
宮本光晴氏・・
・経済学者、専門は企業組織論
・専修大学経済学部名誉教授 ( 西部邁に師事した )
西部氏に似て佐伯氏も宮本氏も、二人の主張は「保守なのか、左翼なのか」何度聞いても私には不明です。
やはり研究はしてみるものでした。西田氏の意見が、時として意表をつくものになるのは、西部氏との交流にあったのです。
私はこれまで、曖昧な氏の意見を思考回路がおかしいのでないかと軽蔑していましたが、なんということはありません。氏を理解できない自分の方に、原因がありました。
「学びのねこ庭」の無知な学徒である自分を教えられたところで、スペースが無くなりました。続きはゆっくりと次回で報告しますので、興味のある方は足をお運びください。