ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憲法制定過程に関する、政府の資料 - 7

2024-08-24 13:31:52 | 徒然の記

 前回の約束通り、メインテーマを外れますが、変節した学者たちが残した厄介な遺物の一つを紹介いたします。

 公益社団法人「自由人権協会」が公開している、「憲法制定の経緯」がそれです。同協会は元法務省の所管でしたが今は離れて、次の活動を行なっています。

  ・人権侵害救済のための、訴訟支援事業

  ・基本的人権の擁護に関する調査研究、講演、出版、意見表明などの活動

 昨日はネットで読めましたが確認のため今日探しますと、「憲法制定の経緯」の説明文が消えていました。事情があって消したのかどうか分かりませんが、「ねこ庭」で紹介すると問題になるのかと気になります。

 goo事務局から警告や苦情がありましたら、即座に削除しようと思っていますので、「ねこ庭」を訪問された方々に予めお知らせしておきます。

〈 憲法制定の経緯 〉

 ・日本国憲法の「素案」となるものが、敗戦の翌年2月に、連合国最高司令官であるマッカーサーから示され、その後の論議はこれを出発点としたのも、そのとおりです。

 ・今の憲法は、アメリカに押しつけられたもの、屈辱的なものだから、独立した国家になった以上、憲法を改正するのが当然だという主張は、このような憲法ができる過程を問題にしています。

 ・しかし、憲法のつくられた過程を見れば、その主張は、あまりに自虐的であることがよくわかります。

 ・たしかに、憲法制定当時、戦前同様に「天皇主権」を信奉していた人々にとっては、「国民主権」や「基本的人権が最高の価値であること」を宣言する憲法は、天地がひっくり返るほど非常識に思われ、それでも「天皇陛下をお守りするために」受入れなければならない屈辱的なものだったでしょう。

 ・しかし、当時の多くの国民や学者、研究者にとっては、憲法は、敗戦後の日本の未来をつくる輝かしい出発点として、議論され受け入れられました。

 ・そうであったからこそ、その後何度も憲法改正が声高に叫ばれた時期があったものの、改憲論は主流とはなりえず、戦後65年の間に国民の間に定着したのです。

 これが同協会の基本的な考え方で、この視点から意見が展開されます。

 ・では、憲法はどのようにしてできたのでしょうか。

 ・マッカーサーが短期間でつくった草案を時の日本政府が押しつけられてそのままこの憲法となった、と思っている方があれば、それは間違いです。

 ・1945( 昭和20 )年8月の敗戦以降、「大日本帝国憲法」はある程度自由主義化して修正せざるを得ないと政治家も考えていました。

 ・しかし、当時の日本の政治の中心にいた人々は「天皇主権」の戦前の考え方の呪縛から完全に脱することは難しく、政府の委員会が考えた改正案も、民間から出た改正案の大部分も、「天皇主権」を前提に国民の権利を多少拡大するにとどまるものでした。

 東大の南原総長や我妻氏、あるいは憲法学の第一人者宮沢氏のような人物がいたのですから、まんざら間違った意見ではありません。

 ・そのような中で、翌1946(昭和21 )年2月には、内閣に設置された「憲法問題調査委員会」で議論されていた、松本烝治国務大臣の作成したいわゆる「松本案」が新聞にスクープされました。

 ・しかし、その内容があまりに保守的で「大日本帝国憲法」と変わらなかったために、マスコミからも国民からも非難が相次ぎました。

 ・他方、マッカーサーの率いる総司令部には別の心配がありました。

 ・2月末にアメリカ以外の国も参加する「連合国極東委員会」が開催される予定で、日本の憲法改正問題が議題となる際に、民主化の遅れが指摘され、当時高まっていた天皇制廃止の国際的世論を押さえられなくなる可能性がありました。

 ・総司令部には、国際世論を押さえて天皇制を温存した統治を進めるためにも、世界が認める民主的な憲法改正案が日本政府の手で準備されつつあることを早く示そうとの配慮があったようです。

 「政府資料の説明」と重複する意見がありますが、元法務省の所管協会ですから当然です。復習のつもりで読みました。

 ・しかし、スクープされた「松本案」では全く逆効果になります。

 ・そこで総司令部は、既に調査していた先進的な民間の「憲法研究会案」をも消化して、急遽いわゆる「マッカーサー草案」を作成し、2月13日、極秘のうちに政府に手渡し改正を促しました。

 ・たしかに、この「マッカーサー草案」の内容は、「国民主権」に基づき「基本的人権の尊重」をうたったいまの憲法の原型です。

 ・総司令部は、「この草案の考えを受け入れるか否かは日本政府の判断である」と言いました。他方で、受け入れなければ、「国民に公表する」とも言いました。

 ・当時の国民が、古色蒼然とした「松本案」ではなく、「マッカーサー草案」の方針を歓迎することは明らかでした。

 ・その場合、政府に対する反発が天皇制を廃止する方向に向かうのではないかという懸念を、政府は抱きました。

 この辺りの説明になりますと、「事実が半分、推定が半分」と言う色合いが出てきます。しかし全くの嘘ではないと言う、曖昧な意見になります。

 ・当時の日本政府の顔ぶれを見れば、「マッカーサー草案」を心底理解して歓迎した人ばかりではなかったでしょう。

 ・しかし、政府は大局的見地から「マッカーサー草案」を受け入れて活かす道を選択し、その後は、内部での議論をし、総司令部と協議し、

 ・一院制を二院制としたり、最高裁判所に違憲立法審査権をもたせたりする変更を加えて、1946 ( 昭和21)年3月に、憲法のどこを改正するかを説明した「憲法改正草案要綱」を国民に対して発表しました。

 ・この要綱に対する国民の反応はおおむね好評だったと、政府の調査にも記されています。

 敗戦後の混乱した日本で、国民は明日の食べ物の確保のため、懸命になっていました。調査に応じた国民とは、誰だったのでしょう。いったい何人だったのでしょう。

 同協会の説明に、「ねこ庭」の学徒の単純な疑問が生じます。

 ・そして、衆議院の総選挙(このときから婦人参政権が認められています)をその年の4月に行い、政府が作成した憲法改正草案は、新しく選出された議員によって構成された衆議院に提案され審議が行われました。

 ・その結果、8月24日、421対8の圧倒的多数の賛成で可決されたのです。

 この説明も事実を調べている「ねこ庭」からみますと、「事実が半分、説明不足が半分」です。全くの間違いと言えない「曖昧」な意見です。

 ・もちろん、衆議院では実質的な論戦があり、その過程で修正もされましたし、内容に賛成できない議員は最後まで反対を貫いて反対票を投じたのです。

 ・本当に総司令部が押しつけたのであれば、反対票を投じることもできなかったでしょうが、僅かとはいえ、反対した議員もいました。

 ・それ以外の大多数の議員たちは、自らの判断で賛成票を投じたのです。

 ・もともと「大日本帝国憲法」の改正手続にのっとっていますから、衆議院以外に枢密院と貴族院でも議論がなされ、修正も加えられて可決されています。

 同協会の詭弁が、ここで行われています。簡単な、常識的な話をしますと、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」を根本から否定する憲法です。

 「憲法が憲法を否定する改正手続き」というものが、果たして有り得るのかと言う疑問が生じます。中西輝政教授は、そう言うことができるのはクーデターしか考えられないと語っています。

 国民の無知を幸いと、同協会の説明は捏造の色が濃くなります。

 ・つまり日本国憲法は、総司令部から促された案が出発点ではあったものの、国民に歓迎された内容であり、その後、国民の代表者が議論し賛成してつくったものなのです。

 ・ずっと後になって当時の総理大臣吉田茂は、「私は制定当時の責任者としての経験から、押しつけられたという点に、必ずしも全幅的に同意し難いものを覚えるのである。」

 ・として、政府案を作成する過程について、最初は総司令部からせかされ、内容に注文があったことを認めつつ、その後のやりとりは、総司令部は徹頭徹尾強圧的もしくは強制的というのではなかった、わが方の担当者の意見に十分耳を傾け、わが方の言分、主張に聴従した場合も少なくなかったと述べています。

 吉田首相の発言の根拠として、昭和12年に新潮社が出版した同氏の著書『回想十年』を挙げています。「ねこ庭」がシリーズを書くにあたり根拠にしているのは、昭和42年に日本経済新聞社が出版した同氏の著書、『日本を決定した百年』です。

 読む人の立場が、受け取り方を変化させるのかもしれませんが、吉田元首相はそんな言い方をしていませんでした。

 いずれの意見が正しいかと、そのような話をしているのではありません。今回のテーマは、変節した学者たちが残した厄介な遺物の一つとしての、「自由人権協会」の意見の紹介です。

 戦後レジームの遺物である「憲法改正」をどう進めていくのか、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に参考情報として取り上げました。

 次回はこれも又テーマから外れますが、南原繁氏はいったいどこでGHQと接点を得ていたのかにつき、検討します。

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