ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

西田昌司議員の研究 - 5 ( 議員報酬と国民の平均収入 )

2024-08-17 20:00:20 | 徒然の記

 「西田議員と青山議員の共通点と相違点」、今回はこの視点から研究を開始します。

 共通点は両氏共に、参議院議員であることです。参議院は衆議院と違い解散がありませんから、当選すると6年間は議員の地位が保障されます。

 6年間は解散の心配をせず、自分の政治信条に従い自由な発言と自由な活動ができます。両氏がネットを駆使し、国民に語りかけている自由さはここからきているとも言えます。

 いつ解散があるか分からない衆議院議員は、常に選挙の当落が頭から離れません。迂闊なことを喋るとマスコミの餌食となり落選せられますから、ネットでの活動は積極的でありません。

 西田、青山両氏の相違点は、ハッキリしています。

  西田氏・・・解散のない参議院議員から総理になった政治家はいないので、氏は最初から総理を目指していない。

  青山氏・・・参議院議員から総理になった議員がいなくても、法的には可能だからと氏は総理を目指す。

 本気で政治改革を目指しているのなら、立法府として上位に位置付けられている衆議院の方が有利なのに、両氏はなぜ参議院議員の立場を守ろうとしているのか。

 両氏ともこの点について語りませんが、「ねこ庭」の研究では「議員報酬」に理由があると考えています。金銭にこだわるのは卑しい人間のすることと言われますが、「ねこ庭」はこだわります。

 知らない人が多いと思いますので、令和元年7月の「読売新聞オンライン」の記事を紹介します。少し古くても概要が分かれば良いので、「ねこ庭」は数字の細部にはこだわりません。

 〈 参院議員の給与に当たる歳費はいくらか。〉・・これがタイトルです。
 
  ・月額は129万4000円。年2回の期末手当(ボーナス)の計約629万円を含めると、年額では約2181万円となる。
 
     ( 衆院議員も同額で、正副議長など役職に応じて上乗せがある。財源は税金だ。)

  ・歳費とは別に、月額100万円の「文書通信交通滞在費」(非課税)が支給されている。

  ・使途の報告義務や目的外使用への罰則はなく、事実上の「第二の給与」ともいわれる。

  ・さらに、

    1.  新幹線のグリーン車を無料で利用できるJRパス

    2.  JRパスと月3往復分の航空券引換証

    3.  月4往復分の航空券引換証、のいずれかを選べる。

    ただ、2.と3.は地方選出議員らに限られる。

  ・秘書給与も最大3人分を国が負担する。

  ・議員宿舎に、周辺相場よりも割安で入居できる。

 議員歳費の年額約2,181万円と「文書通信交通滞在費」の年額1,200万円を合わせると3,381万円になります。

 次に国税庁の「令和4年分 民間給与実態統計調査」のデータを紹介しますと、参議院議員の年間収入の高額さが分かります。

 〈 年齢階層別の平均収入 〉

   19歳以下   124万円      20~24歳   273万円

   25~29歳   389万円       30~34歳   425万円

   35~39歳   462万円       40~44歳   491万円

   45~49歳   521万円      50~54歳   537万円

   55~59歳   546万円      60~64歳   441万円

   65~69歳   342万円      70歳以上   298万円

 これだけでなく、「調査票」に書かれた註書きを読んでください。三人の息子の父親である私は、涙が溢れそうになります。

  ・註:   令和4年の平均年収は、正社員で523万円、正社員以外は201万円となっており、両者には約300万円の差があります。

     ・註:    雇用形態別に過去5年間を比較すると、多少の増減はありますが、正社員、正社員以外 ( パート・アルバイト等 ) ともにほぼ横ばいです。

 
 
 息子二人は正社員でないため、40代後半ですが家族4人で年収が200万円で、しかもここから所得税が引かれます。政治家と一般人を比較するなと言われるのかもしれませんが、彼らは青山氏の言う「主権者である国民」です。
 
 「私たちは、主権者に選ばれた代理人なのです。」
 
 政治家は特権階級でなく、国民の代理人にすぎないと氏は語りますが、主権者の息子二人の年収が 200万円、代理人にすぎない青山氏が年収 3,381万円です。果たしてこれで良いのかと、父親である私は青山氏に対してと言うより、政治家一般に疑問を抱きます。
 
 パート、アルバイト、派遣社員を、アメリカに言われるままどっと増やしたのは、小泉首相と竹中平蔵氏でした。
 
 敗戦以来「属国の憲法」を押しつけられ、国を守る軍を解体された時から日本は独立を失いました。歴代の政権は国民が豊かになりそうになると、アメリカの反日勢力に言われるまま、国民を貧しくする経済政策を進めさせられ、今日まで来ました。
 
 息子たちの父親である私は「属国の憲法」が根本原因と考え、「憲法改正」を悲願にしています。たとえ高額の議員報酬を得ていたとしても、それは西田・青山両氏だけの責任ではありません。
 
 両氏は「憲法改正」論者ですから、「ねこ庭」が期待をかけてどこがおかしいのでしょう。
 
 お金の話は終わりにし、次回は西田氏の政治信条の研究をします。
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西田昌司議員の研究 - 4 ( 人生いろいろ、政治家も色々 )

2024-08-17 12:01:12 | 徒然の記

 京都という政治的に難しい土地で、府議会議員選挙で5期連続トップ当選し、参議院議員になっても2選3選をトップで当選する氏の強さはどこにあるのか。

 親の代からの後援会だけでなく、もしかすると保守か左翼かよく分からない西部式思考に秘密があるのではないかと、そんな気がしてきました。その場しのぎの曖昧さでなく、筋金入りの曖昧思考ですから、反日左翼議員も攻め所がないのかもしれません。

 青山繁晴氏は政界入りをした時から、明確な目的を二つ持っています。

  1.  自由民主党を中から変え、日本の政治を変える。

  2. 日本をエネルギー輸入国から、輸出国へ変える。

 このために氏は安倍氏の力を活用し、ネットというツールを駆使して直接国民に訴えました。氏の目的の障害となっている政府と国会の動きを、内部告発寸前のところまで国民に知らせるという、政治家が誰もしなかった手法で有権者の支持を広げていきました。

  ・派閥に属さない

  ・後援会を作らない

  ・支援団体を作らない

  ・寄付金は一切受け取らない

 「ないない尽くし」の姿勢は、既存政治家の誰にも真似ができません。金のかかる政治活動ですから、支援団体の寄付や業界、個人の寄付を受け取らないでは動きが取れなくなります。

 一方で選挙区と後援会がなければ、政治活動費が大幅に削減できるメリットもあります。派閥に属さないということは、国内外の議員出張費を全て自費負担するだけでなく、党内での昇進が遅れるというハンディーを背負います。

 参議院議員の二期目に入った氏が、自分の全てをネットを通じて国民に説明するので、孤軍奮闘する姿に共感する支持者が増えていきました。「ねこ庭」もこんな氏に共鳴し、自由民主党を変えてもらいたいと支援しています。

 研究のため西田氏の経歴を調べてみますと、全く違う姿の議員像が浮かび上がります。二世議員の氏には、最初から後援会があり選挙区があり、寄付をしてくれる支援団体があります。

 青山氏のように孤軍奮闘し、政界の内情を有権者に知らせたり、自分の政治活動を報告したりせず、我が道を歩いています。安倍氏の主張に共鳴し、参議院議員に出馬した氏がどのような道を歩いてきたのか、ウイキペディアの解説を紹介します。

  ・安倍晋三首相(当時)の政治信条と自身の信条が合致していたことから、自民党の予備選考を通り候補者となる。

  ・平成19年月の第21回参議院選挙に、京都府選挙区から自民党公認で出馬して当選

  ・平成20年の自民党総裁選挙で、麻生太郎を支持

 安倍首相との関係で参議院選挙で党の公認を得ていながら、翌年の総裁選挙で麻生氏を応援するというのですから、信念の強さか信義の薄さなのか、驚かされました。

 次の行動を知り、さらに驚かされました。自由民主党が野党になり、民主党が政権を取っていた時の話です。

  ・決算委員会では、小沢一郎や鳩山由紀夫の「政治とカネ」問題を追及し、その国会質疑や党執行部に対する発言がメディアで取り上げられる機会が多くなる

 自由民主党の議員の多くが闘争心を失っている中で、一人民主党内閣と戦います。このため氏は「国会の大砲」、「国会の爆弾男」 と呼ばれるようになり、平成21年政権喪失後の自民党総裁戦で、一年生議員ながら森喜朗から立候補の打診を受けます。

 小渕内閣の跡を継いだ森内閣は短命に終わりましたが、森氏は党内の実力者の一人として若手議員の発掘に力を入れていました。普通の一年生議員なら、森氏から総裁候補の打診をされると舞い上がるのではないでしょうか。

 しかし氏は、離党していた平沼赳夫氏を総裁候補として復党させようと活動し、森氏の誘いに乗りませんでした。平沼氏は自由民主党を変えるため離党し、「太陽の党」や「次世代の党」を立ち上げていた保守政治家です。

 西田氏は次の総裁として平沼氏を考え、縁のある安倍氏と好意を持つ森氏に心を動かされませんでした。

 こういう姿を見ますと、西部氏が語っていたように「今の自民党における最後の優れた人材」という言葉が生きてきます当時の氏を、ウイキペディアが次のように説明しています。

  ・各紙でも立候補を画策しているとの報道がなされたが、西田は稲田朋美らとともに平沼赳夫を自民党に復党させ、総裁候補にしようと安倍晋三らに働きかけを行なっていた。

  ・しかし平沼が固辞したため、同じ京都府選出の谷垣禎一に投票した

 結局、下野した自由民主党の総裁は谷垣氏になりましたが、一連の動きの中で「ねこ庭」が見つけたのは、自己顕示欲の強い議員でなく、党再生に身を捨てる政治家の姿でした。

 民主党政権を倒し、自由民主党を政権に復帰させた功労者の一人は西田氏と評価する人もいますが、うなづかずにおれなくなります。

 政界で孤軍奮闘しているのは青山氏だけでなく、西田氏もそうでした。どちらも自由民主党に必要な人物ですが、二人は互いに離れたままです。

 大型台風7号が去り「ねこ庭」の上空は晴天になりましたが、「西田議員の研究」には青空が見えません。深刻になると視界まで狭くなりますから「人生いろいろ、政治家も色々」と、歌の文句を思い出しながら次回の研究を続けます。

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