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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憲法制定過程に関する政府の資料 の、補足説明

2024-08-27 16:11:51 | 徒然の記

 「憲法制定過程に関する政府資料 」のシリーズは先ほど終わりましたが、肝心の説明が抜けていました。

 一眠りした夢の中で、説明不足を教えられました。神様がいて教えてくれた訳でなく、何となく落ち着けない気持が、昼寝の私を浅い眠りにさせたというそれだけのことです。

 ・「極東委員会」が言っている「憲法改正」と、故安倍首相と「ねこ庭」が言っている「憲法改正」は意味が違っていること

 この説明が抜けていました。シリーズ5回目に書いた「ねこ庭」の文章を思い出して下さい。

  ・「極東委員会」は、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国、インド、オランダ、カナダ、オース トラリア、ニュージーランド及びフィリピンの 11 ヵ国の代表により構成されていた。

 ・極東委員会の一部とはソ連とオーストラリアのことで、両国は天皇制廃止を主張していました。また当時日本を憎んでいた国は、イギリスとオランダだったとのことです。

 ・このような状況下で、なぜマッカーサー元帥は昭和天皇を守ろうとしたかについて、私たち国民は、陛下がなさった元帥との会見にあると信じています。

 要するに「極東委員会」で、ソ連とオーストラリア、そして日本を憎んでいたイギリスとオランダが望んでいたのは「天皇制廃止」でした。

 彼らは、日本政府が、元帥が作った天皇制維持の「新憲法案」を受け入れたことに不満だったのです。だから「天皇制廃止」の意思を国民に問えと、マッカーサー元帥、つまりGHQに要求したのです。

 彼らの言う「憲法改正」の意味は、日本には天皇制廃止を望む国民が多数いるはずだから、彼らの意思を確認せよということでした。

 天皇制廃止ということになれば、「極東委員会」が望む通り昭和天皇を裁判にかけ、戦争責任を問い処刑することが可能になります。

 そういうことをマッカーサー元帥は望まなかったし、吉田首相だけでなく片山内閣、芦田内閣でも望まなかったということです。

 どちらの場合にしても、シリーズ7回で紹介した「公益社団法人 自由人権協会」の意見は間違っていることになります。

  ・「当時の多くの国民や学者、研究者にとって憲法は、敗戦後の日本の未来をつくる輝かしい出発点として、議論され受け入れられました。」

  ・「そうであったからこそ、その後何度も、憲法改正が声高に叫ばれた時期があったものの、改憲論は主流とはなりえず、戦後65年の間に国民の間に定着したのです。」

 これ以上説明しなくても、分かってもらえる人には伝わると思いますので、今度こそ本当にこのシリーズを終わりにいたします。

 長いおつき合いに感謝いたします。

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憲法制定過程に関する、政府の資料 - 12

2024-08-27 08:08:44 | 徒然の記

            第三段階  日本国憲法制定

    1.    極東委員会決定とマッカーサー書簡

    2.   日本国内における憲法改正の検討の動き

 本日は上記 1. 2.毎に、「驚きの事実」と「目から鱗の事実」を紹介します。

   1.    に関する「驚きの事実」

    ・マッカーサー元帥の予測通り、「極東委員会」がGHQの政策に横槍を入れてきたこと

    ・元帥が、「マッカーサー書簡」を日本政府に出したこと

    ・その書簡で、憲法施行後 2年以内であればと憲法改正の検討を容認していたこと

    ・吉田首相がマッカーサー書簡に、積極的反応を示していなかったこと

   1.    に関する「目から鱗の事実」

    ・元帥が「マッカーサー憲法」を作らせていなかったら、「極東委員会」の介入で天皇制が無くなったかもしれないこと

    ・「マッカーサー書簡」で改正の検討が正式に容認と言われているので、「押しつけ憲法」と主張できなくなる可能性が出てきたこと

 「ねこ庭」ではこういう分類にしましたが、人によっては分類が逆になるのかもしれません。あるいはどちらも「驚きの事実」で、「目から鱗の事実」と考える人がいる気もします。

 単純でもあり、複雑でもありと前回言いましたのは、この点を指しています。これを自覚した上で、次に進みます。

   2.    に関する「驚きの事実」

    ・吉田内閣の退陣後の片山内閣、芦田内閣でも、国会で憲法改正の検討が進まなかったこと

    ・世論の強い支持がないことを理由として、憲法改正の検討が立ち消えとなったこと

    ・シリーズ7回で紹介した「公益社団法人 自由人権協会」の意見が、根拠を失ったこと。同協会の意見は、下記だった。

    ・「当時の多くの国民や学者、研究者にとって、憲法は、敗戦後の日本の未来をつくる輝かしい出発点として、議論され受け入れられました。」

    ・「そうであったからこそ、その後何度も、憲法改正が声高に叫ばれた時期があったものの、改憲論は主流とはなりえず、戦後65年の間に国民の間に定着したのです。」

   2.    に関する「目から鱗の事実」

    ・昭和24 ( 1949 ) 年4月20日、2年後に再登場した吉田首相が、衆議院外務委員会で、「政府においては、憲法改正の意思は目下のところ持っておりません。」と答弁していたこと

 国民に知らされていない事実ばかりですから、「政府資料説明」は、どこを読んでも「驚きの事実」と「目から鱗の事実」になります。

 しかし私たち国民が、本当に驚き、目から鱗の事実としなくてならないのは、暗殺された安倍首相のことではないでしょうか。

 「政府資料説明」が作られたのは平成28年の11月、第三次安倍内閣の時です。先のシリーズで研究したのに、「ねこ庭」が西田氏への不信感が拭えなかったように、安倍首相の名前を聞くと不信感と嫌悪を拭えない人々がいます。
 
 しかし安倍氏は口先だけで「憲法改正」を唱えていたのでなく、このような資料を衆議院の「憲法調査会」の審議のため、憲法審査会事務局に作らせていました。政府にとって都合の良いことも悪いことも調べさせ、国会での審議に役立てようとしていたのです。
 
 安倍首相だけでなく、過去に本気で「憲法改正」を口にした政治家が命をなくした例を、知る人は知っています。
 
 岸田首相は運良く暗殺されませんでしたが、演説会場で若い男から手製の爆発物を投げられています。評判の悪い岸田首相でしたが、戦後史の大河の前に立って眺める時、安倍氏と似たものを感じます。
 
 「憲法改正」を本気で進める首相は、国内外の反対勢力によって暗殺される。
 
 「政府資料説明」を読んで、「ねこ庭」が、息子たちと訪問される方々に紹介したかった、「驚きの事実」と「目から鱗の事実」はこれでした。
 
 安倍氏の逝去と共に、貴重な資料も生かされることなく政界の大河に流されていくような気がいたします。私の心境も大きく変化いたしました。
 
 突然ですが、資料の紹介は半分も進んでいませんけれど、当初の目的の半分を達しましたので、今回でシリーズを終わりたくなりました。
 
 酷暑の夏が過ぎましたら続きを再開するかもしれませんが、その時はまたおつき合いください。
 
 ・私がもし総理になったら、「憲法改正」を内閣の第一優先政策とします。そのために内閣が倒れるとしても、国のため、国民のため命をかけてやります。
 
 青山繁晴氏は、【僕らの国会】で訴えています。
 
 「憲法改正」を公言して立候補しているため、金儲け優先のグローバリスト集団のマスコミは、最初から氏を無視しています。反日左翼勢力とリベラル議員たちも不利益を感じて、氏に近づきません。
 
 連日報道される「自由民主党の総裁候補者」の中に、青山氏は一度も出てきません。最後に次の言葉を述べて、シリーズの締めくくりといたします。
 
 「ねこ庭」は「政府資料説明」を中断しても、「憲法改正」の主張は変えませんので、孤軍奮闘している青山繁晴氏への支援を続けます。
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