ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憲法制定過程に関する、政府の資料 - 6

2024-08-24 07:01:30 | 徒然の記

 まず、政府説明にある事実を整理しますと下記の通りです。

  ・昭和21年2月1日  松本案「憲法改正要項」が毎日新聞にスクープされた。

  ・昭和21年2月3日  マッカーサー元帥が驚き、ホイットニー民政局長へ「マッカーサー三原則」を指示

  ・昭和21年2月4日  ホイットニー局長が、総司令部案作成にかかった

  ・昭和21年2月8日  日本政府が、松本案「憲法改正要項」を総司令部へ提出

 次に、我妻氏の説明にある事実を整理して並べます。

  ・昭和21年2月14日   南原総長の発案で、学内に憲法研究委員会を設けた。

  ・昭和21年3月6日  突如として政府の「憲法改正要綱」が発表された

             これについて討議決定し、第一次報告書を作成した

  ・昭和21年4月17日   次いで 「内閣草案」について逐条審議を重ねた上で、第二次の報告書を作成し、会の任務が終わり解散した。

 つまりホイットニー局長の指示で作成された「マッカーサー草案」は、極秘で南原総長へ渡され、憲法研究委員会で逐条審議が重ねられていたのです。審議委員会のメンバーの名簿があります。

 再度紹介しますので、確認してください。

 委 員 長   宮沢俊義 ( 法学部 )

 特別委員 高木八尺 ( 法学部 )  杉村章三郎           岡 義武         末弘厳太郎

      和辻哲郎 ( 文学部 )  舞出長五郎 ( 経済学部 )

 委  員 我妻 栄 ( 法学部 )  横田喜三郎           神川彦松           尾高朝雄

      田中二郎        刑部 荘             戸田貞三 ( 文学部 ) 

      板沢武雄       大内兵衛 ( 経済学部 )       矢内原忠男

      大河内一男         丸山真男 ( 法学部助教授 )  金子武蔵 ( 文学部助教授 )  

  著名な教授たちの中にはマルキストもいますし、愛国者だったのに変節した人物もいますが、一番有名だったのは宮沢俊義氏で、憲法学では日本の第一人者と言われていました。

 えっ、こんな人物も仲間だったのかと、驚く名前もあります。こうした著名な教授が、嬉々として「マッカーサー草案」を検討したのですから、総司令部と国内の反日左翼勢力が喜びました。

 「アメリカの押しつけなんてとんでもない。日本人が自主的に作ったんだ。」

 と、こんな意見が出てくるようになりました。だから「ねこ庭」では7年前、名簿にある教授を「変節した学者たち」と呼び酷評しました。

  ・委員のうちの相当の数が貴族院議員や、法令制定を任務とする委員会の委員となったので、その際には、「憲法研究委員会」で得た知識を活用した。

 講演会で我妻氏が語っていたように、東大の左翼教授たちは政府委員として、あるいは国会議員として、その発言が重要視されるようになります。

 東大だけにとどまらず、関西、近畿、中部、中国、四国、九州、北海道と、左系・リベラル系教授たちの連携が広がり、GHQと阿吽の呼吸で通じた彼らが学界の一大勢力となりました。

 彼らは「日本学術会議」や「東大社会科学研究所」のメンバーになり、現在の「憲法改正反対勢力」の先頭に立つ反日左翼系学者を育てました。

 こういう先生たちが栄光に輝いていても、「ねこ庭」からは、GHQを足がかりに出世し、反日左翼思想を広げた「獅子身中の虫」にしか見えませんでした。

 7年前は彼らを酷評するだけでなく嫌悪し憎みましたが、今は激しい嫌悪と憎しみが消えています。

 先日西田議員の研究をし、「今は消滅した政党」について検討して以来、大きな心境の変化を経験しました。

 日本の戦後史という大河の流れで眺めれば、これらの人々は皆日本の国民です。聖徳太子の言葉を借りて言いますと、意見が違っても争っていても、「和をもって尊しとなす」です。

 お互いの存在を認め合うのが、本来の日本人なのでしょう。「ねこ庭」も聖徳太子の言葉を見習おうと努力しています。

 別の視点から考えますと、彼らは昭和天皇を守るため「マッカーサー草案」を命じた元帥に協力していたのですから、陛下のお命を守ることに貢献したと言えないでもありません。

 だから「日本国憲法」がこのままで良いとするのではなく、日本の独立を取り戻すための「憲法改正」の意見は不変です。

 戦後史の大河の流れに消えた多くの政党と、故人となった政治家たちの名前と顔を考え、悲喜交々の人間模様を知りましたので、過去の個々人を憎む気持だけは捨てました。

 次回はメインテーマを外れますが、変節した学者たちが残した厄介な遺物の一つを紹介いたします。

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2 コメント

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Unknown (あやか)
2024-08-24 08:41:02
今回のブログのテーマも重要で貴重な御論考だと思います。

私も以前から疑問に思ってたところですが、、、、
現在の憲法が、当時のアメリカ占領軍から押し付けられたものであることは、
様々な歴史資料を見ても、自明の理でありますのに、、、
それにもかかわらず、「現憲法は、日本人が『自主的に?』作った憲法だ」と言い張るひとが
いるのには、うんざりします。
そのあたりの理由や経緯も、このブログで明らかにされることを期待しています。

ただし、憲法1条の天皇陛下象徴の規定は、日本人の輿論から乖離してはいないと思いますが。。。

◆まだ、暑さは続いていますが、朝夕は秋の面差しも感じるこの頃です。
何事もお身体を第一と思し召され、御自愛下さいませ。

◎窓の猫 夏の名残の 空仰ぐ
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自主憲法 ? (onecat01)
2024-08-24 10:28:17
 あやかさん。

 「言い張る人」の中に、政府機関が含まれています。

 「象徴天皇」の規定に、貴方が大きな違和感を感じられていないように、現憲法は「玉石混交」の思考の玉手箱です。

 立場の違う人が自分に都合の良いところだけを見て、批評できる曖昧憲法です。

 西田氏の研究で失敗しましたので、今回も貴方の予想される研究となるのかどうか、自信がありません。

 暑さの折です。貴方も体を労わりながら、無理をなさいませんように・・・

 コメントに感謝いたします。
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