1. 『日清戦争』 工学院大学教授 松下芳雄
2. 『日露戦争』 東京大学教授 下村冨士夫
3. 『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄
4. 『満州事変』 武蔵大学教授 島田俊彦
5. 『中国との戦い』 評論家 今井武夫
6. 『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎
7. 『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎
7月20日に立てた「読書計画」が、いよいよ最後の一冊となりました。年内に終われるのかどうかは、本の内容次第です。
復讐劇でしかなかった「東京裁判」と、悪法「日本国憲法」について、なぜ私は飽きることなく語り続けるのか。
「ねこ庭」を訪問される方々に説明する必要はありませんが、「アメリカへ行って文句を言え。」という人が、相変わらず、汚い言葉で批判します。見つけたら読まずに消していますから、皆さんの目には止まりませんが、気の長い人がいるものです。こういう人物は、説明しても分からないのでしょうが、もう一度言いましょう。
「東京裁判」と、「日本国憲法」について、アメリカへ文句を言う必要はありません。批判する相手は、日本の中にいて日本をダメにする、反日・左翼の人々です。お人好しの「お花畑の住民」も含まれますが、メインのターゲットは、確信犯の反日・左翼です。私の「ねこ庭」を覗き込み、不毛な言葉を並べる人物も、いわばその仲間です。こういう害虫は、アメリカでなく日本にいます。
私が対象にしているのは、学者と教授です。彼らは教壇の上から学生たちに反日教育をし、マスコミに登場して、日本を汚し続けます。「駆除すべき害虫」との戦いは、日本の中にしかありません。
まだ、書き出しの数ページを読んだところですが、何気なく目にした、最終ページの数行を紹介します。
「戦争は、貴重な犠牲を払ったけれども、」「その犠牲に報いる道は、いたずらに時計の針を逆に回すことでなく、」「戦争から得た経験に対する、反省であろう。」
反日の朝日が同じ記事を書き、「反省」することだけを国民に強いました。現在も続く洗脳は、大畑氏のような学者との共同作業だったことが分かります。
「戦後日本は、平和国家として再出発したはずであった。」「しかし戦後の厳しい国際環境の中で、軍備を放棄した日本は、」「かつての敵国であり、冷戦の一方の旗頭であるアメリカに、」「自国の安全保障を託すると同時に、平和国家として、」「国際社会の中で、平和のために行動する努力を怠っていないだろうか。」
「国際社会の荒野の中で、安易な道を避け、」「どれだけ日本は、平和のための積極的な行動を取ったのであろうか。」
「戦争のない世界、平和と創造のために働くことこそ、」「先輩たちの流した血に応える、道であろう。」
先輩 ?・・誰のことを言っているのでしょう。氏の頭にある戦争は、どこを指しているのでしょう。列強との戦いが、幕末以来のものと考えていないため、先輩などと軽い言葉を使います。「ご先祖さま」と言うべきなのに、ここからして礼節を弁えていません。
貴重な犠牲 ? ・・これもまた軽い言葉です。ご先祖さまを蔑ろにする氏は、「尊い犠牲」に対して、感謝する気持ちがありません。
「戦争のない世界、平和と創造のために働くことこそ、」「先輩たちの流した血に応える、道であろう。」・・この空疎な言葉で、氏は何が言いたいのでしょう。具体的には、何を提案しているのでしょうか。
昭和41年頃なら、氏のような空論もまだ世間で通用しましたが、今の国民にはそっぽを向かれます。「国際社会の荒野の中で、」と、分かったような言葉を使っていますが、反日の学者たちがやってきたことは、弱肉強食の現実を見ないで、
1. 日本にだけ、戦争の反省をさせたこと
2. 戦前の日本の批判と攻撃だけを、したこと。
この二つです。「日本国憲法があったから、平和だった。」と自己満足し、国への愛や誇りを捨てさせました。反日・左翼学者の屁理屈の合唱を、野党の政治家が利用し、多くの国民が騙されました。
不正選挙でバイデン氏を当選させ、その事実を国民に報道しなかったアメリカのマスコミが、今は国民の信頼を失いつつあります。この国家的不正を見た日本国民が、さらにマスコミへの不信感を高めました。大手メディアだけでなく、ネットの情報も玉石混交ですから、報道は自分で考え、判断するしかないと自覚するようになりました。
大畑氏をきちんと批判することは、戦後日本の間違いを考え直すきっかけになります。次回はもう少し具体的な例で、氏の極論を検討してみたいと思います。
「数あるコメントの内のひとつだけを晒す。」
面白いことを考えつきます。私の「ねこ庭」には、たまにコメントが入るだけで、ボウフラが発生して以来、ほとんどありません。
「数あるコメント」と言うのなら、ボウフラのコメントが該当します。その一部を公開したことが、どうして捏造になるのでしよう。