よくもここまで、言いたい放題を抜かしたなと、ついつい反応する私も刺々しくなります。息子たちも、訪問される方々も、次の王氏の言葉と比較しては如何でしょう。
よくもここまで、言いたい放題を抜かしたなと、ついつい反応する私も刺々しくなります。息子たちも、訪問される方々も、次の王氏の言葉と比較しては如何でしょう。
皇統に関するブログに一区切りをつけましたので、再び汪洋氏に戻ります。
「日本人はあまり自己主張をしないと、よく言われる。」「僕に言わせれば、それは普通の社会生活では、」「あまり主張できないからだ。」「大半の日本人は、シッカリした自己を持っていることは間違いない。」「言葉で率直な表現をすると嫌われるから、形を変えて表現している。」
ここでもまた氏は、予想もしない切り口で説明を始めます。
「カラオケが、日本が発祥地であることに、すごく納得がいく。」「僕に言わせれば、これも自己主張の一つの形態である。」「確かにいい歌を聞いているうちに、歌いたくなったり、」「思わず口ずさんだりする。」「いわば、ごく自然の生理的反応であろう。」「しかしそれだけだったら、何も音響設備やマイクは、要らないはずだ。」
何を言い出すのだろうと、思わず引き込まれてしまう書き出しです。
「目を瞑ってしみじみと歌う人もいれば、マイクを握ると同時に、踊り出す人もいる。」「こっそりと練習してきて、プロ同然に歌い、」「周囲をあっと言わせる人もいるかと思えば、」「開き直ったように、下手なまま、自由自在に歌う人もいる。」
よく観察しているなあと、感心したくなる叙述です。会社勤めをしていた頃、みんなでカラオケに行った時の様子が、まざまざと思い出されました。
「それぞれ、自分の思いや感じ方を唄に込めて、」「あるいは生活態度を丸出しにして、歌っている。」「普段できないが故に、胸に溜まった自己を、」「形を変えて主張しているわけだ。」「カラオケのできるところは、間違いなく日本人が、」「自己表現を実現する場所であり、」「自己主張をする場所なのだ。」
そんな大袈裟な場所であるとは思いませんが、まんざら当たっていない訳でもありません。私は歌が下手なので自分では歌わず、もっぱら聞き役でしたから、氏の説明にうなづかされます。けれども面白いのは、次の文章です。信じられない、中国人の一面を教えられました。
「しかし中国でも、カラオケは大繁盛ではないか。」「事実である。」「あれほど昼夜と言わず、自己主張を続けている中国人が、」「なんでまたカラオケを ? という方がいるかもしれない。」「人によっては色々な説があるが、僕はあえて、」「それは、中国では、なかなか自己主張できないものが、」「二つあるからだ、と言いたい。」「一つは、愛情。もう一つは、政治。」
政治は納得しますが、愛情もそうだとは、思ってもいないことでした。あの厚顔な彼らが・・・と、今でも信じられません。
「この二つを主張するには、酒の力だけではどうにもならない。」「それ以上の、強力な力を借りる必要があるからだ。」「それが、カラオケだった。」「日本から来たカラオケという、強力な武器を手にすると、」「水を得た魚のように、中国人は、夜毎、」「愛情や、政治の主張をし出したのである。」
「愛情が主張できないって ? 冗談じゃない。」「中国人は、公園のベンチでさえ、堂々と主張しているではないか、」「と、そんな反論が飛んできそうだ。」「でも、うんざりするほど自己主張している人間が、」「愛しているという、たった一言、」「欧米では、挨拶のように使われているこのたった一言を、」「口にできる中国人が、どれほどいるだろうか。」
しかし氏は政治について語らず、ここで突然、例の比較表を持ち出してきます。面白いので転記します。
《 自己主張の弱い人に対する、「中国的評価」と「日本的評価」の比較》
1. 自己主張をしようとしない人に対して
• 中国的評価・・お人好しだ
• 日本的評価・・控えめで、感じがいい
2. 自己主張を、遠回りにする人に対して
• 中国的評価・・周りくどくて、こちらまでがこんがらがる
• 日本的評価・・柔らかくて、受け入れやすい
3. 自己主張が、論理的な人に対して
• 中国的評価・・筋が通って、分かりやすい
• 日本的評価・・理屈っぽくて、堅苦しい
4. 自己主張を、曖昧な言葉で言う人に対して
• 中国的評価・・思考の明晰さが、足りない
• 日本的評価・・気持ちが伝わり、よくわかる
5. 自己主張を、以心伝心で伝えようとする人に対して
• 中国的評価・・ついていけないから、困る
• 日本的評価・・日本的で、素晴らしい
6. 自己主張を、低姿勢で話す人に対して
• 中国的評価・・自信のない、表れだ
• 日本的評価・・謙虚で、上品である
次回は、同じ中国人留学生でも、汪洋氏が他人とどのように違うかにつき、過去のブログとの比較で述べようと思います。