ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

愛国心 - 3 ( 批判するしか脳の無い3氏 )

2020-02-07 20:24:11 | 徒然の記

 愛国心に関する、三氏のキャッチフレーズを見つけました。表紙をめくった次のページに、ありました。三人の写真とキャッチフレーズと、主張が並べてありました。

 目次に入る前の、いわば「前書き」の部分で、ページの振られていない特別ページです。まず、キャッチフレーズを、そのまま転記いたします。

 1.  田原総一郎

  「民主主義という人は、反権力・反国家であり、」「愛国心という人は、民主主義記が嫌いという、日本人の相反」

 2.  西部邁

  「自分の国は、自主的に自分で守る。」「アメリカは本性において、凶暴な子供の国なのだ。」

 3.  姜尚中

  「愛郷心は、愛国心につながらない、」「むしろ相克し合う。」「愛国心を超えた、アジアの共同性を目指して。」

  キャチフレーズの後に、各氏の主張が続いています。愛する息子たちのため、私は父親として、日本を代表する、学識が深く、しかも先鋭的な学者である三氏に、勇気を振るって、異論を述べます。愛国心に学識は不要であると言う、庶民としての気持ちも述べます。

 まず田原氏の言葉に、私は驚きました。民主主義を私は語りますが、反権力・反国家の人間ではありません。愛国心を語るからと言って、私は民主主義を嫌っていません。こういう基本的な認識のズレは、どこから生じているのでしょう。氏の言葉は、76年間生きてきた私の経験と、どの部分でも重なりません。こんな奇妙な思考をしながら、テレビの司会をしていたのかと、呆れました。

 もっと言えば、肝心の氏は、二つに分類した日本人の、どちらに属しているのでしょう。自分の立場を明らかにせず、どちらの側にも賛成するような顔をし、どちらをも批判するのですから、これが氏の卑怯さであり、卑しい処世術だと、私は軽蔑いたします。

 学者である西部氏や姜氏と、当意即妙の対話をしているのですから、氏の優秀さについては、脱帽いたします。何にでも即答し、何にでも意見が返せるというのは、頭脳明晰な人間にしかできません。けれども、愛国心を語る時、一番大事なものは、「誠」です。東大生を見れば分かりますが、頭脳明晰、成績優秀な人間は、日本にいくらでもいます。しかし「誠」のある人物は、なかなかいません。「誠」とは、別の言葉で言えば、「日本人としての心」、「日本人の魂」のことです。

 愛国心を語る時、この点に何も言及しない、というより、言及できない人物は、愛国心を語る資格がありません。愛国心は知識だけではなく、文字通り、国を愛するという心です。

 西部氏の言葉にも、私は、頭脳明晰・知識偏重のインテリの姿を見ます。「自分の国は、自分で守る。」という意見には大賛成ですが、次のフレーズが余分です。日本の愛国心を語る時、わざわざ、アメリカの悪口を言う必要があるのでしょうか。私たちはマッカーサーから、「日本人の精神年齢は、12才だ。」と言われた時、どれほど傷つき、怒りに燃えたか。愛国心を語ろうとする人間なら、米国人を貶めるような言葉を、不用意に口にして良いはずがありません。

 過激派左翼から転向した氏は、「保守本流」の人々へ引目があり、機会あるごとに、米国追従でない自分を見せたかったのでしょうか。確かにアメリカは、第二次世界大戦後に台頭した、若い覇権国ですし、凶暴な国ですが、このような本の中で強調する必要は、どこにもありません。

 生前の氏は、専属の動画を持ち、敗戦以来米国の属国となった日本を、無念に思うあまり、吐き捨てるように言っていました。

 「いつまで経っても、アメリカにこびている日本人ばかりだ。」「こんな日本人は、ジャップとしか言いようがない。」

 では、氏は、そんな日本人と、どこが違うのか。自分は、何をしようと考えているのか。そこは語りませんでした。批判するばかりで、自分の立ち位置を示さず、自分の考えも述べないと言うのでは、田原氏と同じです。

 私は二人を見ていると、幕末の武士たちを思い浮かべます。「勤皇か、佐幕か。」「尊王か、攘夷か。」と、自分の立場を正面に出し、武士たちは命をかけて意見を戦わせました。斬り合って死んだ武士も、無数にいます。頭脳明晰、博学の武士もいたでしょうが、「国を守る」と言う気持ちだけの武士も多数いたはずです。

 本気で物事を為そうとするのなら、己の立場を明確にするのが基本です。昔風の言葉で言えば、「旗色を鮮明にする」と言うことでしょうか。亡くなった氏を、悪様に言うのは本意でありませんが、保守としての覚悟が定まらなかったから、氏は自死したのではないかと、そんな気がいたします。

 目次に入る前の、いわば「前書き」の部分で、しかもその入り口で、ブログのスペースがなくなりました。次回も、この続きと致しますが、保守を自認する方々には、参考にならないと思います。どうか、息子たち以外は、スルーしてください。

 ( 私自身について言えば、保守のカバーをかけた、この「悪書」について、納得するまで書評をする気でいます。)

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愛国心 - 2 ( 愛国心を語る資格のない3氏 )

2020-02-07 18:14:35 | 徒然の記

 現在156ページを進行中です。最後まで読みますが、書評を最後までするかについて、自信はありません。何回のシリーズになるかも、予測できません。

 18ページに、司会役の田原氏の言葉がありますので、紹介いたします。内容はともかく、この本の狙いが何なのか、誰にもわかります。

 「西部邁、姜尚中といえば、思想的には対極にありながら、」「この国を代表する、学識が深く、しかも先鋭的な学者です。」「俗人であるが故に、政治や経済など、俗世界と馴染みの深い田原総一郎が、」「自分に面白く、分かりやすいレベルまで、思い切り下げて、」「とことん議論してもらうというのが、今回の狙いであります。」

 なるほどそうかと感心しましたが、少し読み進みますと、これが例の大風呂敷で、議論がとことん行きそうになると、氏が遮り、中途半端にしてしまいます。平成26年に、「朝まで生テレビ」を見て、氏の名前を呼び捨てにしたのは、この横柄さが原因でした。出席者を褒めながら、議論の主導権は司会者である自分が持つという、テレビ人らしい傲慢さが、今回もそのまま出ています。

 「愛国心という言葉は、戦後驚くほど長期間、」「タブーのようになっていました。」「私がジャーナリストになってからも、愛国心など口にする人間は、」「 " 反動  " だとする空気が、圧倒的に強かった。」

 愛国心だけでなく、憲法改正という言葉も同じでした。西部氏と姜氏が、対極にある人間というのなら、意見の相違点を、息子たちにも訪問される方々にも、チキンと報告したくなりました。司会者である田原氏が、どのように邪魔をするのかも、興味を引かされます。気鋭の学者と、氏が二人を持ち上げていますので、念のため辞書で意味を確認してみました。

 気鋭 ・・1.  気力があって、意気込みが鋭いこと。

      2.  新たにその分野に現れ、意気込みが鋭く、 将来有望なさま。また、そういう人のこと。

 新進気鋭の学者、新進気鋭の作家などと、マスコミが盛んに使う決まり文句ですから、思った通り中身はあまりありません。過激で奇抜なことを言えば、それだけで「気鋭」と褒められているような、そんな軽さです。ならば西部氏と姜氏だけでなく、司会の田原氏も、間違いなく「気鋭の人間」に見えます。

 「それが 1990 (  平成2  ) 年代に入り、特に後半からタブーが溶けて、」「メディアでも教育の現場でも、議論が湧いているのですが、」「愛国心が欠けている日本を嘆き、危機感を強調する人々、」「逆に、愛国心の危険性を訴える人々、」「それぞれの陣営での議論が多く、対極に立つ、」「信頼できる学者の、じっくり腰を据えた、」「いわば学者生命をかけた討論が、あまり見当たりません。」

 司会者が自己主張し、喋りすぎるというのも、この本の欠点の一つです。「チャンネル桜」の水島氏もそうでしたが、出席者の意見を引き出すのでなく、議論をリードしたい気持ちが強過ぎるとこうなるのでしょうか。

 「そこで、西部邁、姜尚中の二人に、総計30時間、」「徹底的に、議論していただきました。」

 これが、『愛国心』という書の目的です。ここで終わりにすれば良いのに、氏はさらに喋ります。まだ19ページですが、この時点で、本書は焦点のズレた議論へ入りました。

 「フランス、ドイツ、ロシア、中国をはじめとして、」「世界の多くの国々が、国連決議を経ない、」「アメリカのイラク攻撃に反対した。」「世界中で、大規模な反戦デモが行われた。」「そんな中で、日本の小泉首相は、」「アメリカのイラク攻撃を、無条件で支持しました。」「そこで、イラク戦争についての議論を、冒頭に持ってきました。」

 こうなりますと、話の中心は愛国心というより、国際情勢に関する意見の表明となります。司会者も含め、あとの二人も、国際問題について一家言を持っていますから、横道へどんどん進みます。

 アメリカやヨーロッパ、あるいは中国やロシアの国益の話になるのなら、「信頼できる学者の、じっくり腰を据えた議論」は、どこへ行ったのかと、私は首を傾げます。日本の「愛国心」がテーマの本と、勘違いした私が間違っていたのでしょう。こうなりますと、姜氏が韓国・北朝鮮への愛国心を語っても、不思議はありません。

 田原・・「今アメリカの新保守主義の、代表論客であるロバート・ケーガンの、」「論文が、大きな話題となっています。」

 西部・・「論点がいくつもある。」「まずケーガンの論文は、カントとホッブスの対比という形でなされているんだけど、」

 とまあ、二人は日本の愛国心を外れ、互いの博識ぶりを見せ合う、お喋りになります。無駄な時間と、無駄なスーペスを浪費したくないので、本日はここで割愛し、次回適当なページを探し、「愛国心」に関する三人の考えを見つけ、書評の出発点にしようと思います。

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