ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本人と中国人 - 2 ( 面子と建前の違い )

2020-02-11 18:57:29 | 徒然の記

 面子 (  めんつ ) と建前・・こういう切り口から、日本と中国の文化の違いが語られるとは、思ってもいませんでしたから、新鮮な驚きでした。

 「僕は中国人だから、当然面子とのお付き合いが長い。」「知識人なら、知識を持っているという面子があり、」「権力者なら、権力を持っているという面子がある。」「当然ながら、金持ちの面子は金を持っていることだから、」「人の前では、なかなかケチなことはできない。」

 知識や権力や金を持っているから誇りになる、という発想が、私には、というより日本人にはないような気がいたします。それらは、誇ってひけらかすものでなく、自分の中に納めるべき感情に過ぎません。今の教育でどうなっているのか知りませんが、「実るほど頭を垂れる、稲穂かな。」という諺を、教えられなかった子供はいなかったはずです。

 「僕みたいな、日本の大学を卒業した人間には、」「ささやかながら、それなりの面子というものがある。」「小さな例をあげると、日本語を知っているという面子だ。」

 こういうささやかな例を説明されると、「面子」という概念が思っているより広いもので、「ひけらかす」というより、「自負」というものになるのかと、思えてきます。

 「中国人の面子は、自分が属している集団の一員として、」「ふさわしいことを証明する、品質保証書みたいなものだ。」「その品質保証を保つ、最良で最終的な手段は、」「天賦の才でなく、やはり努力しかない。」「言い換えれば、面子は、努力の原動力の一つになる。」

 知識人なら知識を深める努力、権力者なら権力を増すための努力、金持ちなら金を増やすための努力、ということになります。並大抵の努力でないと分かりますが、それでも私は、彼らのように、積極的に評価する気持ちになれません。

 「一方、日本人の建前だが、外国人にとっては、」「建前そのものに、問題があるわけではない。」「問題は、それを信じ込んで、何かのきっかけで裏切られた時だ。」「一歩間違えば、人に対する不信に陥りがちだ。」

 その例として、氏がアルバイトの経験を語ります。他の人間がタバコを吸ったり、雑談をしたりしている休憩時間に、氏は一人で本を読んでいました。その時現場監督が来て、彼の本を手に取り、こう言いました。

 「せっかく日本に来たのだから、ちゃんと勉強して、お国に帰って活躍してください。」

 そして周りのアルバイトの者たちには、「お前たちも、もっと勉強せんか。」と言いました。氏はてっきり褒められたとばかり思い、その後も、休憩時間に本を読んでいました。

 ところが数日経ったある日、大学の指導教官である先生に呼び出され、注意を受けます。

「仕事をしている時は、本を読まないように。」

「仕事をしている時は読んでいません。」

「休憩時間でも、本を読むと悪い印象を与えます。」

 先生が、丁寧に、根気よく説明してくれ、現場監督の言葉が建前に過ぎず、本当は反対の気持ちだったと理解します。先生を引っ張り出さず、本を読むのをやめてくれないかと、直接言ってくれるべきだろうにと、氏は不愉快になります。「誰にも負けず、真面目に働いている」という面子を、現場監督のために失いました。

 「もちろん僕は、あの一件だけで人間不信に陥ったりはしないが、」「その頃から、日本人の建前に、」「あまり良い印象を持っていなかった。」

 反日の中国人だったり、韓国・朝鮮人だったら、日本人は嘘つきだ、二枚舌で人を騙すと、彼らはいきり立つはずです。

 「考えてみれば、中国人の面子は、集団の中で、」「自分という "個" を立てるのに対し、」「日本人の建前は、自分という "個" を押さえるのだ。」「いわば、正反対のようなものである。」「しかしながら両方とも、人間が、それぞれの社会や集団の中で、」「上手く生きるために、必要なものである、」「という点では共通している。」

 冷静に観察し、公平に眺めているところが、氏の素晴らしさだと敬服しました。中国や韓国で、不愉快な思いをさせられたら、私が同じ言葉を言えるかについて、全く自信がありません。

 「中国人の社会や集団に中にいると、面子も保てないような人間は、」「その社会や集団にふさわしい、まともな一人前として扱われないし、」「日本人の社会や集団の中では、」「本音ばかり言う人間は、叩かれるに違いない。」「だから中国人は面子を重んじ、日本人は建前を言い続ける。」

 彼のような中国人が多数なのか、反日教育を受け、日本人に敵意を持っている人間が多数なのか、そこは分かりませんが、こう言う中国人もいると言う発見を、いたしました。氏が、感情論で一方的な批判をしなかった理由も、ほんの少し述べています。

 「建前のその上に、いわゆる後進国の人々への蔑視が加われば、」「不愉快な目に遭わされるのも、ある意味では避けられない。」「しかし僕の、長い日本滞在は、比較的快適なものだった。」

 「思えばそれは、言うまでもなく、日本人の親友ができたこと、」「日本人女性と、いい恋をしたこと、」「そして大勢の日本人の親切さに、負うところが大きかった。」「目に見えないところのどこかで、本音を抑えた建前に、」「助けられた部分もあったのではないか、と言う気がしてならない。」

 つまり氏は、自己主張をし、面子を重んじる中国人であると同時に、日本人の好む「謙虚さ」を持っていたのだと思います。だから親友ができ、恋人ができ、支えてくれる日本人ができたのだと、そんな気がします。

 大勢来る中国人留学生の中に、氏のような人物が果たして何人混じっているのか。興味が湧いてまいりました。まだ16ページですから、大きな期待をせず、もう少し読んでみます。

コメント
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