OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

折尾駅トンネルウォーク その2

2012年10月17日 | 今日このごろ
折尾駅トンネルウォーク その2
New Tunnel walk at Orio Station: part 2

10月13日(土)JR九州の主催する「ありがとう折尾駅舎」ウォーキングに参加している。といっても、設定されたコースは無視し、折尾駅から堀川沿いに南に歩いて、国道3号線の「折尾愛真学園」交差点に来た。ここで、東から戻ってくる設定コースにぶつかるが、やはり無視して更に南に。飯塚から来た筑豊本線が新設の線に分岐する所を見るため。
工事中の道路を南に行くと下り坂になり、分岐部が見える。


8 南を見る。左端に現在の筑豊本線が見える。

写真中央の谷から左に通る現在の線が、道路の先で右にカーブする線路に付け替えられる。
さらに先に行き、振り返ると新トンネル(のうち、一番南のもの)の入口が見える。


9 新設路線のトンネル南入口

このあたりでは、上部を開いて天井をコンクリートで覆う方式のトンネルで、箱形。「開削工法」と呼ぶ方法である。地質は漸新世の折尾砂岩層で、プロトプテルムの化石などを多く含むはず。掘っている時に排土を見ればよかったなあ。少しは石も転がっているが、整地されているので採集は難しそう。
引き返して「折尾愛真学園」交差点へ。さらに3号線を少し西に行って、トンネルの上の被覆の工事を撮影。たぶん埋めもどすのだろう。


10 3号線から見た新トンネル

もう一度「折尾愛真学園」交差点にもどる。やっとここでウォーキングの設定ルートに合流する。半分以上を省略して「キセル」状態。ルートには案内サインがたくさんあり、多くの参加者がリュックをしょって歩いている。


11 ウォーキング参加者とサイン

しばらく住宅地を歩いた後、普段は入れない通路に案内され、いよいよメインイベントのトンネルの上が見えてくる。


12 新設線(短絡線)トンネル(北口)

ちょっと珍しい光景で、私はトンネルの外側を初めて見た。南のような開削工法のものの外側はよく見るが、こういう円形断面のものの外側を見ることは少ない。けれども、後で断面形を見ると、たぶんすべて開削して作られたのではないだろうか。


13 歩いたところ(青点線)と撮影場所(赤)黄色は新設線(推定)

JRでは、トンネルの断面形にいくつかのモデルを設定して、「制定型断面」と呼ぶが、その側面は最下部でややせまく、一端広がってから丸い天井に移行する形。ここのは最下部で垂直になっている。

(つづく)

折尾駅トンネルウォーク その1

2012年10月13日 | 今日このごろ
折尾駅トンネルウォーク その1
New Tunnel walk at Orio Station

10月13日(土)JR九州主催のウォーキング「ありがとう折尾駅舎」に参加した。前にも記したが、折尾駅は鹿児島本線と筑豊本線の立体駅を平行駅とする工事を始めていた。この催しは、失われる折尾駅舎とその周辺を歩くものである。コースは折尾駅東口から元西鉄北九州線をくぐるトンネル「ねじりまんぽ」から始め、西鉄九州線跡を通って瀬板の森公園を北から南に抜け、国道3号線を堀川まで西に歩いたあと、新設される筑豊本線に沿ったコースを迂回してそれに使われるトンネルを見学、東口に戻る約12km,4時間のコースである。
私は「ねじりまんぽ」はすでに訪れたし、瀬板には興味がないので、新設される筑豊本線部分だけを歩いた。
折尾駅前はイベントで大にぎわい。スタート受付に11時30分ごろに着いたら、すでに誰もいない。しかし、隣のゴール受付にお願いして参加証とガイドマップを頂いて歩き始めた。参加番号は301287。1287人目という意味かな?最初の3は13日のことかも知れない。「ありがとう折尾駅舎 記念ウォーキング第1弾」となっているから、第2弾もあるのだろうか?


1 折尾駅前のイベント「ありがとう折尾駅舎」

ガイドマップは、だいぶん簡略化されているし、西が上になっている。また、全部歩かない私にとっては要らないところが多いので、別の図を作って記録しよう。


2 ガイドマップ

まず、今回の経路変更の図があったので紹介する。この図はトンネルの解説の場所(後述)にあったもの。


3 折尾駅経路変更計画

関係ある線路は3つ。まず筑豊本線の駅を鹿児島本線の北側に平行して設置する。そのために、飯塚方面から来る上りで言うと、南の方で径路を西に向け、台地の下をトンネルで抜けて、さらに鹿児島本線もくぐり、それから登って鹿児島本線と同じ高さの平行した駅とし、そして現在のコースに向かって高架でカーブを描いて北に向う。
黒崎から飯塚の方に向かう「短絡線」は、鹿児島本線と平行したホームにして、そこからトンネルに入り、先ほどの筑豊本線とトンネル内で合流。
鹿児島本線は筑豊本線との交差部分でかさあげし、さらに築堤から高架に変更。
もちろんこれらに伴って、折尾駅舎も新築し、駅前広場も全く新しく北側に設ける。
と言う大工事で、どのような手順で行われるのかも興味深い。

今日は、まずウォーキングコースから外れて南に向かい、今回廃止される踏切の一つの写真を撮った。


4 廃止される短絡線の踏切


5 廃止される踏切。短絡線と本線が通る。


6 折尾駅を南から見る。右に曲がって行くのが短絡線。

このあたりはコースに入っているが、逆行した形で歩く。6の写真あたりからはコースに入っていない。


7 写真撮影位置 上の赤い部分が折尾駅

(つづく)

最後の蒸気機関車たち その30 1971年4月

2012年10月09日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その30 1971年4月
The last steam locomotives in Japan. No. 30 (April 1971)

九州の旅行が続く。


154N 肥薩線 1971.4.1 
Hisatsu line, place unrecorded.


155N 肥薩線 1971.4.1 D51-170 842列車
Hisatsu line.

D51-170は、1972年6月に廃車の後、矢岳の展示施設に保管されている。

肥薩線を南下して鹿児島に到着。このあたりにいくつかフィルムの無い写真があって、アルバムからスキャンした。


156N 日豊本線隼人駅 1971. 4. 1 C55-34
156-157: Nippo line, Hayato Station, Kagoshima Pref.


157N 日豊本線隼人駅 1971. 4. 1 C55-34

C55-34は、1971年10月に廃車。


158N 1971.4.1 鹿児島駅 C57-21
Kagoshima line, Kagoshima Station, Kagoshima Pref

C57-21は、1971年10月に廃車。
登場蒸機 C55(写真155・156)C57(写真157)8620(写真158)
30回を終わったので登場した機種をまとめておく。
20回まで:登場蒸機 C11 C12 C50 C51 C56 C57 C58 C59 C60  C61 C62 8620 D50 D51 D61 9600 4110(17型式)
新たに登場30回まで: C55 D60 (計19型式)
この時に動いていた型式で、見ていないのはD52とB20だけ。B20は、鹿児島で入れ替えをしていたのが一両あったがとうとう見ることができなかった。従ってこれ以後新しく登場する型式はD52だけで、1972年夏に大沼で会う。
なお、C10型はこれ以前に国鉄では廃止されていた。一両だけ(私鉄貨物線経由で)現在大井川鉄道にある車両が残っている。

2020.6.09 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

最後の蒸気機関車たち その29 1971年4月

2012年10月05日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その29 1971年4月
The last steam locomotives in Japan. No. 29 (April 1971)

壱岐島で発掘の後、フィルムに出てくるのは肥薩線の写真である。その前の鹿児島本線玉名・肥後伊倉間で国鉄の乗車区間が60%に達した。


149N 肥薩線一勝地駅 1971.4.1 C57-100 834列車
149-151: Hisatsu line, Isshochi Station, Kumamoto Pref.

この100号機は排煙板の形が変わっていて、「門鉄型」というのをつけている。排煙板というのは、機関士のところに煙が来ないように煙突付近の気流の方向を整えるもの。門鉄というのは門司鉄道管理局?のことで、この型の排煙板は九州に多かった。配属が変わって他の地方に行ったり、各地でまねたものもあろう。


150N 肥薩線一勝地駅 1971.4.1 C57-100+C57-48 834列車


151N 肥薩線一勝地駅 1971.4.1 C57-100+C57-48 834列車

機関車を二つつけた「重連」運転は技術的に難しいものだった。出発の加速で、盛大に煙を上げている。
この一勝地の撮影は、下り列車から撮ったもので、肥薩線回りの夜行列車の早朝にすれ違ったものかと思われる。夜行列車乗車記録は、二年後の1973年から付けているので、この記録は確かではなかった。1973年4月の上野ー仙台間あづま2号乗車を夜行42番目としている。記録の無い41回のうち、半分以上は思い出したが、17回がどこで乗ったのか不明である。肥薩線回りがその内の一つであることは、この記事を書く時に見た他ブログで見つけた。同じ1971年の8月に同じように一勝地ですれ違った写真が掲載されている。それで、夜行の1121列車に私が乗っていたことが判明した。なお、現在までの夜行列車・船・飛行機の乗車・船・機回数は80。ただし、調査船の複数夜乗船は、何晩寝ても一回と数えてある(太平洋と日本海の2回)。これらを夜の数だけ積算すると、一昨年の「北斗星」乗車がちょうど100回目になる。今後夜行フライトはあっても、夜行列車乗車の機会はあまり無かろう。
C57-100は、1973年4月に廃車の後、現在長崎市中央公園に静態保存されている。C57-48は、1973年7月廃車。


152N 肥薩線人吉駅 1971.4.1 D51-1151
153-153: Hisatsu line, Hitoyoshi Station, Kumamoto Pref.

D51-1151は、1974年6月に廃車。


153N 肥薩線人吉駅 1971.4.1 C57-151 1121列車

C57-151は、鹿児島市の平川動物公園に静態保存されている。
登場蒸機 C57(写真149~151・153)D51(写真152)

2020.6.09 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.



9月のアクセス数

2012年10月01日 | 今日このごろ
9月のアクセス数
access analysis of this blog; September 2012

9月の当ブログの状況をご報告する。

4日に一度の投稿を行った。他に臨時投稿が一回。
7月7日から、当ブログのアクセス数の統計記録をとっている。記録項目は、閲覧回数 訪問人数 同一プロバイダー中の訪問人数順位(3万位以下は数字が出てこない) 同一プロバイダーにあるブログの総数 の各数字で、土曜日毎に一週間の集計もされている。なお「閲覧回数」はその日のアクセス総数、訪問人数は同一の方の重複を除いた数字。
9月(と括弧内は8月)の数字(平均値)は次のとおり。
閲覧回数 158.6 (174.1)
訪問人数 69.9 (74.8)
同一プロバイダー中の訪問人数順位 26,164(27,535)
その総数(平均ではなく月末) 1,768,897 (1,757,967)
3万位以下の順位は順位の判っている2万位以下のデータの回帰直線に従って推定した。3万位以下の日で推定値が3万を切ることもあるが、その場合には3万とした。3万位を大きく超えたことはなさそう。
ご覧のように、8月と比べて9月は、閲覧回数・訪問人数ともに減っている。夏休みの終わりとともに急激に落ち込んだようだ。しかし、平均順位が少し上がっているので、全体のアクセスが落ちていて、当ブログの変化は少ないことになる。15日から23日まで閲覧回数が非常に多かった期間があった。なぜだろう?その間、訪問人数は変わりない(16日から3日間は訪問人数50人台。)ので、同一の方が何度もご覧になったことになる。15日の記事は「最後の蒸気機関車」シリーズなので、とくに目を引くものではない。連休と関係あるのかな?
訪問人数の数字の変化の幅が非常に狭い(下のグラフ)ことは変わりない。最低は9月12日と13日の47人、最高は9月20日の109人(どちらも記録更新。109人というのは初の100人超え。)。9月1日の順位、17,765位は、初めての2万位超え。あと1人ご訪問いただいたら、全ブログ(約176万)の上位1%以内に入れた可能性があった(回帰直線から推定:1人の増加で順位は225位上がり、17.540位になる。全数は1.758.298ブログなので上位0.9976%となる。)のだが、惜しくも逃した。実際に1%以内になったのは23日の17,635位だった(0.9928%)。この一日だけ。この数字(全ブログ(約177万)の上位何%に入っているか)は、7月以来順調に減っている。平均値を見ると、7月は1.65%、8月は1.57%、9月は1.48%だった。古参のブログが終わったりするから、新参者の当ブログの順位アップは当然か。このままの割合で順位が上がると、半年以内に平均が1%となる計算だがそうはいかないだろう。訪問人数は4日に一度の投稿日にやや多い。投稿日に訪問人数の順位が3万位以下に落ちたことはない。


グラフ:9月のアクセス数。青:閲覧回数 赤:訪問人数

開設してからの総数は8月末現在次のとおり。
開設後の日数 589日
総閲覧回数 82,324
延べ訪問人数 37,006
7月からについては、一日ごとに約70人の方が見てくださっている事になる。アクセス御礼。コメント数が少ないのがちょっと残念。時事問題、とくに領土問題を書けばアクセスもコメントも飛躍的に増えるだろうが、そこに旅行でもしなければ書くことはない。自分で見たことを記録する所だから。領土問題の多少ともある所に旅行する可能性はゼロに近い。
書きためた「蒸気機関車」シリーズはあと70回分近くある。別のシリーズ「昔の旅行」とか「昔採集した化石」を検討中。気候が良くなったので、外に行く機会が増えそう。10月には中部地方に行く予定なのでその記録も書こう。
散歩で見かけた9月という季節:




9月27日小倉南区志徳で撮影。
種類はおそらくキマダラカメムシで、イヌビワ?の葉の上に数匹ずつかたまっていた。キマダラカメムシは外来種であるが、北九州では普通に見られる。

今後もご訪問歓迎。コメントご記入歓迎。