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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

父の遺した写真 50 宇高連絡船

2017年08月07日 | 鉄道
父の遺した写真 50 宇高連絡船

 宇高連絡船の写真は同一日付のものが6枚ほどあるが、いずれもピントが甘く、見栄えがしないし船名などがわからない。以下では、就航の期間などを考慮して船名を推定したが、お分かりになる方のコメントを待ちたい。

50-1 宇高連絡線 宇野港 1962.3.13

 船名は分らないが鷲羽丸か眉山丸だろうか。

50-2 宇高連絡船の船内 宇野港 1962.3.13

 宇高連絡船には私も数多く乗船したが、デッキにいることが多くて、船室の記憶がほとんどない。こんなふうにボックス席が並んでいたのだろうか。

50-3 宇高連絡船 宇野・高松間 1962.3.13

 航走中は航跡にカモメが集まってくる。左後方に見えるのは大槌島か。そうなら、高松に近づいてから後方を撮影したものだろう。

50-4 宇高連絡船高松港付近 1962.3.13

 船名は分らないが、瀬戸丸(紫雲丸を改称)の可能性がある。紫雲丸が第三宇高丸と衝突・沈没したのは1955年5月。同年に引揚げられて瀬戸丸と改称された。
 宇高連絡船は1988年に本四架橋の完成とともに運行を終えた。その前年に国鉄の民営化が行われたから、約一年間は四国旅客鉄道(JR四国)に属していたことになる。連絡船の航路は、その後旅客だけを運ぶ高速船の運行が行われたが、約二年間でそれも終了した。高速船の休止は1990年3月、1991年3月に廃止となっているが、私はその間の1990年7月に、家族で北九州から名古屋に行く途中で本四架橋を通って高松から今度は高速船を使って宇野経由で帰った記録がある。休止中の高速船になぜ乗れたのだろう。高松からの高速船では、乗客は私の家族だけだった。宇野の直前で「本日はご家族で御利用いただき、ありがとうございます。」という船内放送が流れたのを記憶している。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。


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