■フォーレ/ロン校訂「平均律」の光と影、しかし、Bachへの卓越した解釈■
2017.3.12 中村洋子
★3月18日開催の「「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」
アナリーゼ講座の勉強と準備で、忙しい毎日です。
https://www.academia-music.com/academia/templates/pdf/20161026-0b.pdf
★3月8日は「平均律第1巻5番D-Dur」のアナリーゼ講座のため、
名古屋に行きました。
講座の後、愛知県美術館で「ゴッホとゴーギャン Van Gogh and Gauguin
reality and imagination」展を、観て参りました。
★既に昨秋、東京都美術館で同じ展覧会を観ていましたが、
もう一度じっくりと見たいため、名古屋での巡回展に行きました。
★東京都美術館は、やや手狭な展示でしたが、
光の当て方は、そこそこ工夫されていました。
★しかし、名古屋は、ガランとした体育館のような展示場に、
高い天井の上から、どの絵にも画一的な光を当てていました。
屈指の名画が皆、ノッペリと平坦な印刷物のように、
壁にへばりついていました。
絵画が、“さるぐつわ”を嵌められているようで、
観る人に“語りかけてくる”ことはありませんでした。
がっかりしました。
★もう随分と前のことですが、
京都の清水寺で、通常非公開である秘仏の特別開帳に
遭遇したことがありました。
展示されているお堂は、いつもは扉で閉ざされています。
★堂の正面にご仏像が横一列に並び、
それを、蝋燭の灯りだけで見るのです。
仏像の右と左の端には、風神と雷神像が安置されていました。
驚いたことに、蝋燭の絶妙な配置により、
この風神雷神の二体の影が、真横にたなびき、
仏像群に覆いかぶさっていました。
あたかも仏像を守っているかのように、
長く長く延びていました。
新鮮な感動を覚えました。
★蝋燭の位置は、若干見上げる程度の高さに安置されている仏像の、
脇に置かれていたように、記憶しています。
それが、代々伝えられてきた「不動の場所」なのでしょう。
考えてみれば、歴史的に有名な仏像が安置された時代には、
電気照明がなく、仏像の両脇にある燭台の仄かな灯りと、
入口から差し込んでくる、しなやかな陽光とで、
基本的には、眺めていたと思われます。
★もし、この仏像群を、天井からのそっけない照明の美術館で、
鑑賞しましたら、この感動はないでしょう。
★音楽は再現芸術です。
Bachの作品も一回一回演奏されることにより、
その都度、新たな生命を獲得していきます。
★絵画も同じでしょう。
どのような展示をするかにより、
その都度、画家が意図したその作品の神髄が表現できるか、
主催者の審美眼と知性が試されます。
★名古屋 KAWAI のアナリーゼ講座では、
平均律第1巻5番の Preludeを、まずコラールの形体に戻し、
皆さまに聴いていただくことから講座を始めました。
★そこに脈々と息づく Counterpoint 対位法を、どう解釈し、
演奏するかを、Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ(1845-1924)と
Marguerite Long マルグリット・ロン(1874-1966)による校訂版により、
詳しくご説明しました。
★講座の最後にもう一度、コラールの形体の5番 Preludeを、
聴いていただきました。
講座の前と後で二回、演奏しましたが、
きっと、参加者の皆さまは、最後の演奏が、
最初とは随分と違って聴こえた、と思います。
★次回6月14日(水)の「平均律第1巻6番d-Moll」の
アナリーゼ講座でも、同じ試みをしたいと思います。
★Fauré/ Long校訂の「Clavecin Bien Tempéré Volume Ⅰ
revision de Gabriel Fauré et Marguerite Long」は、
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=0111033700
百年ほど前の校訂ですので、5番に関しても、
明らかな間違いが、いくつかあります。
★Prelude15小節目下声2拍目が「d」になっていますが、
これは「gis」が正しく、「d」は誤りです。
★実は、この誤りの「d」音につきましては、こんな発見もありました。
平均律第1巻の初稿である
J.S.Bach 「Klavierbüchlein Für Wilhelm Friedemann Bach
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」では、
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=0111036400
この「d」音になっているのです。
★常識的にみますと、初稿の「d」音のほうが滑らかで心地よいのです。
決定稿の「gis」にしますと、1拍目の「D」と2拍目の「gis」は、
1オクターブと増4度(augumented fourth)です。
★増4度は、三つの全音から成り、
トリトン tritone(英)、triton(仏)、Tritonus(独)とも、言われます。
★大変な不協和音程で、ぎこちないため、避けるべき音程として、
Counterpoint 対位法の入門書では、
厳しく「禁則」とされている音程です。
★1拍目から2拍目のD-dのオクターブ音程を、
Bachはなぜ、わざわざ禁則のトリトン tritonにしたのか
については、講座で解説いたしました。
★規則通りに、高い天井から光を一様に当てたような作品は、
芸術上の傑作にはならないでしょう。
★その他、 Fauré/Long校訂版では、
Prelude34小節目1拍目のアルぺッジョが、欠落しています。
楽譜をお持ちの方は、書き足しておいてください。
★また、5番Fugue(仏)の14小節目3拍目下声の16分音符「c¹」は、
誤りで、「a」が正しいのです。
★16分音符の「a」が奏された瞬間、
この三和音「a-c¹-e¹」の第3音が存在せず、
不安定な響きになります。
「a-c¹-e¹」の「c¹」が存在しませんと、
「a-c¹-e¹」の短三和音なのか、
あるいは「a-cis¹-e¹」の長三和音なのか、
和音の種類が分かりません。
これを「空虚5度」と、言います。
★Bachは、その不安定な響きを敢えて狙ったのです。
そしてこれが、このFugueの構造に直結します。
そこを読み取れませんと、
Fauré/Long校訂版のような、“凡庸な改竄”となります。
★Fauré による、素晴らしいRobert Schumann シューマン(1810-1856)の
ピアノ作品校訂版は、Fauré 一人でなされていますが、
この平均律の校訂は、Marguerite Longとの共著です。
おそらく多忙で高齢であったFauré がどこまで、関与していたか、
ということでしょう。
★Fauré の炯眼をもって編まれたこの校訂版に、
時々忍び込む常識的な、つまらない誤りは、
私には、天才Fauré ではなく、
問題の多いピアニスト Marguerite Longに起因することが
多いように、感じられます
(ロンは、ロン=ティボーコンクールのロンです)。
★しかし、それゆえこの「名校訂版」を手にしないのではなく、
常に、Bachの自筆譜を手元に置き、
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501728610
目を光らせながらも、天才Fauré のBach解釈、
その素晴らしいフィンガリングから読み解くことのできる
曲の構造と演奏法を、
我がものとしないのは、大きな損失でしょう。
★私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり≫で、
Bachの自筆譜について、詳しく説明しております。
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