■ベートーヴェン ピアノソナタ1番の惚れ惚れする対位法■
~初版譜1楽章1段目で、その凄さがすべて凝縮されている~
2024.7.25 中村洋子
Rainlily
★酷暑の7月です。
明治生まれの祖母は、「空色鼠~そらいろねず」色の着物で、
暑い夏は、朝と夕方に家の拭き掃除をしていました。
夏は窓を開けているので、埃が入るからだそうです。
(残念なことに、孫娘に掃除好きは隔世遺伝しませんでした)
祖母の、夏の普段着の、その色を忘れることができません。
江戸時代は「四十八茶百鼠」というくらい、茶色も鼠色も
種類が多く、江戸っ子は、その微妙な色のおしゃれを
楽しんでいたのですね。
https://www.benricho.org/colors/nihonnoiro_48cha100nezu/
★ちゃきちゃきの東京っ子(江戸っ子の末裔)の祖母の
人物評価基準は、「野暮」「粋」「小粋」でした。
「粋」と「小粋」のどちらの評価が高いかというと、
「あの人は小粋だねぇ」と感に堪えたように言っていましたから、
明らかに「粋」、「分かり易い粋」をひけらかすのではなく、
どことなく「粋」が漂う「小粋」の方が、祖母の目には
軍配が上がったようです。
★前回ブログ≪Beethoven「ピアノソナタ1番」の骨格は
「弦楽四重奏」≫
の続きです。
Beethoven「ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲
ハ長調 作品56」1969年、カラヤン指揮ベルリンフィル、リヒテルの
ピアノ、オイストラフのヴァイオリン、ロストロポーヴィチのチェロの
録音を改めて聴いてみました。
★若いころに聴いた時、さっぱり分からない演奏で、
これだけのマエストロ達が演奏していて、それを分からないのは、
自分の理解力が足りないからだ、と思い込みました。
しかし今再聴してみますと、この様な名曲を冒涜するかのような
録音と、マスタリングにも驚きました。
★この曲はピアノ、ヴァイオリン、チェロという「Piano Trio
ピアノ三重奏」に、更にオーケストラをプラスした、
壮大な名曲です。
基本は、Piano Trio ピアノトリオです。
ピアノトリオは独立した3人の奏者が、丁々発止と触発し合い、
音楽を作っていく演奏形態です。
Piano、Violin、Cello のどれが主、従ということはあり得ません。
★しかし、この録音と、その後のマスタリングによって、
まるで「チェロ協奏曲」のような音響に仕上げています。
この曲は、決してベートーヴェンの「チェロ協奏曲」ではありません。
とぎれとぎれにチェロがオーケストラの波間から浮かび上がるけれど、
すぐに海面から姿を消し、そのあとが続かない、という奇妙な録音に
なっていました。
これでは若い私が、理解できなかったのは当然でしょうね。
★リヒテルの証言
《カラヤンのこの曲の捉え方が表面的で、明らかに間違っていた。
第2楽章のテンポがのろすぎ、音楽の自然な流れをせき止めて
しまう。もったいぶった演奏で、オイストラフと私は好まなかった。
しかし、ロストロポーヴィチは変節して(カラヤンの味方となり)
そこでは端役に過ぎなかったチェロが前面に出ようとした》。
そのために、大事なピアノとヴァイオリンが水面下に隠されて
しまい、チェロが波間に漂っていたのですね。
カラヤンは自分や自分の追随者のみを目立たせるようなことを
せず、「ベートーヴェンの音楽」に忠実であるべきだったと思います。
★私の祖母でしたら「野暮だねぇ」と眉を顰めたことでしょう。
「野暮」が極まって、「野暮天」なんて言葉も
幼いころ耳にしました。
★Beethoven「ピアノソナタ1番」のアナリーゼの前に、
拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》
chapter 1《シューマンは曲集「ユーゲントアルバム」第1番を、なぜ
「メロディー」と命名?》の中の
・わずか8小節で目の覚めるような「対位法」を展開
・「動機motif」を、いかに緩急自在に組み合わせせるかが「対位法」
これを、どうぞお読みください。
★例として挙げました、シューマンの「ユーゲントアルバム
~子供のためのアルバム」は、シューマンが愛情込めて愛娘の
マリーちゃん、ひいてはピアノを習い始めた子供達全員のために、
作曲した曲集です。
簡素で、演奏に取り立ててテクニックを要するわけではないのですが、
大作曲家シューマンの作品です。
シンプルであればある程、奥深く含蓄のある対位法の世界が、
繰り広げられています。
蓮
★それではベートーヴェンの「ピアノソナタKlaviersonate op.2
Nr.1 f-Moll」の≪対位法≫は、どうなっているでしょうか?
これを解明する近道は、やはりベートーヴェンの初演後、時を経ずして
出版された≪初版譜≫にあります。
★≪初版譜≫第1楽章1段目は1~9小節が記譜されています。
シューマンの「ユーゲントアルバム」が《わずか8小節で目の覚める
ような「対位法」を展開》していたのと同様に、それにも増して、
ソナタ1番の第1楽章冒頭9小節は、目も眩むような対位法の
「豊饒の海」です。
具体的に見ていきましょう。
★1楽章の冒頭、「アウフタクトAuftakt(弱起)+1小節」は、
右手(上声)のみの、単旋律です。
1楽章の主調「ヘ短調 f-Moll」の、ごく普通の主和音トニック
tonicの分散和音ですが、一度聴いたら忘れないほどの強烈な
印象を与えます。
強い意志を持って、駆け上っていくような音型です。
★ここで重要なのは、ベートーヴェンはこの個所を、「f 」
ではなく、「p」を指定したことです。
ベートーヴェンの音楽は「激情」の噴出の様に、喧伝され、
恰も「叩きつけるフォルテ」を作曲したかのように誤解されて
いますが、実は、ベートーヴェンは「p」の作曲家
であると、私は思います。
★《ベートーヴェンの神髄は、「p」にあり》です。
彼のピアノ「p」が素晴らしいからこそ、フォルテ「f」や
フォルティシモ「ff」が、生きてくるのです。
そして、この一度聴いたら忘れられないような1楽章冒頭も、
ピアノ「p」で始まります。
★冒頭音「c¹-f¹」の「完全4度」音程も、実に重要な音程で、
この曲全体を、支配していくのですが、
今回はこれには触れず、1小節の「f¹-as¹-c²」をまず見てみましょう。
「f¹-as¹-c²」の分散和音により「f-Moll」のトニックが形成されます。
★この「f¹-as¹-c²」の音型の反行形は、20小節4拍から始まる、
1楽章第2テーマの冒頭の「fes²-es²-des²-b¹-g¹」の
「des²-b¹-g¹」に、木霊(こだま)します。
この20小節4拍から始まる「fes²-es²-des²-b¹-g¹」の
「des²-b¹-g¹」は、21小節の、2~4拍に位置します。
21小節目、初版譜では、3段目≪冒頭≫です。
まるで1小節と21小節は、こんなに深い関係なのですよ、
と楽譜が指し示しているようです。
それではお話を、初版譜1段目に戻しましょう。
1段目の後半5~8小節の左手の「バス声部」の動きを辿りますと、
「f-g-as-b-c¹」になります。
1小節の主音ー第三音ー属音という跳躍進行「f¹-as¹-c²」を、
主音から属音にかけての順次進行にしたのが、5-8小節の
「f-g-as-b-c¹」です。
1段目の左端上声に分散和音、1段目の右側下声に音階を、
配置する見事な構成です。
★この初版譜1段目を更に観察しますと、
「p」で開始した曲頭から、5、6小節冒頭の「sf スフォルツァン
ド」、7小節冒頭の「ffフォルティッシモ」まで、どんどん熱気を
帯び、一転して8小節は、「p」の作曲家ベートーヴェンの
面目躍如の「p」、という経過をたどります。
このため、この1段目の頂点(Höhepunkt ヘーエプンクト)は、
7小節でしょう。
擬宝珠(ギボウシ)の花
★その7小節上声(右手)ソプラノ声部「c³-b²-as²-g²-f²
ド シ ラ ソ ファ」は、5-8小節の「f-g-as-b-c¹ファソラシド」の
「縮小逆行形」になります。
★そして、この頂点「c³-b²-as²-g²-f² ドシラソファ」 は、その後、
8小節の「e²-f² ミ ファ」に、つながります。
両方を合わせますと、「c³-b²-as²-g²-f²-e²-f² ドシラソファミファ」
になります。
この音型の冒頭「c³-b² ドシ」を取り去り、「as²-g²-f²-e²-f²
ラソファミファ」にしますと、2小節上声「as²-g²-f²-e²-f²」
になります。
★何だか狐につままれたようですね。
それだけではありません。
この2小節上声、三連符「g²-f²-e² ソファミ」の拡大逆行形は、
4、5、6小節下声のバス声部、「e-f-g ミファソ」になります。
その「e-f-g ミファソ」を6、7小節の内声「アルト声部」が、
カノン「e¹-f¹-g¹ ミファソ」で追いかけます。
この「ミファ」は、ヘ短調f-Mollの「導音」と「主音」の関係です
ので、とても大事な音です。
★2~5小節の下声バス声部をよく見てください。
2~3小節は「e-f ミファ」、4-5小節は「f-e ファミ」です。
両者は逆行形の関係にあります。
初版譜の1段目だけでも、まだまだたくさんお示しすることが
できますが、今回はここまでです。
★ベートーヴェンが散歩中に、後ろ手に腕組みしながら、
頭の中で考えていたことは、この坩堝のような「対位法」を、
どう整理し、作品として定着させせるか熟考していたのでしょう。
そして作品として結実していったのが、彼のOpusオーパス
《音楽作品、傑作、(個人の)主要作品の意味》です。
私達はベートーヴェンの作品を、勉強し尽くし、
その後、その成果をひけらかすことなく、謙虚に演奏や、
鑑賞に役立てたいですね。
決して「野暮天」には、なりたくないですから。
モリアオガエルのオタマジャクシ
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