音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「フーガの技法」自筆譜冒頭5小節、ここでBachは「調性とは何か」を力強く説いた■

2020-08-16 20:02:40 | ■私のアナリーゼ講座■

■「フーガの技法」自筆譜冒頭5小節、ここでBachは「調性とは何か」を力強く説いた■
~この5小節、青白い炎の様に息を呑むエネルギーと緊迫に満ちた音楽~
                2020.8.16  中村洋子

 

                     蕎麦畑

 


★遅い梅雨明け後の酷暑です。

幼い頃の晴れやかな夏は、何処へ行ってしまったのでしょう。

この夏も記録的な集中豪雨が各地を襲いました。

最上川が氾濫しました。

ラジオニュースで「大石田町」という地名を聞き、はっとしました。

芭蕉は「奥の細道」の山寺・立石寺で、

「閑かさや岩にしみ入(る)蝉の声」を詠んだ後、

「もがみ川乗らんと 大石田と云処に日和を待(つ)」と、

記しています。

新暦の7月中旬から下旬にかけての紀行です。

 

★大石田の地には、かつてふとした縁から俳諧が伝わった後、

(しかるべき指導者のないまま)道しるべする人は

いなかった、と芭蕉は書いています。

それだけに芭蕉の訪問はどれだけ嬉しかったことでしょう。

「最上川は、みちのくより出て山形を水上とす」

 

★私の作品「もがみ川」は、この文章をmottoに作曲されました。

CDは、二台ギターにより演奏されていますが、

ドイツから依頼があり、ギターとチェロの二重奏でも

演奏されています。

CDはアカデミアミュージックで取扱中


★前回ブログでご紹介しました歌集「パン屋のパンセ」の著者

杉﨑恒夫さんは、生涯に一度、第一歌集「食卓の音楽」を

1987年に出版しただけでした。

 




★「パン屋のパンセ」は、2010年出版。

お亡くなりになったのは2009年4月ですから、没後出版です。

ご家族や友人、出版社の皆さまの熱意で完成されたのでしょう。

亡くなった翌年出版というのは、何やら、 

Bach「 Die Kunst der Fuga フーガの技法」

思い起こさせます。


Bachは1750年7月28日逝去。

「 Die Kunst der Fuge フーガの技法」の初版は1751~52年。

杉﨑さんの「食卓の音楽」は、私には確かに読んだことがある、

という(古い)記憶があります。


★何故なら、この歌集の題名は、

Georg Philipp Telemannテーレマン(1681‐1767)の作品

「食卓の音楽」1733年(独語ではターフェルムジーク

Tafelmusik ですが、テーレマンは Musique de Table

仏語で書いています)に、触発されたと思われるからです。


★歌集のタイトルに魅せられ、興味津々で読んだのでした。

しかし、当時「楽譜は買うもの、本は借りるもの」と思い、

読書はほとんど図書館から借りた本でしたので、

若い頃読んだ本は殆ど、蔵書にありません。

いま、断捨離が時代の風潮ですが、私は逆に、昔読んだ本が

手元にあったらと思うことが度々あります。

いまならもう一度紐解けば読み方、見方、そして評価も変わり、

また新たな、楽しい読書体験ができると思うからです。


★近頃は、楽譜はもとより、本も躊躇なく購入しています。

電子書籍は目も疲れます、ソファーに寝転んでの読書は「極楽」。

その分、部屋の空間が段々狭くなっていきます、

ままならないですね。





★さて「Die Kunst der Fuga フーガの技法」について

少し書いてみます。

1742年に清書されたBACHの自筆譜と、没後出版の楽譜とでは、

曲の順番が異なっているのですが、第1曲はどちらも同じです。


自筆譜には、各曲の題名は書かれていませんが、1751/52年の

出版楽譜には、第1曲は「Contrapunctus 1」と書かれています。

自筆譜も出版楽譜も、現代の実用譜のように、ピアノの楽譜で

使われるようなト音記号とヘ音記号(バス記号)による

2段の大譜表ではありません。


★どちらも、高い方からソプラノ、アルト、テノール、

バス記号の4段譜です。

Bachの Chorale コラールも、すべてこのような4段譜

書かれています。

そして、自筆譜ではこのようにアルト声部の Subject(主題・主唱)

から始まります。

 

 

3小節から Answer (応答・答唱)が、始まります。

 

 

自筆譜は、譜例で示したように5小節目の前半までが1段目です。

5小節目から、バス声部の Subject 主題が始まります。

BACHは何故、5小節目の主題が始まってすぐ、

段落を2段目に移したのでしょうか。

4小節目を終えた後、5小節目を2段目から始めたほうが

「きりが良い」ように見えますが、

そうしなかった訳は、3小節目前半アルト声部の

「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」にあります。

3、4小節目を分かりやすくト音譜表で書いて見ます。

 

 

3小節目アルト声部冒頭音の「d¹」は、1小節目から続く

主題の最後の音であると同時に、3小節目後半から始まる

Counter-subject ( 対主題・対唱)と、1、2小節目の

Subject 主題つなぐ「自由句」の始まりの音とも、

いえます。

 

 

★Bachはこの「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」を、単なる埋め草として

書いたのではありません

1小節目主題冒頭2分音符の「d¹ a¹」から、この「自由句」は

作られています。

 

 

★そして、この曲を聴く人、演奏する人にとって、この「d¹ a¹」は、

深く、心と耳に焼き付きます。

d-Moll の主音と属音である「d¹」「 a¹」はそれだけ力強いのです。

そのため、自筆譜1段目の右端は、何としても d-Moll の主音と属音

でなくてはならないのです。


自筆譜1段目右端の5小節目前半を大譜表に書き換えてみます。

 

 

このように、1段目両端に、どっしりと位置している

「主音」と「属音」の“エネルギー”を1段目中央にある

自由句の「d¹」「 a¹」が受け止めるという、盤石の構えで、

Bach「Die Kunst der Fuga フーガの技法」

幕が上がるのです。

 




★続く2段目冒頭は、当然ながら5段目後半の「不完全小節」から、

始まります。

 

 

バス声部は5小節目冒頭から始まった主題です。

アルト声部は、主題や対主題ではない「自由句」です。

これをよく見てみますと、バスの主題の反行形

(または逆行形、どちらも同じ形になります)となっています。

大譜表で書いてみますと

 

 


★更に目を凝らし、自由句のソプラノを見てみますと、

2段目冒頭の「d²- a¹」は、自筆譜1段目で畳み掛けるように

提示されたd-Moll の属音と主音です。

「d² a¹ c² a¹」の4音は、3小節目ソプラノの4つの2分音符

「a¹ d² c² a¹」の1、2番目の「a¹ d²」の順番を逆にし、

3、4番目の「c² a¹」は、そのままにした4つの音を

縮小したものです。

 

 


たった1~5小節の間に、これだけ息を呑むような、

緊迫した音楽を、Bachは創造しました。

2段目冒頭小節である5小節目後半で、アルト声部の「d¹ f¹」

バス声部の「f d」を、これほどまでに強調したのは、実は、1段目で

心にクッキリと焼き付けた d-Moll の「主音」と「属音」だけでは

d-Moll を確定するのには、少し力が弱いのです。


★もちろん、1段目には「f¹」音が5回、「fis¹(f#)」が1回奏され、

誰の耳にも、 d-Moll は分かりすぎる程分かるのですが、

調を確定する主音の音の第3音この場合、「f¹」と「f」を、

刻み込むように強調しなければならない、とBachは

考えたのでしょう。


それが2段目冒頭の「f¹」と「f」音なのです。

 

 


調性を決定するのは、音階の第3音と、主音との関係が

「長3度」か「短3度」かによりますが、これをBachは

「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の「序文」で、

簡潔に言及しています。

詳しい解説は、

https://www.academia-music.com/products/detail/159893

お読み下さい。

 

 


★Bachの自筆譜は、縦長の五線紙1ページ5段で、見開き2ページで、

記譜されています。

没後の初版譜は、横長の五線紙1ページ3段の見開き2ページで、

記譜されていますので、当然、初版譜の1段は長く

アルト声部の Subject主題、ソプラノ声部の Answer応答、

バス声部の Subject 主題に続いてテノール声部の Answer 応答 の

途中までが1段目に書き込まれているため自筆譜に見られるような

主音と属音による、エネルギーの凝縮、そこに割って入ってくる

3度の起爆剤は、見られません。


炎は、赤より青白い炎が高温です

Bach晩年の「Die Kunst der Fuga フーガの技法」には、

青白い炎が燃え盛っています。

壮年期の真っ赤な炎より、更に白く白く燃えさかる炎の結晶となり、

270年経ちました。

 

 


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